2012年12月20日木曜日

パソコンボランティア・Mellowネット発足10周年の裏話

10年前の6月、梅雨入りも近い曇天の日、伊勢崎市南公民館の1室に寄り集まった6人が、今思えば途方もない事を話し合った。
「現在進められている行政のIT講座から落ちこぼれた高齢者を、救済しようではないか。」というものであった。
 
当時、森内閣の政策として「IT革命による不況回復」として各自治体への1億円交付でパソコンが整備され、関係団体及び社会教育機関が競ってIT講座を開講した時期であった。
伊勢崎市は、各公民館に11台、生涯学習館に22台、インターネット接続完備。
テキストは県の情報管理課が作成したもので、此れが公式テキストで全県に配布され使用された。
官制IT講座は、今でも同じらしいのだが4日間でパソコンのイロハ、Paintでのマウスの練習、初歩のWord、Excel、インターネットとメールを若い女性講師が、文字通りマニュアル通りの教え方をしていた。
内容が盛り沢山のうえ、進み方が早く、片仮名言葉が分からない、マウス操作が出来ない、ローマ字入力が出来ないなど、高齢者にとって勇んで受講して見たものの、全くのチンプンカンカンの4日で終了し、また他所の公民館なら分るのではないかと渡り歩き、結局幻滅を味わっていたのが現状であった。
 
集まった6人は、 平成12年群馬県長寿社会づくり財団主催「高齢者パソコン&インターネット指導者養成講座」及び翌13年同財団主催「高齢者パソコン&インターネット指導者養成フォーローアップ講座」を受講した者達であった。
 
官制講座とは違った「高齢者に分かり易く、丁寧に、長期間の講座」を立ち上げ、高齢者の学習意欲の手助けをする、こうしたパソコンボランティア活動の呼び掛けに応じた6人が共鳴して行動を共にすることになった。
しかし、集まった6人は公的資格などなく、教育経験もないずぶの素人で多少パソコンがいじれる程度の者から、仕事でパソコンに従事していたリタイヤした者とか、技術の差が有る。
構想は纏ったが、学習する場所無い、パソコン無い、テキスト無い、募集の手立てが無い等々の無い無い尽くしである。

最初に目を付けたのはシルバー人材センターであった。
此処が主催で人集めをして、我々がサポートするという形をとる事にして、交渉をしたのである。
センターとしては行政がしている事であり、態々パソコン学習に手を出すのか、とした遠慮があった。
当時、センターの事務長は市からの天下りで、そうしたことで二の足を踏んでいたのを説き伏せ、県の老人会連合会からパソコンを11台借り受ける事が出来た。
プロジェクターはシルバー人材センタと同じ会館に入っていた歯科医師会から借りて貰う事が出来た。
現役であった一人が、会社の拡大コピー機で畳1畳近いパソコンのキーボードを作って来てくれたのは説明で大助かりであった。
この現物は、三郷公民館に保存されており、現在でも使っている。
この方は、77歳でこの12月に故人となってしまい、祝賀会に顔を見せる事が出来なかった。

募集を掛けたら10人ほど集まってくれた。
テキストは、知り合いのパソコン教室主宰者から供与して貰い、それを中心に開講する事にした。
しかし、これでは官制講座と同じスタイルとなってしまうので、前日の講座で分からない事やパソコン相談を午前中に行い、午後本講座をするというスタイルをとった。

上毛新聞も噂を聞きつけ、取材に来てくれた。
翌日の紙上で、「高齢者パソコン 同世代がサポート」として報道された。
こうして紆余曲折はありましたが、大勢の協力者によって今日を迎える事が出来たのである。
                                                                                           

 


2012年12月5日水曜日

paintとwordのコラボレーション

世の中には描画編集フリーソフトが数多く出回っている。
しかし、わざわざダウンロードしなくても手持ちのパソコンの中にはそれを上わ回る機能はないが、結構お遊びが出来るソフトが付属している。
Paint6はWindows7になってバージョンアップされたので、旧来のPaintに手慣れた人は扱い難いものに感じられると思いますが、Word2010に加えられた「背景の削除」とPain6の組み合わせで面白い編集が出来ることが分かった。
サンプルピクチャに入っているペンギンを親子の集団にしたり、10月11日に紹介したウミガメに子・孫亀を乗せたり、オオワシを集団にしたり又芙蓉の花びらだけ切り取ったりする事が出来る。
「新火曜パソコンクラブ」で紹介したテキストをご覧頂ければ分かりますが、画像の配置で変化を見せたり、写真に名前を入れ背景の修正をしたりした例を表示しました。
今回は、WindowsSkydriveに投稿したのでご覧ください。

下記のアドレスをクリックして見てください。
https://skydrive.live.com/?cid=91b4ebc5d2c81223#!/view.aspx?cid=91B4EBC5D2C81223&resid=91B4EBC5D2C81223%21138&app=Word

Googleドライブで開く場合は、下記をクリック。
https://docs.google.com/file/d/0B-zR4zRoVEYba2NxcThLWTVhejA/edit
【ペンギンの編集例】

左図は、サンプルピクチャーの原画ですが、これをWord2010の【背景の削除】でペンギンだけ切り抜き、画像としてピクチャーに保存します。
それをペイント2画面にして、片方に原画を開き、別な画面に切り抜き画像を開いてペイントで編集、縮小、左右回転をして貼り付けたものです。
右図は同じペンギンの画像を、上記の操作をして重ね合わせたものです。

2012年12月1日土曜日

気忙しい1ヶ月でした

あの暑さは何処へ行ったんでしょうか。
何か映画の台詞のような言葉が出るこの頃です。

11月は投稿する気分になれなかった。

「Mネット発足10周年記念及び社会福祉大会感謝状授賞記念祝賀会」の招待者名簿作りが難航し、ようやくまとまり往復はがきを投函したのが11月26日日曜日となってしまった。
資料整理が悪いというか、Mネットを退会した人達を拾い出すのは役員の記憶の奥底を探し回り、一人ひとりピックアップしての名簿作りであった。
「去る者は日日に疎し」では無いが、記憶の曖昧さに今更ながら驚く。
結果的に15人の元会員の住所・郵便番号・氏名を調べ出した。
実際は16人であるが、お一人は現役で亡くなられているので15人となった。

次は来賓者を何処まで絞るか、余り範囲を広げても迷惑をお掛けする事になるし、絞り過ぎても忘恩の誹りを免れないから、ここは慎重に検討をして4人とした。

Mネット10年の経過の中で、未熟なボランティア活動に協力してくれ、何かと鞭撻して今日のMネットにしてくれたグループから全員とは行かないから代表者と役員2人に絞り、8団体16人としたがこれがまたまた難航し、3.4年の空白があるところは代表者が交代したり、体の具合が悪い方などが居たりして、年月の残酷さをつくづくと感じさせられた。
だから、同行者を決めるのもかなり時間が掛ってしまった。

こうして名簿が出来、ご出席案内文案も幾多の推敲を重ねて出来上がり、さて印刷ウィザードを使って往復はがきをと、簡単に考えていたら忘れていました。
あんなに講座で話し、教えていた使い方が途切れ途切れで、またまた難航しテスト刷りを繰り返して何とか出来た。

何しろ祝賀会開催日は12月18日火曜日午後12時30分と決め、返信期限を12月10日としているからやや遅きに失する感が否めないが、まあまあスタートした。

そこに三郷公民館IT講座が11月26日スタートとなっているから、資料作りがあり何とか無事こなさなければならない。
昨年も担当しているのだからジタバタしなくてもよさそうだが、今回はダイソーのテキストを使うので内容を合わせなければならない。
ここでスライドを見せ、動画はこの前にするとしたストリー作りもして臨んだが、どうもぎくしゃくした進行をしてしまった。
小生の4日目はメールの使い方で、これで担当は終わりであるが、いとも不可思議な現象に悩まされ受講者も消化不良となる講座となってしまった。

公民館のRANシステムはプロバイダに1回線繋ぎ、ルーターに11台のパソコンがぶら下がっている訳で、珍しくも何でも無いのだがここで奇怪現象が出たのである。
パソコン側のプライベートIPアドレスが送受信する度に書き換えられてしまうのだ。
最初、メールの受信感覚を味わってもらうため、講師パソコンから受講者10人のパソコンに一斉送信をしたところ、1台が未受信となっていた。
予め調べてあったアドレスの入力は間違っていない。
ここで疑問に思って良く調べればよかったのだが、未受信パソコンの表示されていたIPアドレスをそのまま再入力して受信させてしまった。
一応送受信が出来る確認をしたので、受講者同士で送受信の練習を始めたところ、大混乱となってしまった。
送った相手に届かない、別のパソコンに送信されるとした現象が出て、成功したのは10台中2台のみで散々な結果になってしまった。
予め調べてあったアドレスが、別なものに書き換えられているから届かない。

仕方なくメールのシステムを解説して,  お茶を濁すような講座となってしまった。
何とも後味に悪い終了であった。
「この!未熟者」と、お叱りを受けそうである。


2012年11月7日水曜日

人並みに風邪をひきました

10月24日、朝、気分優れず。しかし、生徒が待っているので学習館に出掛ける。
翌25日、喉の痛みあり。熱なし。
26日、皮膚と関節に痛みあり。熱は測るも平熱の範囲。
しかし明日は土曜日のため、念のため受診する事にする。
何故なら、パソ爺の発熱の初期症状は皮膚と関節の痛みが始まりだから。

受付の可愛い女の子が「お熱を測ってください。」と、体温計を差し出したが、何を思ったのか机の上の機械でパソ爺の額を目掛けピッと、光線らしきものを当てた。
「7度6分ですね。」
暫く待たされて医師の診断。
喉を見てから聴診器を胸、背中に当てて終わり。
「風邪ですね。」
5日分の薬を処方されて家路につく。
早速1回分を飲み、床に就く。

うとうとしている内に夕方になると、体に微妙な悪寒が来る。
熱を測ってみると、8度9分。
悪寒ますます強くなり、震えが止まらなくなる。
鼻腔が猛烈に痛く、息をするのも辛い。
しかし息をしなければ死んでしまうから口呼吸をしたり、鼻に冷たい濡れタオルを当て呼吸を冷却する。
2回目の薬を飲まなければならないから夕食を摂るが、「麦畑」の一節「食器を持つ手が震えてる・・♪♪・・」の状態。
薬を服用して床に入るが頻尿になってしまい、1時間置きに起き出さなければならないのが大変。
見兼ねて妻が持ってきたのが尿取器。
日赤で経験済みだが、これがなかなか難しい代物である。
筒先を差し込むようにして排尿するのだが、寝てたままの姿勢だから平衡感覚を保つのが難し。
日赤の時は1時間置きに看護師さんが巡回し、綺麗にしてくれていたが家ではそうはゆかない。
第一、外に溢すな松茸の露を溢したら寝床が浸水してしまう。
狭い家だから匂いが充満してしまう恐れがある。
結局使う事も無く、一夜を明かす。

熱があるためか、熟睡出来ないまま思い浮かんだのが芭蕉の「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」の句である。
旅先でもなく、自宅の居間で寝ているのに、なぜかこの句が出て来た。
芭蕉が老いた身を旅先の宿で呻吟している状態と、この76歳の老いたパソ爺が同一感覚となると言う事は、人間老い先短くなるとこうした心境になるのであろうか。

27日一日就寝。夕方37度台となる。
28日一日就寝。36度台となりやや改善の兆し。
29日妻が同一症状で受診。
30日かなり改善。この週は2講座とも休講にしてあったので気楽にしていられる。
31日薬が終わったので再度受診。帰りに買い物をして帰る。
こうして丸1週間、風邪と戦い、克服できた。
妻は熱も出なく鼻水で治まり一安心。健康な妻に感謝。
何故ななら、寝込まれては病み上がりが看病をしなければならなくなる。

落語の「厩火事」の中で、ぐうたら亭主の気持ちを確かめる女房が、わざと亭主の大事にしている骨董品を壊し怪我をする。
それを気遣う亭主に「お前さん、そんなに私の方が心配なのかい?」と、嬉しそうに聞くと、「なあに、お前に怪我をされると、明日から遊んでいられなくなるから」と、答える件がある。
パソ爺はそんな気持ちではありませんよ。
あくまで女房丈夫で、働いてくださいが心情である。
あれ?ぐうたら亭主と同じか。

2012年10月17日水曜日

パソコン2011は大騒ぎ

前にも書いたが、兎に角騒がしい教室である。
しかし面白い事が次から次と起きるから、楽しい教室でもある。
受講者は18人で、女性15人、男性3人で、今年で3年目となる。

Vistaパソコンも朝から夜まで使い回しであるから、疲れが来ている.
だから具合が悪い事夥しい。
「Wordを起動させてください。」
「あれ!タスクバーが上になってる.」なんて事はざらである。
パソコンによってはなかなか開かない。
「どうしたん?、嫌がっているんじゃない。」

「カーソルが動かない。」
行って見ると前に使用した人が、マウスをUSBから外したままにしてある。
大方足並みが揃った頃に、遅刻した人が教室に入って来る。
「すみません~。」
それからその人が開くまで、しばし待たなければならない。

講座が開始されてもワイワイガヤガヤ。
「始めますよ!」と、一声大声を張り上げる。
ここはこのタブからこのグループにあるアイコンをクリックして。
次はその状態でこの操作をしてください。
そして次は・・・・と、進んで来ると、うん?、何処?、あれ何をするんだっけ?。
18人の進み具合にばらつきが出て来る。

「あれ!、画面が消えちゃったー。」
素っ頓狂な声が上がる。
「何かしたんじゃないの。」
「何にもしないのに、消えたんですよ。」
「そんな事はないと思うよ、何処か弄ったからこうなったんだと思うけど。」
「弄っていないよね.」と、隣の人の同意を求めるが、隣の人も見てたわけじゃないから、うん?、曖昧な返事をする。

元に戻し、初めからやり直す。
そこで時間が経過するが止むを得ない。
「パソコンが悪いんだね。」
「使っている人が悪いんだよ。」
「だって、何にもしないのに消えたんですよ、本当なんだから。」

「先生、皆と出来具合が違うようなんですが、ちょっと見てください。」
行って見ると操作の手順を一つ飛ばしている。
「この時に、ここをこうして置かなければ。」
「ホント、同じになってよかったー。」

「わたしもよ、パソコンが変。」
また別な方向から声が上がる。
3人のサポータは狭い教室をあちこちと、足元の配線に気を配りながら動き回らなければならない。
ようやく全員が同じ状態になったところで、ここで休憩する。

「皆さん作り上げた画面を右上の「閉じる」ボタンをクリックしましょう。」
「そんな事すれば消えちゃうじゃない!」
「そう消してください。休憩したら最初からご自分一人で同じ事をしてもらいます。」
「え~~、出来ない。」
「忘れちゃったー。」
怨嗟の声が上がるがお構いなし。
分からない事はサポートしますから。
でも~、未練たらたらで「閉じる」をクリック。

こんな時の休憩は何時もより長くなり、机に付くのが遅い。嫌々付く人もいる。
「サー、休憩前の操作をしてください。」
こうして難行苦行が始まるのである。
意地が悪いと言えば悪いが、手取り足取りされて操作してのパソコンでは覚えきれない所がある。
分からなくても、自分から操作をして次のスッテプで躓いたら手を挙げる、こうして身に付くものと思うが如何かな。

終了時間になる。
「来週もこれに懲りず来てください。」
「はーい。」
いい返事で帰って行く。
これまでの事をすっかり忘れ、こうして2時間30分の講座が終了する。


2012年10月11日木曜日

ペイント6とワード2010のコラボレーション

大袈裟なタイトルですが、新火曜パソコンクラブの題材として取り上げて見ました。
マニュアルは同クラブで臨床試験をして、問題点を解消してから発表したいと思っています。
要点はWord2010の新機能「背景削除」とWindows7となってリボン方式となったペイントの機能を使ってのものです。
以下その機能を駆使しての作品です。
Jtrim等のフリーソフトを使う手もありますが、新しくなったペイントの紹介も兼ての講座にしたいと思っています。
題材はピクチャのサンプルを使っています。





上は、「親亀の上に子亀が乗って子亀の上に孫亀乗って」昔漫才で唄われたものです。
右は、密林のオオワシの勢ぞろいです。「左向け左!」
その左の花は、近所に咲いていた「芙蓉」を撮影したものです。

Mネットの女性達の様ですネ。



2012年10月6日土曜日

齢76歳、偏に貴女のお蔭です

1936年生まれ、76歳です。
これを長寿と言うべきか迷いますが、総じて早死家系ですから銀メダル的生存者と、思っています。
此れもあれも口煩く生活習慣をご指導しくれる、貴女様の賜物と言えましょう。

食べ物然り。
マ(納豆等の豆類)・ゴ(胡麻類)・ワ(若芽等の海藻類)・ヤ(野菜類)・サ(魚類)・シ(椎茸等の茸類)・イ(芋類)の食物を何時も気に掛け、配合飼料で育てられている養豚並みに必ず組み合わせてくれる。
良く噛んで、腹八分。パンには牛乳、塩分控えめ、油もの少々、肉は鶏肉等々。

アルコールは更に厳しい。
随分飲んだわね、もう蔵の一つや二つ建つ位飲んだくれていたわよね。
若い頃のパソ爺の行状をあげつらい、二言目には此れである。
何が難しいと言って、酒の燗ぐらい難しいものはないよね。と言ってレンジから取り出した酒の熱い事。
飲めたものではなく、嫌がらせの何物でもないと勘ぐざるを得ない。
酒が惜しいんじゃなく、体を思っているんじゃない。
殺しの決め台詞が出る。

パソコンも最近槍玉にされている。
毎日毎日パソコンと睨めっこして、目が悪くなるから、第一、運動もしないで座ったままでは体に毒ですよ。
家の中の掃除でもしてください、と来る。
最近は、身を竦めてのパソコン操作である。
予習復習、教科書以外の事は自分でテキストを作り、印刷製本して持参しなければならない。

しかしこうして76歳の誕生日が迎えられた事は、偏に貴女様の親身で、愛情深き生活指導のお蔭と感謝申し上げます。
先日晩酌をしながら一言申し上げたら、何言ってんのよ腹にも無い事を、だって。
何言っても信用しない貴女様です。

2012年9月28日金曜日

新火曜パソコン、デジ造余話

カッセトテープの音楽をCDに書き込む講座が、約2か月7回目の講座で終了した。

講座スタートに際し、これまでのテキストを全面的に書き換えた。
これまでの「デジ造」マニュアルはVistaパソコン用で、WindowsMediaPlayerのバージョンも10仕様で作成されていた事と、録音、編集、書き込みが同時進行で説明されていたので分かりずらい所があった。
そのため、Windows7、WindowsMediaPlayer12での操作手順に書き換え、内容も録音の部と編集の部に分け、CD書き込みはNHKテキストを使う事にした。
特に、普段あまり使いなれていないCDを理解して貰うため、CD/DVDの基礎講座に1回分の時間を割き、それからMネット所有「デジ造」のインストールを試みた。
試みたと言うのは、メーカのホームペジを閲覧してWindows7への適応を調べて見た所、34Bitにはやや対応する△が、64Bitは不適応の×と表示されて居たからである。
講師用は32Bitであるが、受講者全員のパソコンがWindows7の64Bitパソコンのため若干の危惧を持っていたが、何と無くインストールしてしまった。
何と無くインストール出来たと言うのは、パソコンによって「デジ造」を終了してしまうと、パソコンを再起動しないと再び「デジ造」が立ち上がらない現象が出たのである。

まあそんな試行錯誤を繰り返しながらも若干2名を残し、9月25日でお気に入り音楽を音楽用CDに保存する事が出来、個人的に楽しんで貰っている。
しかし一昔前の曲ばかりなので、最近の曲も取り入れる方法を伝授したいという悪い思いが出て来てしまった。例えば「地上の星」など、此れも古いか?。
そこでインターネットから無料ダウンロードを使う事を考え、自分なりに試みた。
しかし、iTunesのインストールやTSUTAYAの場合、個人登録が求められるなど受講者にとって今後必要のない操作が出て来てしまうので、この方法を諦め動画サイトのYuoTubeに目を付けた。

動画サイトであるから画像が入る、しかし画像は必要無い。
音だけ抜き出す方法を考えてみた。
パソコンはイヤホーンから音楽が出て、マイクロホーンで音楽を入力するのだから、これをAudioデジタルプレイヤー用接続コードで2極を直結させ、YuoTubeからお気に入り歌手の曲を再生すればパソコンは再生しながら録音をしてくれるのでは無いか、素人の浅知恵的思い付きである。
入らない、何処にも再生した音楽が見当たらない。失敗である。
そこで「デジ造」の録音ソフトを使って見る事にした。
「デジ造」を起動させてからYuoTubeをスタートさせたら、ビジュアライゼーションモニタに波形が表示された。音を感知している証拠である。

保存場所はマイミュージックで編集も「デジ造」でする事が出来、WindowsMediaPlayerから音楽用CDに書き込みをし、CDプレイヤーで再生確認をする。
これを自分用に楽しむCD作成方法番外編として紹介し、7回にわたる講座を終了したのである。

2012年9月20日木曜日

オートシェープをWord2007と2010で比較操作する

Word2003まではオートシェイプと言っていた図形やテキストボックス、写真、ワードアートの操作がWord2007から極端なほどに変わってしまった。
コマンドがコンテキストボックスに纏められ、そのコンテキストボックスも図形やテキストボックス、写真、ワードアート毎に表示されるタイミングが異なっている。
更に、Word2007からWord2010になり、微妙に機能がアップし簡略されている。

パソコン2011のグループを受け持って与えられたテキストが、「Wordでかんたんお役立ち作例集」で、これがWord2010をベースに編集されており、生涯学習館のパソコンがWord2007ときているから学習する側もインストラクターもその違いを説明しながらの進行だから、慣れない受講者は天手古舞、中には茫然自失で2時間30分が終わってしまう有様である。
また、受講者も28人中11人がWindows7のパソコンを所有しているから、なお厄介になる。

そこで下記リンクから表示される補助テキストを作成し、プロジェクターにWindows7とVistaパソコンを接続して交互に切り替えながら解説をして見た。
初めての事だからなかなか上手く行かない。
Word2007の操作をしながら画面がWord2010となっていたり、その逆またしかり。
解説する側もこんがらがって来る有様で、成功とは言えない状態であった。
最後は各自自分のパソコンで試して見てください、と補助テキストを丸投げするようにして終了してしまった。

補助テキストの表示は下記リンクをクリックし、更に表示されるアドレスをクリックしてガイダンスに従って操作すれば5ページのファイルが表示する事になっている。
お試しあれ。

https://docs.google.com/open?id=0B-zR4zRoVEYbeTBfNTJCekU1UFk

2012年9月9日日曜日

女房元気で留守がいい!?


二人暮らしになって何年になるだろう。
気楽な生活に慣れ、何事もマイペースで、と思ったがそうは問屋が卸さない。
全てが女房殿の指示と命令で動く毎日である。
自分の意思が無くなり、自主性の無い老人に成り下がって行くのが分かる。


そんな折、女房殿が一泊二日の小旅行に出掛ける事になった。
「偶には気晴らしで命の洗濯でもしなけりゃね。」
嫌味か。あと何年生きる積りなんだか。
「誰それに誘われたんで、留守にして悪いけど行って来ますね。」
こう言われれば「少ないが小遣いにでもしたら」、と福沢さんの1枚でも渡すのに、「偶には気晴らしでも」なんて言われれば出せる物も出せない。

もっとも、財布の中には福沢さん一人が奥に引っ付いているだけだから、出してしまえば留守中文無しになってしまう。
ここは男気を見せる場合ではない、と言い聞かせる男パソ爺の我慢のしどころである。


しかし送迎だけは心よく引き受ける。
何しろ2日間解放されるのだから。


さあ一人だ。
見様見真似で昼食を作り、夜は豪華に肴を買い込み心行くまで秋の夜更けを痛飲するか、と思ってみるが独り酒も空しい気がして、結局、朝の残り飯を独りぼそぼそ食べて済ませてしまった。
テレビを遅くまで見て、普段では見ないつまらない番組を見終わり、寝る事にしたが何か変である。いつも傍に居る者が居ないという事が、部屋の広さを広く感じさせ、話し相手の居ない空虚感が漂よい、普段気にしない虫の音色が耳につき寝入りを邪魔する。


朝はゆっくりだ。勝手気ままに過ごせる一日がスタートする。
誰に起こされる事も無く、7時頃もそもそと這い出してコメの在りかを探す。
米を研ぐぐらい手慣れたものだが、最近ガスコンロで直接炊くようになったので戸惑う。
釜をコンロにセットして置いて、ごみの搬出をして来る。
苦瓜に定例の水遣りをして、お茶を入れて飲む。
それから血圧の測定をする。ここまでは何時ものコースである。
豆腐の味噌汁は順調に出来る。味付けには自信がある。
野菜、野菜、何が無くても野菜だけは食べてよ。
子供じゃないんだから、言われなくても分かっている、と言いたいがこれが結構面倒である。
生は嫌だが、茹でるのが面倒。
トマトがある。それにする。
キャベツなどを昼に食べる事にして、しゃけを焼いて一品点ける。
やはり水加減が悪かったせいか、固めの飯が炊けてしまった。


昼の買い出しにコンビニに出掛ける。
かぼちゃの煮付け、ポテトサラダ、キャベツを摂らなければと「大葉とツナ大根・・・サラダ」、この・・・のところを読み落とし、てっきりそこにキャベツが敷き詰められていると思い込み買い込んでしまったが、それはパスタであった。
ミステークだが返品する訳にも行かず、食べざるを得ない。
しかし、コンビニにはあらゆる惣菜が用意され、独り身用に小パックされているのには驚きである。

昼食を摂った後気づいた。血圧の薬を飲む事を。
何時も口煩く言われていたのが言われなかったため、飲み忘れたのだ。


買物は楽しい、こんな楽しい事を女性だけに任せて置くのはもったいない事だと、女性問題評論家の樋口恵子さんが話していたのを聞いた事がある。
と思っても紙切れに買い物メニューが書かれ、千円札を何枚か渡され裁量権の無い買い物では楽しみはない。
小僧の使い走りじゃないぞ!と言いたいがぐっと我慢。
また、金額も不足する事はあっても余る事がないから、余分なものは買えないようになっている。主婦の感はすごい。
そのうえ、品物の在りか、良し悪しの見分け方まで指示されて出かける。
二足歩行、言語認識、自力走行ロボットだ。


夕刻に電話が鳴り、到着時間の指示である。
その通り間に合わせないと何を言われるか知れたものではない。この炎天下であるから尚更である。
夕食は女房殿の手作りに「美味いね、味も丁度だ。」
やはり食事は女房に限る。


ああ、やんぬるかな。こうして秋の夜は更け、こうして二日間は無事過ぎたのである。
こんな生活は観音様の手の掌で立ち騒ぐ孫悟空の様なもので、大の男一匹こんな事で好いのか、などと自問自答するが直ぐ忘れてしまう。


慣れは恐ろしい。

2012年9月8日土曜日

Word2010からBloggerへ投稿


Word2010から「パソ爺」のブログに登録する事が出来たが、写真はどこかに行ってしまったようだ。
どうすれば丸く切り取った写真を載せられるか、今夜は眠れない、と思ったら気付いた。
手順
【挿入】→【図形】→【Shiftキー+円/楕円】で丸を書きます。
コンテキストツールバー【描画ツール書式】→【図形の塗りつぶし】→【図】→【ピクチャライブラリから図を選択】右はサンプルピクチャーからの図です。

この図を【コピー】で、ペイントを起動し【貼り付け】、【名前を付けて保存】しピクチャーに保存し、後はブログに【貼り付け】るだけですが、手間が掛かりますが画像加工がWordの図形で出来ることが簡単です。
また、操作して居て気付いた事ですが、書体とサイズが自由になる事です。

WordからBlogへの投稿手順
【ファイルタブ】→【保存と送信】→【ブログの投稿として発行】をクリック→【ブログの投稿として発行】アイコンをクリック
入力画面で「タイトル」入力→【ブログの投稿として発行▼】→【下書きとして発行】を選択→「ユーザー名」「パスワード」入力で終了
ブログの下書きに保存される。
OKなら公開する。

2012年9月5日水曜日

心頭滅却すれど

時は戦国時代、甲斐国(山梨県)のお寺の住職が、織田信長の軍勢に焼き討ちにされた時の辞世として「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」と詠みながら焼死した、と伝えられている。
真偽の程はいざ知らず、この暑さは9月になっても衰える事が無く、この心境には到底至る事は出来そうもない。

女子レスリングの浜口パパとスギちゃん風に言わせて貰えれば「限界だ!限界だ!」だゼえ~。

Mネットのパソコンボランティアは8月の盆期間に休む以外は講座を開講して居るが、会員の中からは「電力事情も悪い中だし、暑さで受講者に事故が出ても困るから・・・・」と、8月は夏休みにしてはどうかの意見がちらほらと出ている。
「我々高齢者パソコンを8月一杯休講にするだけでも、原子力発電所の稼働を遅らせることができるのなら」の崇高な理念と、生産性の乏しい高齢者のパソコン学習でも有るので、来年は実現したいと考えている。
なにしろ、お借りしている生涯学習館は、パソコンから発する熱と受講者の体温と厚手のカーテンで締め切っているから、空調2台と扇風機がフル稼働しても30度を超える室温となり、年寄りの集団日干しが出来そうな状態である。
家でゴロゴロして居てもそれ以上の暑さだから、生涯学習館に来ている方が涼しいのであるが、それでも暑い中の勉強で有る。

毎年ゴーヤのカーテンを張りめぐらせているのだが、この高温少雨では水の補給が大変である。
隣の新宅1か所、自宅3か所にポリバケツに3.4杯、約40リットル以上の水くれを毎日の日課としなければならない。
因みに、市水道の口径が20mmの場合、水道料は1立法メートル当たり単純計算で229円となる。
この場合、地中に水を浸み込ませても下水道料金はカウントされる。
1立法メートルは1000リットルだから1000分の40として計算すれば、約9円・・・・1か月270円、合ってるかな?
小学生の計算に自信が無くなっていると言う事は、学校の勉強が出来無かったせいか。
はたまた、算数は四則演算が出来ればいいのであって、余り実生活に役立たない方程式や何かに時間を割き過ぎた為か。

しかしこうしても秋は静かに忍び寄っている。
夜半に聞こえる虫の声。
余り音色のよい虫は居ないが、ひときわ声高なのがコオロギである。
このコオロギが鳴き出せば確実に秋の気配である。

話題は飛躍するが、宮崎の高千穂鉄道が台風の為流失する前年に旅した事があった。
延岡から軽便鉄道で高千穂まで行くのだが、竹寿司駅弁と言うものが有り、孟宗竹の根元を輪切りにした中に筍などを中心にしたチラシ寿司風の弁当で有った様な記憶が有る。
それを食べながら車窓から川沿いの風景を眺めていたが、女性の車掌さんが車内案内をしていたので、その折何気なく胸元の名札を見たら「興梠(こうろぎ)」という苗字で有った。
珍しいので記憶していたが、驚いた事に高千穂町を散策したらあちこちに同姓の表札が有るのに二度びっくり。

興梠(こうろぎ、こおろぎ、こうろき )
漢字・読みともに希少かつ難しいが、宮崎県の高千穂や五ヶ瀬、熊本県の阿蘇では比較的多く見られる。
「梠」とは「軒」の意味であり、「興梠」とは「軒のあがった家(立派な家)」を指すとされる。
日本神話の「神呂木(カムロギ、カムロミ)」に由来すると云われる。インターネット検索

その上、正月でもないのに家々には注連飾りが吊り下げられている。
地元の人に聞いて見たら、一年中軒先に飾り付けているのだとか。
この地は天孫降臨の言い伝えが有るので、  神様が一年中在わすのであろうか。
天岩戸を神社から参拝したが、対岸の崖にあるらしいのだが木々が茂り窺う事が出来ない。
天照大神様、もう少し太陽の調節をお願いします。正に神頼み。

まあ何とかこの夏も過ごせるか。




2012年8月19日日曜日

子在り 遠方より来たり

子在り 遠方に住む
彼の地にありて 故郷を懐かしむ
故郷に 旨き蕎麦処あり
蕎麦処 止む事を知る


幼き日 蕎麦処に入りぬ
その味 忘れ難く
遠く離れて 記憶蘇えり
寸刻を割き 舞い戻り食さん






故郷に 名峰赤城山座し
彼の地に 阿蘇あり
何れの山岳 甲乙点け難く
食する味も また同じなるや























2012年8月9日木曜日

マグレ人生 その2

マグレもそう度々ある訳でなく、殆ど運を使い果たしたような高校生活であった。

卒業真近になると進学組は大学模擬試験に、就職組は就職試験対策一辺倒となる。

就職難時代の卒業だったから求人募集は殆ど無し。
勢い公的なものにしか受験する機会が無い。
国鉄、電電公社、防衛大、私鉄会社等であったが、4戦全敗で防衛大などかすりもしなかった。
私鉄の場合は、面接を東京まで行っての落選だから、電車賃を使わされたに過ぎない。
決まる同年生はどんどん決まって行くのだから、ここで実力の差というものが出て来るのであろう。

国家公務員4級職と言うものがあった。所謂ノンキャリアの入り口である。
税務職と郵政職と有ったが、ご近所にエリート高校卒の方が税務職として合格していた事を知り、身の程も弁えず受験について教えを乞うたのである。
普段はお付き合いが無く、尋ねられた方でも迷惑で有ったに違いない。
しかし親切に受験参考書を貸して頂き、それを参考にしなさいと渡された。
受験日が迫って居り、腰を落ち着けて勉強している暇は無く、焦りから本の紙面を上滑りしているに過ぎない。
そうした絶体絶命の境地から見つけた方法があった。
試験問題は100問以上出題されるが、5択方式で正解項目に傾向がある事に気付いた。
試験当日は、分からなければその傾向項目を選択し、分かるのもだけを解答して行く消エネ解答に徹し、質より量の解答を心掛けたのである。
まさに、窮鼠猫を咬む、の例えを地で行ったのだ。
関東甲信越地区から7,000人以上の高校生が、鎬を削ったサバイバル試験で有った。
我が校から2人合格し、吾輩もその1人としての栄誉に浴したが採用はされず、暫くはルンペンを余儀なくされた。

傾向と対策解答を見抜かれたのであろうか、試験官の目は欺けない事を痛感した。



マグレ人生 その1

「まぐれ」を辞書で調べると、「偶然とか予期しない結果」と出ている。

小学高学年の頃、村内と言うより地域単位の集落でお祭りがあった。
子供相撲大会が有り、2,30人程集まって開催されたが、昭和20年代は今と違い子供がうようよいた時代である。
学年別の取り組みで無く、身長順に並べさせられて組み合わせを決めて行くのだ。
体格の良い上級生の隣に並ばされた為、必然的にその子との対戦になった。
今から思えば、吾輩を勝たせない為に大人達の偏見と依怙贔屓でそうさせた様な気がしてなら無いのだが、取り組みの番となってしまった。
自信満々の相手に対し、身長は有ったが肉付きの悪い、有り体に言えばひ弱な力士である。
軍配が返って、猛然と突進してくる相手に対しヒョイと変わり、横から押し出してしまった。
番狂わせで、組み合わせをした例の大人も唖然として居た事を思い出す。
しかし、その後は悲惨で何事にも件の上級生に意地をされ、卒業するまで続いていた。
今時のいじめで有ったろうか、とんだハプニングが人生の実力を知らされる事になったのである。

高校入試の時もそんな事があった。
前夜来の大雨で、利根川の対岸に位置している島村中学からの受験生が欠席と言う事になってしまった。
前の席が殆ど空いていると言う、異常な空気での試験で有った。
そんな中でも試験が始められたが、自信を持って解答出来た問題は極少なく、何がなんだかわからない状態で終了した。
合格発表の日が来て新聞に名前を見つけた時は正直嬉しかったが、其処で飛んだ誤解を生む事になった。
島村中学からの受験生が欠席した為、発表が吾輩の名前からとなってしまった。
それを見た近所の年寄り達が一番で合格したと受け止め、学校の登下校で行き会うたびに称賛の言葉を掛けられる事となってしまった。
この為、出歩くのが嫌になってしまい、人目を避ける様に暫くはこそこそ歩く始末であった。
それも時間と共に解決し、それ程でもない事を世間に知らしめる事になった。

入学して最初の国語の時間で抜き打ちテストが行われた。
何でも担当教師は入学試験の結果は信用していないらしく、自分で問題を作成して新入生の学力レベルを知るために行っているとの事であった。
確かに学校では教えない、入試問題にも出無い設問であったが、入試勉強より文庫本を読んで居た吾輩としては比較的楽勝であった。
トップ10に入ってしまったのである。
一躍注目される存在となったが、その後の中間試験、期末試験などで順位が発表されるに従い馬脚が現われてしまい、同級生から「あれはマグレだったんだ。」と、からかわれの対象となってしまった。
トップ10になった時に、それを起爆にして勉学に勤しめば良かったものをと、後悔先に立たずの例えに気付くのが遅すぎた様である。


2012年8月4日土曜日

ラーメン店、栄枯盛衰

長寿庵閉店の記事「美味い処の灯が消える」が話題となったので、ラーメンの思い出を手繰って見たい。昭和30年代はラーメンとは呼ばないで、支那そばと言っていた。
その頃の町名を新町と言い、現在の大手町22街区の駅からの大通りに面して支那そば屋があった。
「桃華軒」と言う奥に長い店であったように記憶している。
何しろ45年前の記憶であるから定かではないが、当時は味の良い評判の店であった。
旧市役所が在った周辺には「大村そば店」、少し離れて「あやめや」、朝7頃から失業対策事業に従事する労働者の朝飯を食べさせる「早起き食堂」、突き当たりに「第三角屋」などがあり、それを素通りして「桃華軒」まで出掛けていた。
注文は支那そばである。
それをそそくさと食べ、昼休みの終わる時間までに戻らなければならないから結構忙しい昼食であった。
今風に言えば「醤油ラーメン」であった。

その北隣が、「利休」と言う居酒屋で、升に入れた茶碗になみなみと溢れる程に注いで呉れる酒が人気で、退庁後は同業人種で一杯になっていた。
その頃は焼酎ではなく合成酒と言われた酒で、結構悪酔いするものであった。
安月給の代名詞ともなっていた職種であるから、飲んべー達は安くて多く飲める所に足が向いていたのである。

あれだけ繁盛して居た店であったが、ほどなく閉店し隣の居酒屋も閉業してしまった。
人の流れが少しずつ変化して来て居たのかもしれない。
昼だけの売り上げでは採算が取れず、「桃華軒」も「利休」も人々の記憶から忘れ去られてしまった。
赤提灯を求めて辿りついたのは、江戸幕藩時代には裏町と言われていた宮元町、現在の街区では三光町8街区本光寺大門脇の屋台「菊水」であった。
爺さんと年頃の娘二人での営業で冬場は北風を防ぐシートが張られたが、足元から吹き込む寒風は容赦なかった。
夏場はよしずを立て掛けたものであった。
その北に鎮座する伊勢崎神社の南口に、ラーメンの屋台が出ており小腹が空いた酔っ払いが利用するのだが、何故か飲んだ後のラーメンが美味い。
当時は、こんな酔客を相手にするラーメン店が当時の南町三丁目、現在の緑町界隈にかなりあったが、今では数軒有るか、無しかである。

伊勢崎は四方八達の往還が有る。
本庄県道、高崎県道、前橋県道、大胡県道、大間々県道、桐生県道、足利県道、太田県道と県内主要都市への道路が8本通じており、交通の要衝とも言える街である。
その出入り口に当たる場所に新商圏が発達し、中心街商店の衰退に拍車を掛けている、所謂郊外店の進出で有る。
その郊外店群に必ずあるのがラーメン店である。
激辛とか、上州とかの屋号店が元気が良いが、立ち寄った事がない。
ああしたお店は掛け声ばかり大きく、マニュアルで作られて居る様な気がしてならず、熟練技を駆使した感じがしないので敬遠している。
大型店のテナントとしての食事処も、大方同じである。

この8月19日で閉店する長寿庵のブログを紹介します。
誠に惜別の情を禁じえません。
http://yaplog.jp/sakuramou3sai/archive/3186

2012年7月26日木曜日

歯磨きの私見

口腔が小さいためか歯並びが悪い。イコール虫歯になり易い。
だから、子供の頃は近所の歯医者によく連れて行かれた。
意気地の無い子だったので、泣き叫んで医者を手古摺らせていた居た事を覚えている。
治療中に逃げ出した事もあった。

成人しても年に2・3度は歯医者のお世話になっていた。
特に差し歯、補填された箇所が食事中にとれたりする。
餅など粘り気のある食べ物を口にする時は注意深く噛んでいるが、時として忘れて強く噛んだりすると歯が取れる。
抜け落ちる瞬間は、貧血の様な感じになるから飲み込む事はないが、ガッリと嫌な音がするので食欲がいっぺんに失せてしまう。
宴会などで酔っ払ってちょくちょくあった。

しかし医者からは褒められるのだ。
8020ですよ、と。
80歳で自前の歯が20本あれば表彰されのだとか。
何時の頃からか電子音波歯ブラシを使うようになった。
歯周病菌を1秒間何万振動で分解してしまうとの、効能を信じて使い始めた。
その為か、年1度のクリニックでは歯周病菌不在が続いている。

歯ブラシは、朝用夜用と硬軟2本を使い分けている。
朝は硬質の歯ブラシで、上の歯から磨きだす。
3分経つと自動的に停止するようになっているので、下の歯へ移る。
夜は軟質の歯ブラシで、下の歯から磨きだし、同じような手順で終わる。
そうする謂れは特に無いが、そうしないと一日が終わった気がしない。

その様に自分自身で取り決めをしているのだが、最近は夜だから下の歯からと思っていたら上を磨いていたり、朝、上の歯を3分磨いて下の歯に切り替えるのが再び上の歯を磨いている自分に気づくことがある。
取り決め通りにしていない事がある。
惚け始めているのか、心此処に在らざる状態になっているのか。
だから、歯磨を忘れ始まったら惚けが始まった、と判断出来るのでは無いか。
と言うのが私見である。




2012年7月20日金曜日

年金生活川柳

草むしりに疲れた身体を横たえて居たら、突然創作意欲が湧いて来た。
川柳5句を紹介したい。

「ひと月が ふた月になる 振り込み日」
生活保護費でさえ毎月支給されているのに、年金は2か月毎である。
現役の時は毎月の支払いであった。
それでも20日直前はやりくりが大変であった。
年金者となってからは余程計画的に生活しないと、2カ月目の月半ばで行き詰まる事がある。
ローンも貸してくれないから、飲まず食わずの半月を過ごす事にもなりかねない。
そうかと言って、この無芸な老兵を雇う所は無く、アルミ缶集めも縄張りがあるらしく勝手に集められない。
これも厳しい業界?らしい。

「年金の 出た日は豪華 回り寿司」
板前の前に座って握り寿司などを食せない今日この頃、せめて贅沢な昼食をと選ぶのが回転寿司で有る。
回転すしを選ぶのは、そればかりの理由ではない。
名前が分からない事、回転すしは写真が有るのでそれによって注文が出来る。
時間が掛らない事、好きな時間に行けて勝手に皿を取り、次々と食べる事が出来る。
マイペースである事、目の前に寿司を握っている板前がいれば、何かしら話題を探さなければならない。
そんな神経を使わなくても良いのが回転すしを選ぶ理由である。
金欠がホントの理由かな。

「値切るのが 口癖となる 年金者」
給料生活の時は、ボーナスを当てにした臨時支出が出来た。
今では入って来る額が決まっており、ボーナスの様な中間支給が無いから何を買うのにも値切る癖が出る。
流石に行き付けの魚屋とかではしないし、スーパーなどでもレジの前で値切る訳には行かないからしていない。
本も定価通りに購入している。
病院でも値切り交渉はしていない。
そう言えば病院で1度だけした事がある。
予防注射をお願いした時だったが、70歳以上は1000円と思い込んで居たので、2000円と言われたから「あれ?1000円じゃないのかい。」と言ったら、「何方も2000円です。」と言われた事がある。此れは値切りとは言わないか。
先日、年金者同士の一泊旅行をした時、カラオケ料金が此れまで5000円だったのが、10000円となっていたので、前回の料金精算書を見せて5000円にして宴会を楽しんで来た。

「恥無くし 我慢も無くす 老老爺」
唯我独尊人生、厚顔無恥な人生、迷惑を顧みない人生等々の誹りを免れない人生の毎日である。
仏の最も近くに来ているが、やって居る事はかなり道を外れているのかもしれない。
最近の傾向として、暴力老人が増えているとの事である。
一寸した言葉の行き違いで暴言を吐き、相手を罵ったり、挙句には暴力を振るうと言う。
病院の窓口や、スーパーのレジなどが多いと聞く。
長らく待たされていたり、目の前がぐずぐずしていると切れてしまうらしい。
温厚篤実、好々爺は昔し話である。

一度税務署の受付で目にした事がある。
その日は、申告期限間近で長蛇の列であった。
ようやく順番が目の前まで来た時に、直前で受付をしていた身なりのキチンとした初老の男性が突然声を荒げて受付にかみついた。
話の様子から、医療費控除申請を受ける為に医療費の領収書を病院別、支払い年月順に整理をし、束に纏めて添付して来たが、受付の担当者は「はい、ご苦労さまでした。」の一言で受付、中身を確認もせずにそれぞれの箱に投げ入れたのが気に入らなかったらしいのだ。
散々苦労して纏め、申告書に記入し検算をして間違いの無い事を確かめて申告に来て、長時間待たされた挙句が簡単に「はい、ご苦労さまでした。」の一言で処理された、その態度が許せない。
その男性の気持ちも分らなくは無いが、分別有ると思われる歳の人間が他の迷惑顧みず窓口でごたごたと事を起こし、その為待たされるこっちの身にもなれ、と言いたい、とその時思った。

「旅立ちは 地味に質素に ひっそりと」
ずいぶん勝手な願いであるが、これだけは自分で取り仕切れないから後事を託す者の裁量に任せるしかない。
現役の威勢に反比例するのが、葬式の参列者数である。
俺が育ててやった、面倒を見ってやった、あそこまでなったのは俺のお陰だ、などと人前で豪語していた人の葬儀に参列した事があったが、寂しいものであった。

歳を重ねても前向きに生きる事は素晴らしいが、引き際を忘れた人は見苦しい。所謂出処進退を忘却している人が如何に多いか。
求められる事もあるが、黒子として影になって出来る事をして居る人は素晴らしい。
老い方上手、引き方上手、土に還れば皆同じ。

パソ爺などは我が女房殿に、「目立ち足りがり屋で、退き時を知らないんだから」と、面と向かって言われると正直めげる。随分控えめに行動して居る積りなのだが・・・・・。
しかし、自分の分は承知して居るし、傍迷惑と言われない内が花と、今が老骨に鞭打つ日々である。

2012年7月17日火曜日

柴もどきコロの得意技

我が家に来てかれこれ6年になるのであろうか。
この前の台風直撃の時に、家の中に入れてくれと大騒ぎをし、台風が去った後無理やり小屋に戻した結果、すっかり人間不信になり小屋に入ったまま白眼で見る様になっていた。

ようやく元に戻り、孫のサッカーに付き合う様にまで回復した。
孫がトスしたサッカーボールを鼻キックして返している。
鼻が痛いのにと心配するが、本犬は何度でも繰り返す。
その内自棄になるのか、ボールに食いつき始める。
そうなると止めのサイン。
犬も疲れると、ボールが憎くなるのか。
ボールの表面に牙の痕が無数に着いている。

終わりに、私のポーズをムード音楽に乗せ紹介します♡

2012年7月14日土曜日

日田市の記憶

先週から降り続く「これまで経験した事のない大雨」が今週になっても止む気配がない。
熊本や大分県の映像の中に、大分県日田市を流れる花月川の濁流の様子が映し出された。
退職して2.3年頃であろうか、「青春18切符」で中国地方から九州北部に掛けて旅行をした時に、小倉駅から日田英彦線に乗りローカルの旅を楽しんだ事がある。
いわゆる「老春の旅」をしていた。
山また山の中を見知らぬ風景に目をやり、車中の中に飛び交う大分訛りの会話を聞くともなく耳にしながら駅弁など食べ、急ぐ必要のない自由気ままな旅であった。
夜明駅で久大本線に乗り換え、日田駅で降り、予約していた「かんぽの宿 日田」へ宿泊した。

三隈川の中洲に建つ大きなホテルで、8階はあったろうか。
個室の部屋も綺麗で広かった覚えがある。
大浴場の天井は4階位までの高さもあろうか、吹き抜けとなっていたのには驚いた。
源泉かけ流しときているから、湯船を溢れ出して居る豊富さである。
食事も結構豪華?で、地酒などを頼んでちびりちびり独り酒を楽しんでいたら、隣席のご夫婦連れが話し掛けて来た。
何でも地元の方で、月に1度は訪れて居るとの事。
倅家族が同じ敷地に家を建てて住んで居るが、お互いの息抜きとしてここを利用しているのだという。
その時の話の中で、この日田は戦後2度ほど大水害に見舞われ、この辺一帯が湖の様になった事が有り、難渋したとの事である。
二本の川に挟まれ、筑後川となって有明海に流入しているのだとか。
TVで映されている花月川の場所は知らないが、合流される本流があのホテルの眼下を流れていた三隈川の事なのだろう。

日田市はその昔天領で、江戸時代の名残を留めた街並みが多い。
周囲を山に囲まれた盆地のため、大雨が降ると一気に集中してしまう地形が洪水となってしまうとの事。

歴史的景観が残る町並みは、駅の北に広がり小高い位置に展開されているが、その北側の山すそを流れているのが花月川なのであろうか。
新商店街やビジネス街は南口にあり、街を抜けると三隈川に行き当たる。
南口一帯は、大洪水の時に湖の中に沈んでいた場所なのではと、テレビの映像を見ながら当時に思いを馳せるパソ爺である。

2012年7月10日火曜日

美味い処の灯が消える

創業が昭和6年、それから営々として親子2代にわたり地域のみならず、近在の人達に愛されて来た「長◎庵」さんが8月19日をもって閉店すると言う。
現社長の高齢化と後継者が居ない事?、市街地の空洞化による来客数の減少であろうか。
昔の味を知っているリピーター的高齢者が通うだけでは、多寡が知れている。
此のお店の売りは、ラーメンで有ると思う。
昔ながらの出汁作りを知っているのは、その作業を知っている我が女房殿で有る。
道向かいに住んでいたから、一部始終知っている。
だから、最近まではラーメンと言えば「長◎庵」と決めていたから、子供達に他の店を知らないんじゃないの、とからかわれる程の何とかの一つ覚えであった。

夏場は「サラダうどん」がお勧めである。
独断と偏見の誹りを恐れずに言わせて貰えれば、此れまで食した事の有るお店より美味い。
値段も手頃で、盛もある。
スープが美味い。
うどんも稲庭風で喉ごし感、歯ごたえ良い。
具も多く、野菜が不断に盛り込まれている。

右画像は先日、我が女房殿と昼食時に食べに行った時の現物で有る。
どうもPHSのカメラではピントが合わず、遠近構図が上手く出来ない。

実物はこれ以上である。
閉店前迄には是非食して置きたい一品である。

世の中は広い。
もっと詳しい人が居た。
リンクを貼って置きますので、ご覧ください。
http://yaplog.jp/sakuramou3sai/archive/2903

2012年7月8日日曜日

facebookに挑戦

実名登録を売りに登場したfacebookに挑戦して見た。
手引書も無く始めたので、航海地図を持たずに海原に船出してしまった様な気分で操作している。
どうやら登録を終えたら、「お友達になりませんか」とのお誘いが出た。
しかし安易にクリック出来ない。
ネットの向こうは魑魅魍魎の世界と、信用が出来ないからである。

グループの会議で話題にしたら、登録者が居られるではないか。
やはり若葉マークで、講習会で学習したとの事。
早速交信する事にした。
本来の使い方ではないが気心の知れた方であり、安心してやり取りが出るのが一番である。
アドレスで探したら該当者が表示されたので、メッセージを送る。
その内、相手からも「お友達になりました。」のメールが届き、相互交信が出る様になった。
なんて事は無い、糸電話みたいな真似事facebookデビューである。
普段、頻繁にメールで意見交換している仲だから、わざわざfacebookを使うまでも無いのである。

ただ、相手の方のお友達として登録されている中に、知り合いと思われる名前があるので、クリックして見ようかと思うが、写真が未添付のため本人確認が出ないので止める事にした。
この様に、お友達のお友達と輪が広がる効果が有るが、何処まで真実が登録されているか今一の感を抱くのは昭和生まれの為であろうか。

2012年7月7日土曜日

想い出は遠くになりにけり

リタイヤした当時の仲間と結成した会がある。

「亥子の会」と命名した謂われは、亥年生まれと子年生まれの者が同じ年に退職したためで、「イネの会」と呼ぶ事にしたのである。
入職は1・2年の差が有ったが、ほぼ同時期で経歴も同じような経過を辿っているから話が合い易い。
退職した当時、結成に参加したのは17人程居たが、その後まもなく鬼籍に入ってしまった人3人、病気療養中が1人、体調不調、下戸のため主旨に合わないとして退会した人が9人、従って常時顔出しするのは7.8人程度の会となった。
7月5・6日の2日間、伊香保の松本楼で例会が開催されパソ爺も出席したが、僅かに6人しか集まらず今年が最後の例会と決議される事になった。
尤も、パソ爺も心中密に今年が最後の出席と決めて居たのだが、みんな同様な思いで出席していたのかと時の移ろいと老いの進行に気付かされた次第である。

青春時代の悪友も今回欠席していたので、気持ちばかりの伊香保土産を持参して自宅へ行って見た。
暫く行っていなかったので道に迷ってしまい、周辺を往ったり来たりしてようやく辿り着いた。
「ヤー暫く」と歓迎されて上がり込んだが、奥さんから「最近おバカさんになってしまって、皆さんとお付き合い出来なくなってしまったんですよ。」と、現状が説明された。
本人も、「みんなに迷惑かけるからね。」と、あっさり肯定する。
そんな様子は今までと変わらない印象だが、だんだん話を聞いて行く内にやはり少し変だと気付かされた。話がループするのだ。また奥さんの話。
「妄想があって、自分のお金を預かった金だと言って元の職場に届けてしまった事が有るんですよ。」
「時々行方不明になってしまい、近所を探し回る事もあって一人には出来ないんです。」しかしこうして話している分には余り変わらないのだが、傍に居る奥さんが一番知っているのだから本当の事なのだと思う。

パソ爺と年代は同じだが早生まれで学年は上である。
仕事帰りには緑町の屋台を梯子酒したものだ。
二人で赤線にも行った事がある。
宿直の夜に酒を飲み過ぎ、施設のカギをかけずに寝込んでしまった事もあった。
昇進も若干の差はあったが、ほぼ同じコースであった。

今となってはほろ苦い思い出であるが、こうした事も記憶の彼方に消え去って行くのだろうか。
人間は何処から来て、何処へ行くのか。
思えば全てがうたかたの夢で、最後は灰となって一巻の終わりなのであろう。
思えば空しいものだが、これだけは避けようが無く気付けない事が悲しい。

2012年7月4日水曜日

忘却とは、己の能力を忘れ去る事なり

さわやかパソコンクラブでNHKのテキストを使い、Picasa3.9の使い方を学習したのが3か月前である。

今回、新火曜パソコンクラブの学習で同じ題材をWebAlbumにアップロードして、クラブの10人にメールで共有しダウンロードしたものを編集するという、一寸高度な操作をする事になった。
大方の皆さんはダウンロードして来たが、何人かの方は手が付けられずに出席したので手順を解説する事にした。
講師用のWindows7はメールを受信した所から開始し、
「ダウンロードはこうしてください。」
「パソコンに入ったファイルはここに有ります。」と、操作をしたら講師自身がファイルが見つからない。
ピクチャにも無く、ダウンロードトレイにも見当たらないではないか。
3か月前に説明した事をすっかり忘れて居たのだ。
焦るよ、第一みっともない。
予習もせずに覚えて居るだろうと、己が老いを悟らずに臨んだ結果がこの始末である。
結局ファイルが入っていたフォルダーの名前が英字になって居るのに気付かなかったのだ。
ヨウヨウの思いで其処を乗り切り、次は編集に入る。
NHKのテキストは、Picasa2で説明されているので3.9との違いを見て貰い、編集対象画像のコピーに名前を付けてから編集する事にする。
ここでまたまた失敗する事になった。
画像をコピーをして名前を付けた場所はピクチャなのだから、一旦閉じてPicasa3.9を開かなければならないのにピクチャーのまま編集しようとしてしまった。
先ほど見て貰ったPicasa2と3.9の違いの編集画面にならない。
休憩して、一息入れ冷静になって気が付いた。
Picasaに切り替えて居ないから、編集しようとしても出来ないのが当たり前なのである。
次に混乱したのが、コピーした画像が分からない騒ぎとなった。
講師パソコンは拡張子表示になっているから、画像の下に名前が表示されているので一目了然。
「ここ、ここだよ」と言っても生徒さんのパソコンは拡張子表示になっていないから分からない。
編集画面の下の帯に表示されるようになっていたのだ。それも小さい字で。
この日は散々であった。
己のスカスカ脳ミソを忘れて予習もせずに臨んだ報いであると、つくづく思い知らされた半日であった。

2012年7月3日火曜日

小沢離党声明、「国民」「国民」のたたき売り

遂にと言うべきか、止む無く離党せざるを得なかったのか、本当の事は分からない。
しかし、声明文で読み上げられた文面に、「国民が」、「国民に対して」の文言が14も入っていた。大義の人の如くに振る舞っているが、内実はどうなのか。
献金疑惑の被告人であり、自民党時代は田中角栄氏の側近としてロッキード金脈を学習し、金丸信二氏の金まみれの中で育ち、幹事長時代には総理適格審査人として次期総理候補者を呼びつけていた時代があった。
田中氏が失脚し、金丸氏が失権した為に自民党に居場所が無くなり、政治改革は2大政党で無ければならないとの旗印で脱党し、それから政党のビルド&スクラップを繰り返し、その都度政党助成金を懐に選挙資金にして小沢チルドレンを育成して来た。
そんな人が、国民の為に離党して不義を正す、消費税増税を阻止すると、声高に読み上げる空々しさにはうんざりする。
以上は推測の域を出ない、呆け老人の妄言と読み流して頂きたい。http://motozaemon.blogzine.jp/chek1/2012/06/

2012年7月1日日曜日

我が家の菜園

猫の額の様な庭の片隅を利用して、葱や韮等を植えている。等と書くと、他にも栽培している様に聞こえるが、独活や日除けの苦瓜と自生の赤紫蘇や青紫蘇、摘み菜、茗荷が有るに過ぎない。葱はこの春、1株がどんどん増える「分け葱」との事で農産物センターから購入したが、ご覧の通リの有り様。
肥料もくれないので分株しなのか、土寄せが足りないのか分からない。
なお、本文の下に時計表示が出る様にしたが、これはHTML構文を丸移したものである。
此れを新しいページに自動的に移せないか、試みるが方法が見当たらない。

此のブログは、先日「rajiko_plaer_air」をダウンロードし、TBSラジオを聴きながら書いている。結構楽しい。

2012年6月29日金曜日

Google Ad Senceで広告に挑戦

「パソ爺の残日録」に広告を載せる実験をしている。
Ad Senceで自動的に載せられるようになったが、広告コードを貼り付ける事の意味が理解できず、今こうして作成するブログに貼り付けて見た。
どのようになるのだろうか。

この様になった。
しかし、記事と関連する広告はなかなか表示されない。この辺は広告コードの貼り付け方に関係するらしい。

HTMLの素養が有れば出来るらしいが、今更基礎から勉強する気も起きないので諦める。

2012年6月28日木曜日

インターネットで本購入、受け取りで四苦八苦

「バーコード今昔物語」と題して、コンビニでのバーコードに感心した事は12年の1月7日号で書いた。今回は同じコンビニ利用で、四苦八苦した経験を紹介して見たい。

市内の本屋を探しても見当たらない本をAmazonで探す事にし、インターネットを起動。
たちどころに該当物件が見つかり、買い物かごに入れ支払い方法を近所のコンビニ払いとし、、受け取りも同じコンビニを指定しようとしたが該当が無く、堀口町のローソンのみと有るので止む無く其処にして発注した。
翌朝、パソコンから払込伝票を作成して近所のコンビニへ持参、バーコードで簡単に入金出来た。本当に便利になった。ここまでは順調、順調。

そして翌日の昼頃、発送したとのメールがPHSに着信。
生涯学習館の帰り道、ローソンへ立ち寄る。
其処であたふたしてしまい、つくづく老いた自分を自覚せざるを得ない事になった。
払込伝票さえ有れば受け取れると思ったのが大間違い、お店に行くと「其処の受付機で受け取り伝票を発行してください。」と言われ、不審に思いつつキャッシュ自動支払機の気軽さで操作しようとしたら??????である。
選択項目が8項目ほどあり、それを選ぶのが一苦労。
ようやく該当する項目をタッチしたら同じような選択画面が更に表示されるではないかい。
再びあれやこれやと探し、該当項目をタッチ出来た。
お問い合わせ番号を入力せよと来たので、払込伝票に記載されている13桁を入れ始めたら手前で進まない。
何度再入力しても進まないのだ。
そんな事を繰り返していると、後ろに人が立ち始めるから、なお焦る。
仕方なく店員に尋ねたところ、認証番号はメールで届いている訳です、と言われハタと気が付いた。
PHSに「コンビニ受け取り認証キー」のメールが来ており、吾輩は受け取りが出来るメールと早合点し、中身を読んでいなかったのだ。

そこでまたまた問題が発生、眼鏡を自動車に置いたままだからPHSの字が小さ過ぎて読めない。
余りに時間が掛るので後に並んでいる人と交代し、眼鏡を取りに駐車場へ行く。
ようやくメールの文面が判読出来るようになり、お問い合わせ番号12桁、次の画面で認証番号7桁を入力して受け取り伝票がするすると出て来た!!!!!!。
後は簡単で、伝票を店員に渡すと奥の方に行き、段ボール抱えて来て署名をして受け取り完了。
しかし大変だね、と言うと「お一人で出来たんですから偉いですよ。」と来た。
褒められたんだか、こんな事を年寄りがするから大変なんだよ、と慰められたのか分からない言葉を掛けられお店を後にする。

もっと簡単にしてくれー!、と声を大にして叫ぶパソ爺である。

2012年6月25日月曜日

新火曜パソコンクラブでWeb Album

今年5月度から担当する新火曜パソコンクラブは、6年目のクラブで最後のサポート年度となる。
このクラスはパソコン持ち込みで、殆どの方がWin7である。
そのため、既に前任者がインターネットの手解きをしていたので比較的話しやすい。
先ず最初は、マイパソコンを知る事から始め、次にセキュリティソフトを検証させる。
そうした事をしてからGoogleアカウントを再確認し、新たにWindows7を購入した人の設定をしたり、Gmailの受信を携帯電話と連動させる設定をしたが、携帯電話との連動は2.3人のみが出来たに過ぎないで終了。
この件は、深入りせず。
何故なら、携帯を所持しているがメールの送受信をしている人が少なく、電話利用が中心の為。

Googleカレンダーは学習済みであったが、予定が無い日も通知が毎日届く設定をしていた為に設定を削除してしまっていたのを復活させ、予定日の有る日のみの通知が来るように設定し直す。
物忘れが多くなって来る年代であるから、医者の予約、会議の予約などを登録して置けば前日にメールの通知が来るようにする。
小生などの予定は、日赤の整形予約が2ヵ月間隔、伊勢崎病院と来た日には6カ月先であるから手帳にメモっても忘れてしまうから便利である。
此れは全員が出来るように時間を掛ける。
本来は、この通知が携帯にも連動させられれば、なお便利になるのだが。

6月に入ってから始めたのは、PicasaのWeb Albumである。
Picasaの場合、編集を先に学習するのが一般的と思うが、敢えてWeb Albumを取り上げメールとの共有を先にする事にした。
此れがスムーズに出来る様になったら、デジカメでの撮影会を考えている。
それをパソコンに取り込み、Picasaで編集し、Web Albumで作成したものを学習仲間と共有し合う行程を考えている。
7月一杯掛けてゆっくりと、反復しながら全員が物に出来る様にしたいと思っている。
折角時間を掛けて学習しても、使われなくなって仕舞う事の無意味さを味わいたくないため。

パソコンを習う事の目的は人それぞれ違うのは有り得る事で、一律に押し付けても無理が出る。
例えば、写真の共有をブログで行う事の紹介をしても、日常的にブログを更新する題材や、時間、習慣等が無ければ一時的に終ってしまい、開店休業になってしまう。

今回は、果たして考えた様に行くか、その結果はブログで報告したいと思っている。
乞う、ご期待。

2012年6月20日水曜日

台風4号の風雨に怯える、コロ騒動

我が家の柴犬もどきの牝犬は、台風に怯え大騒ぎ。

群馬県を直撃した台風4号の風が強くなり始めた頃、山茶花の下に設えてある犬小屋が吹き飛ばされないかと見回りに行った所、犬は小屋から飛び出して居りワンワンキャンキャン、吹き殴りの雨と風の中で怯えまくっている。
孫が設えた発泡スチロールの板が戸口に風雨除けとして立て掛けてあるが、その隙間から外に出て錯乱状態になっている。

仕方なく家の中に入れる事にして勝手口に連れて来るが、嫌だ嫌だの仕草で廊下に飛び上がる気配。泥足も構わずに。
止むを得ず玄関に入れる事にしたが、どうしても人間と同じ場所に居たいらしく落ち着かない様子である。
好物のビスケットを与えても最初は見向きもせず、上がり框に泥足を掛け廊下の上に載せて貰いたい意思表示をしている。
使い古した座布団を敷いてやったり、水飲みを用意したり、「お座り!」と号令を掛けてようよう落ち着かせることに成功し、ビスケットが食べられる様になった。
しかし、我々が座敷に入ってしまうと、上がり框から泥足で廊下に上がり家の中を窺っている。
そのため、九州から出張で前橋に来ている二男が、これも此の風雨の中帰って来ると言うので玄関口で犬の見張りを兼ねて待ち受ける事にする。

台風来襲の最中、研修会議の後の懇親会を吉岡の料亭で開催して帰り、新前橋から両毛線で帰って来ると言うが、両毛線は新前橋、前橋間は運転見合わせのテロップが表示されている。
携帯でその事を知らせ、無理して帰らずに付近のホテルなどに泊まったらと、連絡するがタクシーで10時過ぎにずぶぬれで帰って来た。
何時もは、帰宅の度に吠えるコロはワンでも無く、キャンとも吠えず、知らん顔をして出迎えるではないか。

昔、犬のいる家に泥棒が入いられる時は、嵐の夜が多いと言われているがその通りらしい。
風音や雨足が邪魔をして、自慢の聴覚が不能になってしまうらしいのだが、見事に実証していた。
遠来の来訪者にかまけてコロの事を忘れ就寝してしまったが、気付いたら午前2時を回っており外は風雨が止み静かになっている。
コロは?と思い出し、寝ぼけ眼で玄関に行くとお座りして待っている。
小便は?と見回わすが痕跡が無いので一安心。
戻るかい?と声掛けしても吾輩の顔を見上げるだけ。
小屋に帰ろうと、引き戸を開けるが外に出る気配なし。
台風は行ってしまったんだから大丈夫だよと、曳き綱を持って小屋の前まで連れ行くが嫌だ嫌だの仕草で小屋に近付きたくない様子。
ようやく繋ぎ直し朝を迎える。

しかし、今朝の様子が何となくおかしい。
ぐたーと小屋中に寝そべり、元気がない。
どうしたんだいと、呼び掛けても白い目で見上げているだけで、スネオ君になっている。
嵐が静まったとは言え、嫌る小屋に繋がれてしまった事に人間不信になってしまったのであろうか。
暫くは、精神リハビリーをしなければならないのだろうかと、心配の種が出来る。。
そう言えば、原発避難区域に置き去りにされていた犬猫は、極度の人間不信になっており、呼び掛けても近寄らず、保護されても檻の外に出たがらなくなってしまった姿が報道されていたが、犬も人と同じように感情が有るのかもしれない。
犬が白眼で人間を見る表情は、独特のものである。

2012年6月18日月曜日

落語全集CDの値段は?

先日、戸田書店に出掛けお目当ての本を探したが、見当たらないので店員に聞いてみた。
直ぐパソコンを操作して在庫確認をしてくれたが、未だ出版されていないとの事、23日か24日頃になるらしいので、折角来たのだからと店内を当ても無く眺めて居たら、CDコーナーが有るのに気付いた。
蔦屋などには広いCDコーナーが有るのは知っているが、戸田書店のCDコーナーは初めてである。
何が置いて有るかと見回したら、「落語名人寄席」CD10枚が980円で4巻セットが並んでいるではないかいな。
1巻当たり平均7人の演者が2席づつ計20席、4巻で80席の噺が4,000円以下で買えるなんて掘り出し物と、衝動買いをしてしまった。

此れまでは隔週で発行された「昭和の名人落語」1,190円を購入していたが、このシリーズは平均1人2席だ。CD1枚のみで解説本が付いている。
26巻発行され、またその後完結編と称して26巻発行された。
計52巻となったが演者は前作と重複しているが、噺は新しい物で録音されている。
衝動買いしたCDは1枚98円、1席49円に対して此れまで購入していたのは1190円、本代1000円と見て190円、1席95円と倍以上の計算になる。
装丁が良いから、その分高くなっているのだろうか。
何れにしても、物の値段は分からないものと感じた1日であった。

なお目当ての本は、縁戚の大学生が書いた推理小説が松本清張賞を受賞した本で、「烏に単(ひとえ)は似合わない」というものである。

2012年6月12日火曜日

災害ボランティア考

パソ爺の知り合いの細谷さんは、東日本災害ボランティアとして活動している。
先日も南三陸町の泥の掻き出しに行ってきたとの事である。
それも桐生市の社会福祉協議会に登録しての活動である。

細谷さんとの繋がりは後日として、なぜ桐生市社協なのか、が気になる。
伊勢崎市としての取組はどうなって居るのだろうか。
桐生市といえばおかしな市議会議員が、おかしな発言をインターネット上で発表して物議を醸しているが、しかし、市としては震災瓦礫を受け入れ、焼却を始めた。
伊勢崎市の取り組みはどうであろうか。
他市との比較はそれぞれ条件が違うから同一には判じ出来難いが、伊勢崎市としての取り組みが少ないような気がするのはなぜだろうか。気になる点である。

その細谷さんが気掛かりな事は、だんだん支援する人が少なくなって来ている事だという。
現地には山の様な瓦礫が手付かずに残され、塩害田畑がそのままにされている。
これからが支援の必要時だが、支援疲れか、記憶の風化が始まっているのか、一人でも多くの人手が求められているとの事である。

パソ爺も行ったらと、言われそうだが、この老体では受け入れ先の足手纏いになるのが落ちである。
せめてこのブログで現地の様子を知って貰い、支援の一助を担うだけである。

細谷さんが属する桐生市災害ボランティアセンターのサイトは次の通りです。
関心のある方はクリックを。
http://www.saigaivolunteer.info/touhoku

2012年5月24日木曜日

金環日蝕とスカイツリー開業イベント

「金環日蝕」の文字変換がなかなか出来ない。
一文字づつ変換してようやく表示出来た。
手帳の5月21日の欄に「本日、金環日蝕」と記入しようとしたら、「蝕」が思い出せない。
仕方なく辞書を取り出して引いて見た。
「しょく」は「蝕」でも「食」でも良い事が分かった。「食」なら書けたのに「蝕」を書こうとして悩んでしまったのだ。

翌22日は、634mの電波塔として世界一の高さを誇る「スカイツリー」の開業イベントが華々しく且つ喧騒的に開催された。
生憎の荒れ模様で、夕刻時は上りのエレベーターを停止する有様であった。
それでも当日の人出は20万人との事、一番乗りを目指す人が多いのには驚かされる。
パソ爺などは行って見たいとも思わないのに、世に中には好奇心旺盛の人が如何に多い事か。
テレビ、ラジオ、新聞がそれ一色となってしまう事も恐ろしい。

パソ爺は、外食をする時などに食堂で並ばされるのさえ嫌だから、「並んでまで食って見たい物か?」などと嘯きながら、余り人気の無いお店を探す。
従って味は二の次となってしまう。
しかし、飛行機の搭乗時などは仕方なく並んでいる。
だから、並ぶ、並ばないの判断は、時と場合で使い分ける。
当たり前と言えば当たり前の事で、ここで書き連ねる主意では無い。

言いたい事は、金環日蝕やスカイツリー開業などのイベントが経済試算とか何とかで推し量る風潮に嫌気が指すのである。
便乗商法が嫌である。
高く盛り上げたスカイツリー天丼など食いたいとも思わない。

NHKの大河ドラマで町興しを図るのと似ている。
街並みを整備したり、ドラマに因んだお土産を作り出したりと大騒ぎをするが、1年も過ぎると潮が引くように閑散となってしまう。

原発事故、夏の電力不足と料金引き上げ、消費税率の引き上げ、交通事故の多発などなど暗いニュースが多い中だから、殊更こうしたイベントを盛り上げ気分転換させようとしてくれる算段なのか。

それこそ大きなお世話と言いたい。
パソ爺はコップ2杯のアルコールと、落語を聴いて寝られれば毎日が楽しく終了できる単細胞人間である。

2012年5月10日木曜日

さわやかパソコンクラブでの歓送迎会

5月10日木曜日
この1年担当したクラブを交代する事になり、本日歓送迎会を開催してくれた。
緑町の「吉野寿司」で午後12時からである。
ここ数日大気が不安定で、先日もつくば市などで竜巻が発生し甚大な被害が出たばかりである。
今日も関東地方一円に突風、にわか雨の予報が発令されたが、午前の穏やかな天気が昼頃になって、俄かに雲行きが怪しくなって来た。

そうした中、渡邊会長を始め会員の皆さんによる会が和やかに開催された。
Mネットからは、退任する近藤、新任の大村、板垣の3人である。
詳細はリンクを張って置いたのでご覧ください。


此の吉野寿司は、その昔々大いに利用させて頂いた懐かしの店である。
今のお店は改装して小奇麗な料理店の風情を漂わせているが、その頃はお世辞にも綺麗な寿司屋とは言えず、安月給の我々としては安く、盛りが良いお店として利用していた。
すっぽん料理などを頼むものなら、手足がそのまま鍋に入っており目をつぶって食べたものである。
白魚の吸い物は、お椀に白魚を泳がせて飲んだ事がある。
今では倅が修行して来て店を切り盛りしているらしく、今日のランチタイムメニューは垢抜けしたものである。
味もまあまあである。
さわやかの皆さん、ご馳走様でした。
http://myuu-miri.blogspot.jp/

ひと足早い衣替え

パソボラ新年度を迎えて、パソ爺ブログは衣替えで心機一転。
5月9日水曜日、担当2つ目の「パソコン2011」の初出勤。
このクラスは3年目で、17人が在籍している。
女性14人、残り僅少が男性である。
どの講座もこの傾向で、男性が教室の片隅で学習する姿を目にする。

2年間、WoedとExcelの基礎を学び、今年度から「Wordで作例づくり」のテキストを購入しての学習となった。
前任者との協議で決まり、用意万端決まっている所に来たと言う訳である。
そう言えば、昨年の「さわやかパソコン」も学習方針が既に決まっており、「NHKのデジタル写真(基礎編)」が用意されていた。

学習方針に異を唱える積りは無いが、「Wordで作例づくり」はかなり幅広く作例が紹介されて、時間を掛けて習っても実用的に使える例がどれだけ有るか疑問がある気がしたので、開口一番「このテキストを全て習っても、役立つのは数例しか無いように思いますが、Wordのいろいろな機能を習う事で応用する事が出来ます。」
言わんとした事は、今使えなくても、後で思い返して使える様になればそれで良い、との意味の挨拶をした。

借用する学習館のVistaパソコンには作例集をダウンロード出来ない上に、CD/DVDデッキが装備されていないからCDも作ってやれない。
仕方なく自分のパソコンにダウロードし、解凍したファイルをUSBにコピーし受講者一人ひとりのUSBに移植してやる。

本来ならそうした一連の操作も受講者にやって貰えれば学習になるのだが、制約のあるパソコンの為、スキップせざるを得ないジレンマを感じる。
せいぜい話してやれる事は、USBの利便性、利用の仕方、セキュリティ対策などについて時間を掛ける。

まあそんなセレモニーを経ての開講であった。
これからの一年が無事に、実り有る年である事を願うだけである。

2012年5月9日水曜日

パソコン講座初出勤

パソコンボランティア・Mネットにも人事異動がある。
24人のメンバーが、14講座に男性2回、女性1回を原則に担当している。
講座の受講者人数15人以上は3人で対応し、未満から現在最少人数7人の場合は2人が割り当てられている。
担当期間は此れも原則2年を限度にして担当を変わる様にしている。
吾輩は1つの講座が6年になりサポートが終了の為、もう1講座は1年しか経っていないが全体的な調整の皺寄せで交代しなければならず、今回は火曜午後の「新火曜パソコンクラブ」と水曜日午前の「パソコン2011」を担当する事になった。

メンバーも慣れた担当を継続したいのが人情で、受講者も顔馴染みになった講師が良いに決まっているが、其処を承知で交代するのはそれなりに理由を付けている。
パソコンの使い方は奥が広く、幅広いものであり、未知の使い方が幾らでも有る訳で、それを浅学非才な我々が6年間も同一講座を担当する事は受講者を一方付けてしまう恐れが有るから、数人の担当者が経験や知識を角度を変えた学習して貰う事が受講者の為と、異動をお願いしている。

5月8日火曜日、「新火曜パソコンクラブ」の初講座に出掛ける。
全くお初という事は無く、顔見知りの方も何にか居られるからそれ程の緊張は無いが、大方は初めての方で其方もどんな講師が来るのか期待と不安の気持ちで迎えている。
禿げ爺さんの登場で期待外れというリアクション。
この教室は6年目で最後のサポートとなるので、マイパソコンのスペックを調べる所から導入する事にした。
しばらくして気付いた事は、インターネット接続をしているのでセキュリティを確認した所、11人中4人が購入時のウィ―ルスバスターが期限切れとなっているではないか。
Windows7のアクションセンターが真っ赤っかである。
5年も学習しているのだが、インターネットの活用とセキュリティ対策が手薄となっているのである。
公のパソコンを借用している関係で、WordとかExcel、ペイント、デジタル写真などに偏り勝ちとなっているの我が団体の弱点となっている。

そんな訳で急遽セキュリティの確認を何処でするか、Xpパソコン、VistaパソコンとWindows7パソコンの3種類を同時進行でする事になった。
期限切れの4人のパソコンには、Microsoft Security Essentialsをインストールして貰う事にしたが、Xpパソコンの場合、不具合が出る恐れがあるので現ソフトの更新バージョンで別途知り合いに頼んで最新にして貰う事にした。

其処でまたまた問題が出る。
期限切れのソフトを削除しようとしたら、1台はOKとなるが2台のソフトは削除がループするらしく終わりにならない。
そんな事で午後の2時間30分は瞬く間に消化してしまい、その日は終了する事にした。
疲れた~。初めての講座の気疲れとセキュリティソフトの取り扱い憎さに辟易しての疲れである。

2012年5月6日日曜日

鳩の巣

先月の初め頃からか、鳩の鳴き声がしきりに聞こえるようになった。
ボボポーウと、余り美声で無い野暮ったい鳴き声だ。

その内、猫の額より狭い庭先に有る山茶花の茂みを出入りするようになった。
雄雌の番であろうか、2羽で交互に小枝や藁の切れ端を咥えての行動である。

山茶花の下には犬小屋があり、時折犬は小屋の屋根に飛び上がり騒々しいにも拘らず、巣作りをしている。
鳩の巣は、大雑把である。

雀や雲雀の巣は実に繊細に作られており、抱卵する中は滑らかに、壺の様に丸く形作られているが、鳩の巣は木切れを積み重ねたものである。

先日の大風で吹き飛ばされたのではと覗いて見たら、健在であった。
葉が茂り、適当に風除けとなったのであろうか。
カラスや、尾長鳥の外敵からも眼隠しとなっている。

卵を抱いている様子は見られなかったが、何時しか雛の鳴き声がするようになった。
餌らしきものを口に咥えて来巣する時など、忙しなくピーピーと喚いている。

様子を観察しようとするが、普段は親の懐に隠れて居るのか姿を見せない。

それにしても野生界の営みは、人知に勝るものがある。
人間は、あれやこれや習い、こう有るべきとか、してはならないとかを、親が、周囲が教えて育つ。
幼い頃から教えられ、人倫を説かれて来るが、成長するに従い犯罪を犯す者、 裏切り行為をする者が出る。
挙句の果てに人が人に裁かれ、死刑にさえなる者が居る。

一体人間て何だろうかと、つくづく考えさせられる。

餌を運んでくる親鳩を待つのか、巣の中でじーっと待つヒナ一羽
巣の色と同系色となっているのが自然界の妙である。

付記 このブログは、Internet Explorerで編集出来なくなり、Google Chromeを起動して編集したものです。
検索ページで問い合わせてみると、同じような現象で悩んでいる例が結構あります。

2012年4月19日木曜日

2年越しのウド収穫

WPCの講座を受け持っていた時に、品田さんから根分けして頂いたウドが収穫できた。
隣家の塀際に植えたため、日当たりが悪く育つかいなぁと、心配していたが翌年芽を出し大きく育ったが、アメヒトにやられ散々な状態で2度目の冬を迎えた。
枯れ葉を上に積み重ね防寒対策をしてやり、更にその上に培養土1袋を被せてこの春の発芽を待っていた。
桜の花は散り、気の利いた庭先の花々は終わりに近づいても、一向に芽は出て来ない。
昨年の幹は枯れ細り半ば諦めの心境であったが、先々週であったか駄目もとで根元を掘り起こして見た。
10センチ辺りまで掘った所、枯れた幹の根元に白いものが見えるではないか。
そして、ここ数日の温かさで培養土を掻き分けて、ウドの葉が外に顔を出した。
土の中にある内に収穫しないと硬くなるというので、本日、根元を掘り、切り出して見た。

原発事故の影響でセシウムが降り注いだかも知れないが、この歳で体内被曝しても余命には影響ないと、酢味噌で食する事にした。

PHSで写真を撮り、自分のメールに添付して此のブログに貼り付けてみた。

品田さん、お陰様で季節ものを食べる事が出来ました。
ありがとうございました。

2012年4月13日金曜日

さわやかパソコンクラブブログへの写真挿入

ツールバー「リンク」の右のアイコン「画像の挿入」をクリック。
「ファイルを選択」画面で、「参照」をクリックし、予め保存して置いた画像のピクチャホルダーから保存して置いた画像を選択し、「選択した画像を追加」をクリックすればブログに表示される。
表示写真をクリックするとツールバーを表示されるので、「大きさ」、「位置」などを決める。
右図はサイズが小で、右寄りに設定したものです。
なお、写真を加工して挿入する場合は、「ペイント」などで編集保存した写真にして置きます。

本文の文字種、サイズ、色等は、この画面のツールバーを利用します。

2012年4月12日木曜日

さわやかパソコンクラブブログ作成経過

今日で4回目のブログ作成学習である。
Googleアカウントの作成に手間取ったが、その後はほぼ順調であるかな?。
本木さんのブログアドレス:「http://myuu-miri.blogspot.jp/
ニックネーム:「水芭蕉」
大島さんのブログアドレス:「http://www.obasannikki.blogspot.jp/
ニックネーム:「伊勢崎のおばさん」
小野さんのブログアドレス「アカウント取得中」
ニックネーム:「未定」
渋沢さんのブログアドレス「http://birthasamayama.blogspot.jp/
ニックネーム:「ラビット」
渡邊さんのブログアドレス「http://hirosi-desu.blogspot.jp/
ニックネーム:「ひろしデス」
前原さんのブログアドレス「http://mkmakokizuna.blogspot.jp/
ニックネーム:「きずな」
細井さんのブログアドレス「http://hideko1659.blogspot.jp/
ニックネーム:「デコの気まぐれ日記」
菅野さん・・これから

2012年4月5日木曜日

さわやかパソコン講座でブログ作成

平成24年2月から、ブログ作成のためにGoogleのアカウント取得の勉強をして来た。
Googleの設定画面が日々進化しているためか、マニュアルを作っても1か月も経つと微妙に変わっているので対応が大変である。

どうにかこうにか全員がアカウントを取れ、足並みが揃ったのには随分時間が掛った。

受講者の皆さんも神経をすり減らしたのではないかと、 同情します。

完成すればお互いに披露しあったり、コメントを書き込んだりして休憩時間を忘れる程熱中しています。

右写真は、ブログ作成に取り組んでいる受講者の皆さんです。

映っているのは4人ですが、本当はもっといます。
このクラスも4月までで、5月はどのような勉強をするか、お楽しみです。

撮影日 平成24年4月5日

2012年3月26日月曜日

小惑星イトカワとパソボラ集団

2010年10月13日、宇宙探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワに到達し、その表面を詳しく観測して60億kmの旅を終えて地球に帰ってきた。
その事を話すほど詳しくはない。

小惑星イトカワのイトカワに関連しての話をして見たい。
イトカワは、東大宇宙研究所の所長をしておられた、糸川英夫氏に因んで命名されたと記憶している。
この方の著書で「逆転の発想」というベストセラーがあった。
パソ爺が若年のころ読んだもので、当時、仕事のマニュアル化とか標準化などが提唱されて、大福帳行政の効率化が求められていた頃である。
その中で、今も記憶に残る記述が、後2.30年もすると労働力は総シロウト集団化するだろう、という事であった。
つまり、マニュアル化が進めば経験、熟練が必要で無くなり、マーケットの店員が翌日から自動車工場のラインに従事する時代が来るであろう、と予言されていた点である。
業務のコンピュータ処理、手順のマニュアル化の導入、机の配置、細かくはペンの置き方までがいろいろと提案される時代であった。

しかし、労働力のシロウト化という説には幾分懐疑的に捉えて居たが、今やどうであろうか。
コンビニや、外食チエーン店等の接客方法、飛行機のキャビンアテンダントまでが慇懃な物腰、作られた微笑、全てがマニュアル化して気持が入っていない気がするのはパソ爺だけだろうか。
金太郎飴のように感じる世の中になっている。
技術面でもコンピュータ制御であるから、2.3週間の研修で現場に配属されて来る。
ただし、伝統工芸品などの製作には、匠と言われる職人技が求められるのは今も変わっていないが、大方の職業がシロウト化して年季の入った人が少なくなったような気がする。
こうした事を糸川英夫氏は予言していたのだろうか。

警察官が、自首して来た指名手配犯を門前払いするとか、留置場から逃げられるとか、殺人事件を見落としてしまうとか、凡そ考えられない事が起きる時代となった。
孤独死が話題となっているが、福祉関係のマニュアルで何日以上連絡が取れない、部屋から死臭の匂いがする、などがなければ強制的な立ち入りはプライバシー上出来ない、との弁である。
それまで待っていては、助かる命も助からないのではと思うが、如何だろう。
ケースワーカーと言う専門職が福祉部門に配属され、生活困窮者を始め一人暮らしの障害者、高齢者などを訪問し、話し相手になっていたのが福祉の専門職員であった。
名前が変わって保健師となった昔の保健婦は、自転車で地域を回り情報源となっていた。
だから、仲人の真似事の様な事までしていた。
どこそこの家には結婚適齢期の娘が居るとか、年頃の倅が居るとかの話を持ち寄りくっつけ合っていた。
地域の情報は家庭訪問に尽きる。
警察管でも同じで、巡回が自動車では上澄みである。、
又、今時の職員はパソコンとの睨めっこが、仕事であると勘違いしているのではないだろうか。

だからなんだと言われると、単なる後期高齢者の愚痴となってしまうが、一歩振り返り我がパソボラを考えるに大同小異で、所詮は素人の真似ごとに過ぎない。
パソコンを早くから習っていたから、長い間使っていたから全く出来ない中高年者より少しだけ出来るに過ぎない。
月謝を払い、基本を勉強し、公の試験を受けて活動している人は少ない。
パそ爺自身がそうであるように、素人に毛が生えて居るだけのものである。
肝心の所の毛は少なくなって来ているから、差し引きゼロ経験とでもいうべきかもしれない。
だから、最新情報はなるべく手に入れるようにし、マンネリ化とならないよう努力をしているが、悲しいかなCPUが陳腐化してカラカラとなっている。
糸川氏が予言した、素人が世を持つ時代の代表的例かもしれない。反省

2012年3月23日金曜日

中高年パソコン講座今昔

中高年者を対象としたパソコン講座のサポートを始めて、今年が10年目となる。
スタート時の2・3年は暗中模索の連続で、ただ無我夢中で喋り巻くっていた。
その間のエピソードは、此のブログ(2011年6月「パソコン教室は花盛り」)でも紹介して来たところであるが、毎年40人からの新入受講者を迎えているから、同じような出来事は起きている。
しかし、こうした方々のお陰で我々は勉強も出来たし、講座の進め方などに大いに役立てる事が出来た。
所詮は素人集団であるから高が知れたものだが、代表して感謝感謝である。

ただ、ここ数年の傾向は、本来の初心者が少なくなって来ている。
募集要項には、「60歳以上でパソコン初心者」としているが、4・50代の女性も応募して来る。年齢を聞く訳に行かないから黙認しているが・・・。
だからパソコンの経験も若干有るようで、どうにか動かせるが更に上達したいという人が多くなって来ている感がする。
此れまでは、マウスに慣れて貰う為の時間と苦労があったが、最近の応募者には10年前と比較して格段に少ない。
パソコン用語も結構知って居り、いちいち解説をしなくても進捗出来る雰囲気である。
その点講師を務める側も、予習復習を怠る事が出ない。
むしろ以前の数倍の予習をして、臨まなければならない。かなり細かい事も聞いて来るからである。
そんな細かい事まで知らなくても良いと思うのだが・・・、と思う今日この頃である。

昔は、横一線で進めたが、ここ数年はレベルの格差が出て説明も多岐に亘って触れて行かなければならない。
規定課題を終了してしまっている人、まだ入り口で戸惑っている人など、混在する教室の空気を見ながら進めて行くが、要する時間は数倍となる。
従って、3年4年と経つ講座では、慣れた人に難渋している人の手助けをお願いしている。
尤も此れは、パソ爺の受け持つ講座に限った事であるが、サポートしているのがパソ爺一人ではサポートが出来かねる為で、大いに助かっている。

それにしても、Googleサービスの多様性には驚きであるが、その変化、進化に追い着いて行けない、と言うのが正直なところである。
主なサービスは、Googeアカウントを取得しなければならない。
アカウントの入力項目、絵文字入力、本人確認の携帯電話番号又はメールアドレス入力など、受講者全員がアカウント取得に要する時間は相当なものになっている。
インターネット上に解説ホームページが出ているが、2011年と2012年では変わって来ている為、そのまま使えない。
Googleの公式ホームページは、英字の画面で解説してるから始末が悪い。
タイムリーな解説を見つける努力と、個人的に作成する為のエネルギーはかなりのもので、最近は根気が無くなり省略部分が多くなってしまう。
その分、口頭説明になってしまうが、なかなか理解して貰えないのが悩みである。
聞いている傍から忘れてゆく年代であると共に、理解力に差があることも事実で、そうした人に限って隣の人に聞いて居て、こちらに耳が向いていないのである。

パソコンのXP、Vista、7の違い、おなじOSでもグレードに差があり、HDDの空き具合など、一様に行かない事情がある。
島倉千代子の「人生いろいろ」と同じで「パソコンいろいろ、頭もいろいろ」、と言うべき事かもしれない。
Word、Excelを一通り出来るようになり、デジタル写真編集、アナログ音楽のCD化、ペイントの活用などなどをマスターした後は、インターネットの利用、メールの利用に発展して行かなければ、パソコンが使えますとは言えないと思っている。



2012年3月9日金曜日

第9回シニアパソコンフォーラム終了す

今回で9回目となるフォーラムが、3月8日無事終了する事が出来た。
参加人員は、244人で例年に比較して少ない。
募集の宣伝も控え目で、知っている人を中心に興味が有る人が来て居ただければ、との方針で有ったためかもしれない。
これは負け惜しみの弁とも受け取れ兼ねない。
企画がマンネリ化して居るのでは、との思いもある。
テーマは年代や学習内容に合わせた「健康」とした。

パソコンを快適に使って行くための、メンテナンスやバックアップの必要性と、手順を根岸先生からお話して頂き、ご自身が実際に体験した事を中心に纏めてくれた教材を配布してのものである。
プロジェクターで上映しての解説で有る。
Mネットの学習で手薄となっている分野であるから、我々も大いに参考となった。

アトラクションとしては、県内で病院やホテルでの公演活動をされている、立川談志のお弟子さんで、渋川市在住の「立川朝志」さんに健康を中心とした漫談と落語「愛宕山」の2席で会場を沸かしてくれた。
爆笑の渦と表現しても良い程の受けで有った。

そもそもフォーラムを開く切っ掛けは、個々の講座では知る事が出来ない総合的な情報を知って貰う事であった。

初回の基調講演として、今回もお願いした根岸泰子さんの「高齢者がパソコンと付合う時」、パソコンを習っている人からの体験談を発表して貰い、現在受講中の人の参考にするというものであった。
何のためにパソコンを学習するのか、目的意識を持って貰う為の企画で有った。
従って、発表内容も
1 日常性があること
2 地域性があること
3 楽しめること
4 継続性があること
5 学習性があること
以上の条件を1つでも満たせば良いというものであったが、かなり高い基準を設定しての選考で有ったがため、4回目で行き詰まってしまった。
仕方なく5回目からは、基調講演は根岸さんから時宜折々の情報を紹介して貰いながら、発表者の代わりとしてプロに出演して貰う事になり、東京で活躍して居た「コンピューターおばーちゃん事、大川加代子さん」、6回目は「NHKの趣味悠々で馴染みの佐々木博さん」、7回目からはお笑いを取り入れて、コンピュータの話題を落語にして三遊亭ぬう生さん、8回目は高齢者の詐欺防止を話題にした夢見亭わっぱさん、そして今回となった次第である。

こうした変遷を知る者として、フォーラムの潮時を感じざるを得ない。
方向性が定まっていない事、変わらざるを得ない事情が有るにしても、行き当たりばったりのテーマと、出演者選考が今回の低入場者となっているのでは、と反省している。
メンバーも年齢が嵩み動きが鈍くなる事、創造思考力の低下から、今後の事に付いて総括しなければならない。

2012年2月29日水曜日

NHK午後7時の女性アナウンサーよ、ゆっくり喋れ!

丁度、夕飯時に聞くのがNHKのニュースで有る。
曜日によってアナウンサーは交代する。

「安心ラジオNHK今日のニュースです。こんばんわ、 末田正雄です。こんばんわ、高坂真由美です。 」
で、始まるニュースが聞きづらく、早口言葉のニュースになってしまう。
女性アナウンサーの余裕が無く、上滑り調子の話し方は、これでもか、これでもかとスピードアップして話すのだから、気ぜわしく、この上ない無い。
一言一言噛みしめて話すアナウンサーが多い中で、この人は別タイプで有る。
言い間違いも多く、そそくさと読み進むのだから聞いて居てイライラする事がある。
NHKのアナンサー教育では1分間にどれくらいの速さで話すと聞く側で聞き取れやすいか、常日頃研究し、現場に浸透させていると聞いた事がある。
1分間350字、心地よく聞いて貰えるのは300から250字だそうだ。

ラジオなどでも、高齢者向きにゆっくり放送する設備を備えたものが開発され、実物を見た事がある。
「すでにNHK 放送技術研究所が開発していた「ゆっくり機能」が基礎となっている。この技術は、もともと視聴者からの「放送内容が早口で分からない」というクレームから生まれたもので、全体の時間は変えずにしかも声の高さや音質を保ったまま、ゆっくりとした音声を聞くことができる技術だ。
適応的な話速の調節と、聴感上違和感のない程度の「間(ま)」の短縮により、聞き取りやすい速度で聞くことができ、市販されているラジオにも採用された。この技
術を応用し、再生速度に応じて一律に発話速度を変えるのではなく、声の高さや大きさ、発話位置に応じて適応的に話速を変化させるアルゴリズムを開発した。これにより高速再生時にも音声に「ゆっくり感」が感じられるようになった。」

(高齢者・障害者向け通信・放送サービス充実研究開発助成事業報告から抜粋)

IT事例研究発表がNHK放送技術センターで行われた時に、NHKの担当者からテープのスロー再生と違い、フレーズとフレーズの間隔に何秒かの間が有り、それを使って話言葉をゆっくりとしたものに変換すると聞かされたが、当時既に65歳で有ったが、そんなものは必要になるのだろうかと思った。
しかし、この歳になり耳も一緒に高齢化し、聴き取り難くなってきているので必要性を感じるようになって来た。

だから我々も気を付けなくてはならない事は、高齢者の多いパソコン講座での話し方である。
立て板に水の如く名講義しても、聞く側があっち向いたり、目を宙に泳がせているようでは耳に入っていない証拠である。
納得して貰える話し方とは、ゆっくりと、噛みしめながら、一人ひとりの顔を見て、分かってているかな、難しい事を言って居ないか、長く話し過ぎて居るかな等々、教室の空気を読みながら進める事に付きるのではないかと、自分自身の体験上会得したつもりが、長いんです。小生の話はくどいと、他人は言うのです。
あれもこれも話したくなって、脱線したり、別方向に進行したりと他人が聞くとハチャメチャな講義らしいのです。
喋りまくっている本人は、自己満足して居るから分からない。
一度ICレコーダーで録音して、聞き直して反省材料にしてはどうかと思っている。

2012年2月24日金曜日

尾籠な話題で

何時だったか、トイレで用を足している時に地震に遭った。
便器に腰掛けていると、体がゆらゆらし始めた。
息張っていたので血管が切れ、脳出血にでもなったのかと手足を動かしてみたが、異状なし。
依然としてゆらゆらする。
地震と思ったが、出ている最中で飛び出す訳にゆかない。
大体パソ爺の用便は長い。
同居人である妻に嫌われている。
だから断ってから用を足す。
時には、断ってから入る事にしている。
中でゆっくり出来ないから、先に済ませてもらう。
この日もそうした手順を踏んで入っていたのだが、思いも掛けない地震に見舞われた訳である。
倒壊する程の強さではないが、便器ともどもゆらゆらするのは気持ちの良いものではない。
さりとて途中仕掛けた状態であるから、止められない。
便も出掛ったままゆらゆらしている。

妻がドアーの外から「地震ですよ。」
中から「知っているよ。」と応答。
「危ないよ。」
「便所の中は安全だ。」と、何の根拠もなしに安全宣言をする。
しかしよく考えてみると、三方壁に囲まれ一番頑丈な場所になる。
「中に閉じ込められない様にドアーを開けて置けば。」
それは余りに恰好が悪い。
そのうち静まって事無きを得たが、こうした状態で地震に遭う場合も多い事だろう。
大体、咄嗟の場合に対処出来る心構えが必要であると、反省しながら後半を継続。

吾輩は、便秘症気味だから2・30分掛かる。
時間帯によっては聞きたい放送もあるので、携帯ラジオをイヤホーンで聴きながら用を足す事がある。
特に金曜日の朝9時ごろ、便意を催した時など。
大沢悠里と迫美千代の掛け合い「お色気大賞」などは尚更である。
神代の時代から変わらない、男と女が繰り広げる子孫繁栄のまつり事を面白おかしくアドリブを織り交ぜ、放送コードぎりぎりの内容ににやりとしたり、爆笑を禁じ得ない事がある。
何しにここに座っていたのか、便意も何処かに飛んでしまう事さえある。
ただし吾輩の便意は不定期便だから、朝もあれば昼もあり、夕方頃もあれば寝てからもあるから始末が悪い。
今時の深夜便は寒くて、眠気で辛い。
しかし無い時もあり、2日3日間隔の時もある。
医者に言わせれば、尿の出ないのは心配するが、便が出ないのはよくあるとの事だ。
しかし、バキュームカーではないのだから2・3日分の便を腹に抱えているのも気持ちの良いものではない。
サツマイモが良いとか、煮たシメジを水とミキサーにして煮ものに混ぜて食べると通便するとか。
いろいろ試すが、一刻である。
食べ過ぎず、よく噛み、運動をすることに尽きるようだ。


2012年2月18日土曜日

石巻の夜

  仙台に着いたのは午後4時を回っていた。
 8月下旬の夏空が消え、靄が掛かりどんよりとした薄暗い夕暮れとなっていた。
 それでも道行く人の流れは喧噪を極め、東北の雄とした大都会を感じさせずにはおかないほどの賑やかさを見せている。
 今夜の宿は駅の案内所で適当なホテルを紹介してもらい、チエックインすることにした。
 目的があって仙台まで来たのだが、独り旅の身軽さから宿は勿論、電車の指定も取らずの行き当たりばったりの旅である。
 バッグには洗面具や着古した替え用の下着が二、三日分と、コンパクトカメラが入っているだけのものだった。
 ホテルもそうした軽装でしかも初老の男独りと見て前金を請求したが、特にホテルで夕食を取る積もりもないのでその方が世話がなかった。
 暮れなずむ街中を横目に見て、仙台駅から石巻線に乗り込み石巻に行く事にした。魚介類が美味しいと聞いていたので目当ても無く、適当な店で軽く酒を飲み、その店の特製品とやらを注文して夕食にする予定にしていた。
 車窓から見る松島湾は、夕暮れの凪の中に小島があちこちと黒い影を落としていた。
 石巻駅に降り、さてどの方向に行くか分からないので、駅前にある交番で訊ねる事にした。
 「公務員だからね、何処の店が良いとは言えないが、この道を行くと左に折れるのでま-すぐ行くと北上川に突き当たるので、そこを右に曲がって行くと太郎丸と言う店がある。其処は観光バスなどが立ち寄る海鮮居酒屋だから、その辺へ行ってみては。」
 と、教えられその通りに30分ほど歩いた。
 これが石巻の第一歩で、アーケードになっている商店街を眺めながら、この初老の男は見知らぬ通りを歩いた。
 大きな川に突き当たる。
 これが北上川か。
 河口近くで有るから川幅が広く、悠然と流れる様は底知れぬ不気味ささえ感じられた。
 目指す居酒屋は其処から5分程の所で、潮の香が漂う場所である。
 
 観光バスも立ち寄る店にしてはこじんまりとした雰囲気で、カウンターに腰掛けがコノ字に並べられて、魚介類が目の前に並べられている。
 4人掛けのテーブルが5・6脚ある。
 団体は別室が有るらしい。
 マグロと酒を注文した。
 店員は言葉つきが違う注文を受け、一瞬俺の顔を見て「旅行ですか?」と尋ねた。
 「昔、小さい時まで住んでいた、仙台の七北田に行ってみたいと思ってね。」
 「今あそこに行くには地下鉄で行けますよ。」店員は親切に教えてくれた。
 「昔はね、軽便鉄道と言うのが有って、蒸気機関車の小型の機関車で行き来した事を覚えているに過ぎないんだがね。」
 アルコールが入って、口が滑らかになって来た。
 「ここはウニが本場ですから、如何ですか。」店員が勧めて来たので、酒と一緒に頼む事にした。
 「お客さんはどちらの方か知りませんが、地方に出回るウニは明礬が防腐剤として使われていますから多少匂いがしますが、ここのは採れたてですからウニそのものです。」
 言われ口に入れて見ると、スーパーなどから買ってくるウニの薬品臭いにおいは全くしない。
 
 こうして石巻での一夜に終わりを告げ、 ホテルに戻り明日行こうとしている場所の住宅地図を借り、目的地を探すことにした。
 
 平成23年3月11日、あの石巻は一瞬にして波に浚われ跡形も無くなってしまった。
 あの時道を教えて呉れた警察官、居酒屋の店員さん達はどうしているだろうか、
 この身が健常ならボランティアなどで訊ねたいものと、思うだけの日々である。

2012年1月7日土曜日

バーコード今昔物語

amazonでインターネットショッピングをした。
既に此れまで経験して居るから、取りたててもの珍しい事は無いが、今回は代引き方式を取らずコンビニでの前払い方式をして見た。
パソコンから払い込み明細書を出力してコンビニに持参、レジで現金を払い込むのだがその簡単さに感心した。
払い込み明細書と現金をレジに差し出すと、若い女性店員がバーコードリーダをバーコード縞模様に当て、レジスタに金額を打ち込んでレシートを出して終了する。
1時間後にはamazonから入金のメールが届いている。
2.3日中に現品発送との事、その迅速性に今更ながら考えさせられた。
インターネットの普及が欠かせない要件であろう事は違いないが、その上で重要な要件は、バーコードの縞模様ではないだろうか。
あの縞模様に入金条件や金額が圧縮されているのである。
昨日や今日のアルバイト店員でも、データの入力を間違いなく出来る様に考えられている。

このバーコードを行政に取り組んだ事が思い出された。
昭和53年頃であったか。
今を遡る事34年前、当時アメリカの物流システムでは一般的に採用されており、日本ではヤマト便が試験的に使っていた程度である。
ヤマト便の伝票にバーコードが印刷されていたが、問題は伝票の紙質であったらしい。
薄紙の裏カーボンで2枚目、3枚目を印字するにはドット式印刷機で無いと無理の上に、大量の伝票を高速で読み取るリーダーマシンが開発されていなかった。
日本のスーパーマーケットでは、店員がレジスターに一品一品入力していた時代である。
まだインターネット回線も普及しておらず、日本の物流社会の特性で値引きが盛んであるから、日々価格が変わる事があり、それをバーコードに反映するのが出来ない事も普及しない原因であった。

そんな状況の中で、伊勢崎市の税務行政で採用して見ようかと話が持ち上がり、年度・期別や税目・金額をバーコードに表示させ、そのデータを集計した後消し込みを機械的にさせる事になった。
反対意見は有った。
バーコードの信憑性は勿論、納付書のスタイルが全く変わる事、それを印刷できる業者が伊勢崎には居なかった事等の他に、これまで手で仕分けをして、算盤で集計をしたものを徴収簿に1件1件消し込みをし、その帳簿を見返しながら未納者に督促状を作成するという手順が180度変わってしまう事への危惧が優先した。
しかし、押し違いや漏れが発生した事し、毎月の様に消し込み済み伝票の再確認がされていた。
行政の縦割りも障壁となった。
税務課はOKでも消し込みは会計課であり、この課は算盤の達者な職員が配置されており頭から相談にならない状況である。
妥協の産物として納付書に印字出来るかをテスト的に採用し、段階的にデータ作成、コンピューターでの消し込み、督促状の作成と実施する事になったが、志半ばで水道局へ異動となり この計画は頓挫してしまい、何年かの後にOCR方式が採用され今日に至っている。

しかし、異動先の水道局で、この方式を水道料金システムに導入する事になった。
従来、ここも会計システムは市長部局と同じで、それ以上にチンタラチンタラと非効率な仕事をしていた。
幸い担当した業務が営業であり、加入の申し込みから検針・納付書の作成・入金から消し込み・督促状の作成・滞納整理まで一貫して担当出来たのも実現できる下地となった。
部内的には難色を示す職員も居たが、当時、業務現場にコンピュータ端末を配置し、水道加入者の加入状況から利用状況までをデータべース化して、一目瞭然に見られるなど想像も出来ない時代であった。
検針番号や名前で検索すれば、たちどころに必要な情報が画面に表示されたから驚きであったに違いない。
簡単に言えばこうであるが、当時の端末は今のパソコンの性能以下も以下、画面も小さく、動作も遅い、ブルー画面で長時間使用は目に悪いと言われていた。
これが2年、3年と進化し、全国の水道業務では初めてと言われたオンライン業務の走りとなったのである。
全てバーコードが中心で、算盤集計、、手書き記載などが減少し、業務も正確になったと、今もって自負している。
さらに、検針では検針データを現場で入力すれば、ハンドリーダーに利用者の当月分のデータが組み込まれ、差し引け使用量と料金、前回引き落とした料金の明細を伝票にプリントしてその場で交付するという方式を採用し、検針員の作業量を減らしながら、ハンドリーダをコンピュータに接続させれば入力終了となりパンチ業務が無くなったのである。
今では東京電力やガス会社などでも利用しているが、当時の伊勢崎水道局が先鞭を切って採用したものである。

先日、後期高齢者医療保険料を労金に納入してきたが、待合番号札を取り、2・30分待たされて呼び出され、納付書と現金を添えて出すと伝票を書いて貰いたいと言われ、記載台に戻り住所氏名金額を伝票に書き、それを添えて入金手続きとなる。
その時は忙しい身では無いと思いながら、待たされる苦痛はそれ程でも無かったのだが、コンビニでの対応を経験して見るとその違いに驚く。
役所の窓口なら納付通知書兼領収書と納付書にパンパンと領収済印を押し、納付通知書兼領収書を手渡されて終りとなる。
役所の場合、それからが大変で、終業時間間際になると税目別に仕分けをし、納入集計表にいちいち記載をして集計をし、金額と合わせて会計課に持参するのだ。
この辺は旧態依然とした手続きが踏襲されてる。

失敗を恐れずに挑戦する事が業務改善で有り、旧態依然とした事務手続きが目障りでガラガラ替えてしまう事はしばしばであったが、反面大いなる失敗もあるパソ爺であるから功罪半ばであろうか。
むしろ市に迷惑を掛けた罪の方が大きかったかも知れない。
全て時間の経過とともに忘れられて行くのか。
何れ彼の世とやらで閻魔の裁きに会う事であろうと、覚悟をしている今日この頃である。
自戒、自戒。