2013年4月28日日曜日

旬の筍と独活と葱

初物の筍を頂いた。
掘ったものを頂くことはあるが、直ぐ食べられる状態にしてのものだからありがたい。
ただ、申し訳ない気持ちが先に立って、恐縮しながら頂戴した。
掘るだけでも大変な手間なのに、皮むきから灰汁出しをして、保存用に氷まで添えてある。
徒疎かに食べる事が出来ない。

その日はたまたま自転車で来ていたから、氷が解けはしないか気をモミながら帰途のコース上にある「がってん寿司」で昼食を摂り、急いで帰った。
スライスにして一杯と思ったが、炊き込みご飯にすると言うので飲むのは止めた。
その出来たものが下の写真である。
これは撮影用にセットしたもの、こんな上品には食べてはいない。
本来は、もっとごちゃごちゃした食卓となっている。
油揚げの味が滲みて、此れなら一杯やりながら食べられると思ったが、後の祭りで後日にする。
関口さんのお蔭で初物が食べられ、この上ない喜びです。

独活がようやく芽を出したので掘り出して食べようとしたが、今回はずんずん大きくなり本葉になってしまった。
柔らかい芽が地上に出る頃でないと、硬くなってしまい食べられない。今回はフレッセイのもので我慢する。
しかし、独活はこのまま放置しておくと矢鱈大きくなり、アメヒトに食い荒らされてしまう。
葉っぱが食べられないかインターネットで調べて見たが、「胡麻和え」や「天婦羅」にして食べられそうであるが、新芽の状態のものである。
既に本葉がとなっている。
葱も「からか~ぜ」で購入し、2作定植したのでご褒美に一杯飲ませて貰えるかなと、淡い期待を胸に労働?。
パソ爺の労働の対価が酒1杯である。此れでは使用人並みの宛がい扶持だ。
数日前に石灰を入れ、今日、作を切りをし、たい肥を底に敷き、一本一本植え付ける手間のおおごとさよ。
腰の痛さと、屈む辛さに耐えての作業である。
「いつ食べられる?」と、家の中から眺めていたご主人様は簡単にのたまわく。
ここは晩酌の都合が有るから、愛想良くして置かなければならない。
手前が下植木葱、上がニラ。
「定着して新芽が出れば大丈夫。」
この強風のなか砂埃を浴びながら、パソ爺は素直に受け答えする。今夜の楽しみのために。

食卓に着く。
何時もの配膳だ、期待を裏切られた。
「今日は疲れたから、温まるか。」
「お風呂を先にするの?。」
「この間頂いたもの、有るだろう。」
「筍ですか。」
「じゃなくて、噛まないでも温まるもの。」
「ヒーターを点けるの?。」
「省エネルギー時代だから、ヒーターは付けないの。もっと簡単に温まるもの。」
「風が止んだら、気温が下がると言っていたから厚着すれば。」
「お酒でしょ。」
「お酒ならお酒と、最初から言えばいいのに。」
そんな事、言わなくても糟糠の妻なら気付く筈と、言いたいが言ってしまったらお終いだからここはグット我慢。何事も我慢。これが波風を立てない秘訣。
我が家で20年、可憐に咲くボタン
「そうそう、お酒です。」
「自分で燗をしたら。熱いの、冷たいのと難しいんだから。」
「牛乳で、チンでいいんだ。」
「肴は自分で作ってね、これからテレビで良いのが有るんだから。」

漫才である。
こうしてパソ爺は、「ひとり酒 手酌酒 演歌を聞きながら♪~。」予定量を消化し、ほろ酔い加減で眠りに就くのであった。
安い人生ですね。

2013年4月25日木曜日

見守りパトロール、子供達との会話

孫が小学生になると同時期に、老人会に入会し「見守りパトロール隊」の一員となった。
月2回、隔週の水曜日午後3時ごろから4時ごろに北部環状と大胡県道の交差点に立ち、下校する子供達を出迎え、不審者から見守るのが主な任務である。
しかし、よくよく考えると誠に心もとない見守り隊員である。
走れない、力が無いの体力ゼロの隊員では、いざと言う場面に役立たない事は自明の理であるが、グリーンのベストを着用して立っているだけでも抑止力として効果が有るらしい。

下校して来る子供達との会話が楽しい。
「今日の給食は何だったい?。」と聞くと、「うん~、あのね人参とね、うん~とね・・・」と考えているが思い出せない。
「パンが出なかったかい?。」「出たよ。」
「シチュ―は?。」「出たよ、オジサン何で知っているの?。」と、怪訝そうに聞いてくる仕草が可愛い。
後から来た子に、「今日の給食にシチューが出たろう?。」と、話し掛けると「あれ?何で知っているんだい?。」と、目をまん丸くしている。

昨日、雨模様だったのだが出動した。
小学低学年の子が、「オジサン、北海道は何処にあるんだい?。」と、藪から棒に質問して来た。
「日本がこうあって、北の方にあるんだよ。」と、路上に細長い日本地図を傘の先で示していたら、「九州が近いの?。」授業で聞いた話が混乱しているのだろうか。
「家のおじいちゃんはね、札幌の小樽なんだって。」
同居しているのだろうか、祖父の出身地の話が出て来る。
「札幌と小樽は別々な街だよ。オジサンも小樽生まれだよ。」
「げー、同じじゃん、」と、たまげた様子が何とも面白い。

最近の子は良く挨拶をする。
「お帰り。」と言うと、「こんにちは。」とか「ただいまー。」と、受け答えが返ってくる。
中には恍けた子もいて「行って来ます。」と、朝用の挨拶をする。
何年か前の話で高学年の女児生徒だったと思うが、態々立ち止まり「何時も何時もパトロールご苦労様です。」と挨拶された時は面食らった。
そう言えば齋藤さんのお孫さんが学校作文で入賞した事が先日紹介されたが、パトロール隊に関する内容であった。

当番で立って観察していると、いろいろなタイプの子がいる。
顔立ちが整ているが、なんとなくひ弱な感じがする女の子に「お帰り。」と声を掛けても、ちらっと見るだけで黙って通り過ぎて行く子もいれば、「ただいま、ただ今。」と、何遍も答えて来る陽気な子もいる。
学期末などは作品を両手にぶら下げ、ようようの態で帰って行く子や、雨が降っているのに傘も差さずに平気で歩いて行く子もいる。
朝方の陽気と違ったのか、ジャンパーをランドセルの下に括り付け引き摺りそうにして帰る子もいる。
真冬でも半ズボンで行き来する子、あっちに止まり、こっちで立ち止まる亀さん帰宅する子もいる。
低学年の子は忠実に横断歩道橋を渡るが、高学年の特に6年生ともなると横断歩道を渡る子が多い。

パトロールは、寒い冬も辛いが夏は日影が無いから辛い。春と秋が遣り易い。
最近は、自分の体調に合わせて我まま出動をさせてもらっている。
3月下旬に慰労会が有ったが、最近はお酒が出るので楽しい。
そんな楽しみを期待して、また一年頑張りたいと、淡い誓いをするパソ爺である。




2013年4月22日月曜日

けち臭い話 2

2011年12月7日、「けち臭い話」を投稿したが、今回も似たような話題である。

今朝、忠犬コロの運動?、いやパソ爺のリハビリーが目的の散歩に出かけた時の事。
何時もの通り杖と犬のトイレ道具一式を持って、今日はF工場の駐車場に行く。
先月頃から駐車場の一角に「FamilyMart」が出店準備していたので、工事の進捗状況も気になっていた。外見は出来上がり、内部もかなり出来上がっている。
貼り紙に「4月26日オープン」と書いて有る。
工事関係者も来ていない時間だから、近くに寄って内部を観察しようと側溝に架かっているグレーチング(雨水を排除する網状の金蓋)を跨いだ時、杖が網目に入り危うく転びそうになった。
咄嗟に足を踏ん張り杖を引き抜き大事に至らず歩き出したところ、杖の先が「コツ、コツ」と言う音になっている。

パソ爺の杖は、ゴムの先が付いているから、そんな音は普段しないのにと見たら滑り止めのゴムが無く、金属がむき出しになっているではないか。
辺りを見回したが無い。
グレーチングの網目に入った時かと、側溝の中を観たら案の定落ちていた。
網目に差し込んだ時に、慌てて引き抜いて金具に引っ掛けてしまい、スポット抜け落ちたものらしい。
深さが1メートルもあり、グレーチングもボルトで固定され、例えされていなくても持ち上げられたものではない。
そこで、網目から杖を差し込み先端に押しこもうと試みたが、ゴム先は右に左にとコロコロ動き、とても捕まえられたものではない。
そうこうする内に人通りも増えて、犬を連れた年寄りが側溝の中を覗き込む姿を奇異に見ている眼が多くなって来た。

高々5・600円程度のゴム先だからと、釈然としないが諦める事にする。
犬も排便がしたいらしく、落ち着かなくなっている。
家に戻って事の顛末を家内に話したら一言、「石井スポーツで付けて貰ってくれば。」で片づけられてしまった。
しかし、どうやって取り出せるものか、こんな考えが小半日頭の片隅に残っていた。
鋏状のものを棒に縛りつけたらとか、トリモチの様に糊状をのもを棒先に塗り付けるなどなど。
そして閃いた。
細い金属状の棒の先に、針を付けて突き刺して引き上げる。
簡単で手っ取り早く出来る。
早速、ピン止めを切断して、針先を金属棒にガムテープで固定して出来上がり。
それを持ってリベンジとばかりに靴を履く。

「何処へ行くの?」
「朝のゴム先を取り出しに。」
流石に呆れた顔で「転んで怪我でもして、高いゴム先にならない様にね。」と、のたまわく妻の言葉を背中で受け、男一匹パソ爺は針先を付けた棒を持ち、勇躍朝の側溝へと出掛ける。
(講談ならここで、パパン、パパンと扇子で見台をたたく場面なのだが。)
そしてつつく事3・4分、針先がゴム先に突き刺さり慎重に引き揚げ作業に入る。
グレーチングに触れてしまえば再び落ちてしまうから、原子炉から燃料棒を引き上げる様にゆっくり、ゆっくり引き上げ、とうとう地上に出す事に成功した。
この達成感は、経験して初めて味わえるものである。
たかがゴム先、されどゴム先に精神を集中させる根性や我ながら見事。
人はこれをケチと呼ぶか、はたまた勿体ない精神の究極と言うか知りたいものであるが、考えて見れば暇人と言う事か?。
粘着質のストーカータイプと、言われるのが落ちかもしれないが、でもこれで一件落着、落着。

2013年4月21日日曜日

人生、糾える縄の如し

この世に生を受け70年80年と過ごす人生を、順風満帆に終わる事が出来る幸せな人はどれくらいいるだろうか。

譬えホームレスの様な、世間に何のしがらみのない人でも、置かれている現状に決して満足して眠る事は無いのではと、想像してしまう。
父母が居てこの世にあり、故郷が有って成長し、長い道程のどこかで段ボールで過ごす事になっただけで、決して孤立無縁であった訳では無い筈である。
兎追ひし彼の山/小鮒釣りし彼の川/夢は今も巡りて/忘れ難き故郷と、望郷の念に駆られる夜は一再や二再ではない思う。

ましてや普通の人生は、父母在り、子在り、孫在り、兄弟、叔父叔母等々の親類縁者、知人、友人などと実に多くのしがらみの中で生きている。
その一つ一つのしがらみの中に、いろいろな出来事が縄の如く織りなして自分達の生き方にも影響を与えている。

元気で居られた方が、病気で長期入院を余儀なくされたり、認知症が進行して物の識別が困難となったりする事が有る。
自分自身も、突然歳を感じさせられる歩行困難となったり、順調に成長していた孫に異変が起きたり、元気印と思っていた嫁の発病と、心配事が枚挙に暇がない晩年となっている。
しかし、此れも人生。
在るがままに受け入れ、ジタバタしても仕方がないと開き直っている。
その場その時に、最善を尽くしてやれることが出来れば、それでいいと思っている。

遠方の/子からの電話/元気なり/話題が弾む/旨し酒なり

恙なき/日々は願えど/常ならず/折りなす山を/旅するに似て

病める子ら/差し出す手には/千手仏/微かな光/見出すまでは

2013年4月16日火曜日

「読取革命」で印刷物のデジタル化

「読取革命(光学式文字読み取り認識ソフト=OCR)」、前から名前は知っていたが、印刷文書のデジタル化がこんなに簡単に出来る物とは知らなかった。
ワードプロセッサーで作成された印刷物や他のパソコンで作成され、手書きが加えられた文書などを自分のパソコンに取り込み、編集などが出来る優れものである。

褒め過ぎです。
100%完璧に読み取る事は出来ません。
一番弱いのは手書き文字、次は紛らわしい漢字、複雑な罫線のある表などは打ち直した方が早い気がします。
しかし、OCR読取の性能を知るため、いろいろな文書をスキャンして見ました。
今回は、三郷文化財研究会の総会資料を作ってみました。
原本はこれまで会の副会長を担当していたHさんが作成していたワープロ文書と、現役員が作成した活動報告や予算決算書を統一するものでした。
ワープロ文字、ある人はパソコンで明朝体で、別な人はパソコンでも罫線が不得意とかで印刷したものに手書き罫線を入れた印刷物等々、総会資料が多種多様のページになってしまう。
それを、OCRで読み取り、文字は全てMSゴジック体に統一し、見出しは16ポイントに、本文は11ポイントに統一、議案番号、ページ番号の位置などを編集するものである。

いやはや読取が不完全で、大変な作業が発生してしまった。
最初から打ち直すより早い事は早いが、画像として読み取るのだから訂正すると、とんでもない結果が出て来る。
文字がどこかに飛んでしまい、印刷して見ると出て来る、編集をするとこんな事が頻繁に起きて来るのである。
まだまだの感があるOCRであったが、なんとかかんとか胡麻化しながら出来上がった。
何事も挑戦してみる性格のパソ爺であるが、今回はいささかて手を焼いた経験であった。
しかし、全ての文書がデジタル化し、USBに納められたから以後はそれを手直して行けば良いと考えるが、早計である。
何故なら、いろいろひねくりまわして体裁を整えてあるので、余程熟練した人でないと引き継がれられない心配をしている。

2013年4月13日土曜日

パソボラMネット総会終了

平成25年度「パソボラ・Mネット」の総会が平成25年4月13日土曜日、伊勢崎市文化会館道西の「プリオパレス」で午前11時から開催された。
全員の出席で議案が了承され、その後懇親会となった。
銀のフォークとスプーンが4列左右に並べられ、上にスプーンが2列、手前にもスプーンがある、只ならぬ配置のテーブルに着席する。
こういう席は苦手である。
しかし、誰も箸の要求をしない。
一人ぐらい「すみませんー、箸お願いします。」と、言うものだがMネット会員は平然と座っている。
パソ爺は、こうした場合直ぐ箸の要求をするが、会の代表として着席しているから声をあげられない。
蛸ではないのだから、こんなに食器を使いこなせない。
その点日本の箸、韓国も中国も箸で食事をするが、汁物でスプーンを使う場合以外は何でも箸で済ませるのは合理的である。

次々と皿に盛りつけられた料理が出て来る。
ビールで乾杯した後は、ワインに切り替える。
ワインの味など鑑別できないが、Tさんの注文だから安物ではないと思うが、Mネットの財政上高価なものを注文するとは思えないが、匂いも味もGOODである。
もっとも、TVの「一流芸能人」と言う番組で、ワインや肉などの鑑別を競うものを観ていると、日頃美食して居ると思われる出演者が、見事に本物を外している。
時たましか味わないパソ爺たちに味の鑑別は出来るはずはない。
旨い、匂いが良いなどと言いながら、がぶ飲みしている。
上品に飲むコツも知らない、田舎者である。

「あれ?食べ掛けの皿を持って行かれた。」隣席のkさんが素っ頓狂な声をあげる。
Oさん、「フォークとスプーンをハの字にして、下向きにして置いていなかったのでは?」
「そう言えば、並べて置いたかも。」
「じれゃーメイドさんは下げてしまうよ。」
こんなやり取りをして時間は、カラオケタイムに入った。

「カラオケお願いします。」と、リクエストをしたらタブレット端末の様なものが来てしまった。
てっきり、曲名と歌手名が記載されている本を期待していたが、最新兵器が来てしまった。
「パソコンを教えているんだから、こんなものが使えないでどうする。」と、あれこれ弄っていると予約が出来た。
パソ爺の唄った歌は、「ああ、上野駅」「無法松の一生」「昴」と、何時もながらのリバイバルソング3曲、変わり映えのしない歌である。
お義理にパラパラの拍手。
そんなものでも、声を限りに歌えることは楽しい。

こうしてMネットの総会、懇親会は無事終了し、帰りはMさんの車でTさんに護送され、我が家に辿り着いた。
彼方此方で皆さんにお世話になり、一日が終了し昼寝をして目覚め、こうしてブログを書いています。
Sさんの写真が出来次第投稿します。

2013年4月5日金曜日

時代はまわる

中島みゆきの歌に【時代】と言うヒット曲がある。
歌詞が良い。
最後の詞に
「まわるまわる時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ」
今日、公民館でこの歌に合う情景に出会い、思い出した。

この3月末、公民館主事を長年務められたY女史が定年退職したとの報に接し、気持ち寂しく思っていたら事務引き継ぎで公民館に来て居り、お世話になったお礼を述べる事が出来た。
Y女史が入職したのがパソ爺達が組合活動に熱を上げていた時分だった。
彼女は、秘書課に配属され実に爽やかな印象を与えていた。
気さくで、気配りが上手だから、誰にも好かれていた。
組合活動で勇み足をして、市長室に呼びつけられてお説教をされていた時も、お茶を出してくれたりしてこちらの気持ちを和ませてくれた。
その後、良縁に恵まれ職場結婚をした。
その彼女が4・5年前、公民館に異動されて以来、いろいろお世話になるようになった。
昔ながらの気配りは健在で、来館する人に好印象を与えていた。
その人が60歳で定年と聞き、時代の過ぎゆく速さを痛感し、出会いと別れが織りなす人生を感じざるを得なかった。

そうこうして帰る公民館の廊下で、再び偶然ともいえる出会いと過ぎ去った人生を思い出すことになった。
水道局時代の若手の職員だったK君である。
元気が良く、野球も捕手を受け持っていた。
その彼が、市の文書配達をしているので何故かと尋ねたら、定年退職後の職場だと言う。
今年60歳を迎え、再就職が教育委員会の文書配達との事。
パソ爺の感覚では、若い頃のフットワークの良い、キレのある受け答えをしていた若者の印象が強く、自分の歳の過ぎたことを忘れていた。
記憶では、どこかの課長で事務職になっていた。

この様に、今日は三郷文化財保存会の会議に出席したお蔭で、青春時代の一ページを開く事が出来た。