2013年10月26日土曜日

安心は妻の手作りに限る

おれおれ詐欺事件が登場して10年余が経つ。
年寄りの人情につけ込み、依然として後を絶たない。詐欺、偽装、代用、何でもござれの世の中である。
コメの産地、用途偽装に始まり、ウナギの産地加工偽装と食糧に関する詐欺まがいの商法が多発している。
そこに有名ホテルの食材取り違えメニューが発覚した。
一体どうなっているのか、日本の食を預かる業者のモラルは地に落ちたと言える。

しかし、これは1業者ばかりの問題ではなく、王侯貴族政治の時代から権力者は「民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず」を勝手に「従わせて置けばいいんだ、都合の悪い事は知らせないで置く」と解釈し、国民を従属させてきた事に所以しているのではないか、と想像するがどうであろうか。
日米安保密約問題、薬害問題、原発・放射能問題等々と、表面化したものだけに限らないものが隠されていると、疑いたくなる。
一国の総理大臣が、「福島は完全にコントロールされている」と世界に発信する無知蒙昧さは、大ペテン師と言われても仕方ない。

下世話の話題では、回転すしのあの低価格の秘密なども案外その辺にある様な気がしてならない。
仕入れの現場から見ている訳では無いから、「ヒラメの縁側」を100円で食べられるから「旨い、旨い」と食べていたら、「カラスかれいの縁側」だそうである。
マグロなども、市場に出せない死にマグロだったり、イクラなどもいわくつきの商品を出すらしいのだ。
回転寿司愛好家としては誠に裏切られたような、しかしあの値段ではさもありなんと諦め、2度行くのを1度にするか、行くのをやめるかで解決するが、子供達はそうは行かない。何の疑いも無くパクパク食べてご満悦である。

中國食材=偽装・農薬・非衛生の三拍子である。
その食材を国産として偽り店頭に出す、自己利益さえ出せれば食べる自国民の健康、信頼はどうでもいいのだろうか、情けないものである。
食堂なども考えて見れば調理の手元が分からない。
何処から、どの様な品物を仕入れて来るのか、味付けなども何を使うのか一切ブラックボックスである。

やはりここは妻の作る料理、例え高級食材などなく有り合せのものでも、国産、減塩、油控えめ低カロリー、手作り料理が一番安心と思って食べるしかないのである。


2013年10月20日日曜日

長生きは したくとも人に 定めあり

NHK「ためして、ガッテン」でレビー小体型認知症を紹介していた。
聞き慣れない症例であったが、観ている内に恐ろしい病気もあると思い知らされた。
認知症のひとつであるとの事で、日本ではアルツハイマー型認知症脳血管性認知症と並び三大認知症と呼ばれているらしい。

この病気は、認知障害だけでなく、パーキンソン病のような運動障害(手足の震えなど)も併発するのが特徴であるとの事。
我々の歳になると、道に迷う、置き忘れなどの症状は日常茶飯事の事だが、妄想症状や幻視症状が出るらしい。
こういう症状を訴えると、家族や周囲の人は頭が可笑しくなったのではと、精神病院へ連れて行く。
ここで向精神薬などを処方されると症状が悪化するとの事で、初期の認定が左右する。
これは認知症だけに限らず、病気全般に当てはまる事である。

高齢者だから、十把一絡げに「加齢性〇〇ですね」で済まされかねない年頃だから、医者選びも大事な事である。
開業医から「胃炎ですね」、と言われていたのがある日胃がんの疑いがあるから病院で精密検査を、などと言われかねないご時世である。
医者選びも長生きの条件の一つである。それと食事も大事な条件である。
もっと大事なことは、毎日を楽しく、明日を思い煩わずに多くの人達と交じり合って過ごす事ではないだろうか。

2013年10月13日日曜日

3年ぶりのサイクリング?

頸椎症性脊髄症の手術をして以来サイクリングを中断していた。
それまでは、不自由ながら週に1・2度は乗り出し、東は藪塚付近、南は広瀬川と利根川の合流地点から島村の渡船で本庄側に、西は広瀬桃の木川を遡上して前橋の北部まで、北は大胡付近と青のヘルメットを被った変なおじさんが出没した。
しかし、手術後は首に負担が掛かるとの思いと、口実にして体を甘えさせてしまった。

ここ数日の陽気に誘われて、マイカーを引っ張り出し埃を払い、注油、空気を入れ乗り出して見た。
「わたしの自転車なら3台は買えるものを」と、ノタマワっている人が居るのも刺激となる。
「乗れた?」
「大丈夫」
「無理して転ばないでよ」
あくまで高齢者扱いの口ぶりが気に入らない。

「じゃ、お富士山の方へ足慣らしに行ってくる」と、薄着になって乗り出す。
両毛線に沿って西に行くが向かい風が強い。
しかし軽快。
田圃は黄金色になり、コンバインがあちこちで収穫作業している。
帰りは風に送られ楽々帰宅。
往復で約3キロぐらいか。

まあ初日はこんなものでお茶を濁して置く。
次は身支度を整え、10キロぐらいを踏破したいものと、意気込んだ様子を見せて終了。

2013年10月4日金曜日

秋浅し 1000円床屋 喜寿の日に

77歳となった。
これを喜寿と言い、人生の一区切りとして祝うとの事である。
インターネットで調べて見ると、喜寿は、「喜の字の祝い」「喜の字の齢(よわい)」ともいうらしい。
 「喜」の字を草書体で書くと、「十七」の上に「七」が付いたような文字で「七十七」に見えることから、77歳を「喜寿」と呼ぶようになった、との事である。

江戸時代は平均寿命が36歳前後で、大正の終わりごろで42歳前後、それも男女差が少なく1歳ぐらいだったらしい。
現在はどうであろう。女性86歳、男性79歳と、平均寿命が延びた分女性とに差が開いてしまった。
何故なのだろうと、考えても分らない。

インターネットの請け売りを止め本題に入る。

髪が伸びて、爺臭いですよ、との女房の一言で1000円床屋に行く。
若い女性がバリカンで裾刈りをしてくれる。
気持ちが良いです。
20分ぐらいで終わってしまう。
「これでよろしいでしょうか?」二面境を頭の後に当て、前の鏡に写す。
何と!後頭部の薄毛よ。ほぼ地肌ではないか。
愕然としながら、ああこれでいいですと、そそくさと椅子を下りて帰って来た。

何か忘れているような、そんな気がするが思い出せない。
そのまま家に帰り、あれこれと今日の祝いの準備をする。
祝いと言っても二人だけの酒盛りであるが、女房魚屋で見繕ってくれた物での祝宴であるが、膳について思い出した。
赤ワインを購入し、ママカリをマッセイで買って来る事をすっかり忘却していた。
1000円床屋での後ろ髪の薄さにショックを受け、忘れてしまった。
そんな訳で今夜は酒での祝杯となった。

自分もそうであったように、子供は親が幾つになり、どんな歳になったかは知らない。
しかし、親は子供の歳、誕生日を知っているから幾つになっても祝ってやる。
特に女親は何年の何月何日何時何分まで承知している。
男親は子供の歳さえ覚えていないが、女房に聞かされて思い出す。
そして幼かった頃を思い出すが、子供はその頃の親の姿は知らない。
安月給で家を建て、給料の5分の1を返済しながらも、夏は山に、冬はスキーに連れて行く苦労は感じさせなかった。

そんなことを話しながら夫婦で喜寿の祝いをする。
何の祝い品を送っても貰わないが、最善の祝いは子供達が健康で、恙なく送ってくれている事に勝るものは無い。
親子の関係を掌に例え両手を広げると、親指は小指に向かっているが、小指は外に向かっている、親に関心は向いていない。
正にその通りで、自分もそうであった。
自分中心の生活で、この身、この健康、この現在を親からの贈り物だと気付くのは、60歳の還暦頃を過ぎてからの事であった。

そんな事を思いながら77歳を迎えたパソ爺である。