2012年7月26日木曜日

歯磨きの私見

口腔が小さいためか歯並びが悪い。イコール虫歯になり易い。
だから、子供の頃は近所の歯医者によく連れて行かれた。
意気地の無い子だったので、泣き叫んで医者を手古摺らせていた居た事を覚えている。
治療中に逃げ出した事もあった。

成人しても年に2・3度は歯医者のお世話になっていた。
特に差し歯、補填された箇所が食事中にとれたりする。
餅など粘り気のある食べ物を口にする時は注意深く噛んでいるが、時として忘れて強く噛んだりすると歯が取れる。
抜け落ちる瞬間は、貧血の様な感じになるから飲み込む事はないが、ガッリと嫌な音がするので食欲がいっぺんに失せてしまう。
宴会などで酔っ払ってちょくちょくあった。

しかし医者からは褒められるのだ。
8020ですよ、と。
80歳で自前の歯が20本あれば表彰されのだとか。
何時の頃からか電子音波歯ブラシを使うようになった。
歯周病菌を1秒間何万振動で分解してしまうとの、効能を信じて使い始めた。
その為か、年1度のクリニックでは歯周病菌不在が続いている。

歯ブラシは、朝用夜用と硬軟2本を使い分けている。
朝は硬質の歯ブラシで、上の歯から磨きだす。
3分経つと自動的に停止するようになっているので、下の歯へ移る。
夜は軟質の歯ブラシで、下の歯から磨きだし、同じような手順で終わる。
そうする謂れは特に無いが、そうしないと一日が終わった気がしない。

その様に自分自身で取り決めをしているのだが、最近は夜だから下の歯からと思っていたら上を磨いていたり、朝、上の歯を3分磨いて下の歯に切り替えるのが再び上の歯を磨いている自分に気づくことがある。
取り決め通りにしていない事がある。
惚け始めているのか、心此処に在らざる状態になっているのか。
だから、歯磨を忘れ始まったら惚けが始まった、と判断出来るのでは無いか。
と言うのが私見である。




2012年7月20日金曜日

年金生活川柳

草むしりに疲れた身体を横たえて居たら、突然創作意欲が湧いて来た。
川柳5句を紹介したい。

「ひと月が ふた月になる 振り込み日」
生活保護費でさえ毎月支給されているのに、年金は2か月毎である。
現役の時は毎月の支払いであった。
それでも20日直前はやりくりが大変であった。
年金者となってからは余程計画的に生活しないと、2カ月目の月半ばで行き詰まる事がある。
ローンも貸してくれないから、飲まず食わずの半月を過ごす事にもなりかねない。
そうかと言って、この無芸な老兵を雇う所は無く、アルミ缶集めも縄張りがあるらしく勝手に集められない。
これも厳しい業界?らしい。

「年金の 出た日は豪華 回り寿司」
板前の前に座って握り寿司などを食せない今日この頃、せめて贅沢な昼食をと選ぶのが回転寿司で有る。
回転すしを選ぶのは、そればかりの理由ではない。
名前が分からない事、回転すしは写真が有るのでそれによって注文が出来る。
時間が掛らない事、好きな時間に行けて勝手に皿を取り、次々と食べる事が出来る。
マイペースである事、目の前に寿司を握っている板前がいれば、何かしら話題を探さなければならない。
そんな神経を使わなくても良いのが回転すしを選ぶ理由である。
金欠がホントの理由かな。

「値切るのが 口癖となる 年金者」
給料生活の時は、ボーナスを当てにした臨時支出が出来た。
今では入って来る額が決まっており、ボーナスの様な中間支給が無いから何を買うのにも値切る癖が出る。
流石に行き付けの魚屋とかではしないし、スーパーなどでもレジの前で値切る訳には行かないからしていない。
本も定価通りに購入している。
病院でも値切り交渉はしていない。
そう言えば病院で1度だけした事がある。
予防注射をお願いした時だったが、70歳以上は1000円と思い込んで居たので、2000円と言われたから「あれ?1000円じゃないのかい。」と言ったら、「何方も2000円です。」と言われた事がある。此れは値切りとは言わないか。
先日、年金者同士の一泊旅行をした時、カラオケ料金が此れまで5000円だったのが、10000円となっていたので、前回の料金精算書を見せて5000円にして宴会を楽しんで来た。

「恥無くし 我慢も無くす 老老爺」
唯我独尊人生、厚顔無恥な人生、迷惑を顧みない人生等々の誹りを免れない人生の毎日である。
仏の最も近くに来ているが、やって居る事はかなり道を外れているのかもしれない。
最近の傾向として、暴力老人が増えているとの事である。
一寸した言葉の行き違いで暴言を吐き、相手を罵ったり、挙句には暴力を振るうと言う。
病院の窓口や、スーパーのレジなどが多いと聞く。
長らく待たされていたり、目の前がぐずぐずしていると切れてしまうらしい。
温厚篤実、好々爺は昔し話である。

一度税務署の受付で目にした事がある。
その日は、申告期限間近で長蛇の列であった。
ようやく順番が目の前まで来た時に、直前で受付をしていた身なりのキチンとした初老の男性が突然声を荒げて受付にかみついた。
話の様子から、医療費控除申請を受ける為に医療費の領収書を病院別、支払い年月順に整理をし、束に纏めて添付して来たが、受付の担当者は「はい、ご苦労さまでした。」の一言で受付、中身を確認もせずにそれぞれの箱に投げ入れたのが気に入らなかったらしいのだ。
散々苦労して纏め、申告書に記入し検算をして間違いの無い事を確かめて申告に来て、長時間待たされた挙句が簡単に「はい、ご苦労さまでした。」の一言で処理された、その態度が許せない。
その男性の気持ちも分らなくは無いが、分別有ると思われる歳の人間が他の迷惑顧みず窓口でごたごたと事を起こし、その為待たされるこっちの身にもなれ、と言いたい、とその時思った。

「旅立ちは 地味に質素に ひっそりと」
ずいぶん勝手な願いであるが、これだけは自分で取り仕切れないから後事を託す者の裁量に任せるしかない。
現役の威勢に反比例するのが、葬式の参列者数である。
俺が育ててやった、面倒を見ってやった、あそこまでなったのは俺のお陰だ、などと人前で豪語していた人の葬儀に参列した事があったが、寂しいものであった。

歳を重ねても前向きに生きる事は素晴らしいが、引き際を忘れた人は見苦しい。所謂出処進退を忘却している人が如何に多いか。
求められる事もあるが、黒子として影になって出来る事をして居る人は素晴らしい。
老い方上手、引き方上手、土に還れば皆同じ。

パソ爺などは我が女房殿に、「目立ち足りがり屋で、退き時を知らないんだから」と、面と向かって言われると正直めげる。随分控えめに行動して居る積りなのだが・・・・・。
しかし、自分の分は承知して居るし、傍迷惑と言われない内が花と、今が老骨に鞭打つ日々である。

2012年7月17日火曜日

柴もどきコロの得意技

我が家に来てかれこれ6年になるのであろうか。
この前の台風直撃の時に、家の中に入れてくれと大騒ぎをし、台風が去った後無理やり小屋に戻した結果、すっかり人間不信になり小屋に入ったまま白眼で見る様になっていた。

ようやく元に戻り、孫のサッカーに付き合う様にまで回復した。
孫がトスしたサッカーボールを鼻キックして返している。
鼻が痛いのにと心配するが、本犬は何度でも繰り返す。
その内自棄になるのか、ボールに食いつき始める。
そうなると止めのサイン。
犬も疲れると、ボールが憎くなるのか。
ボールの表面に牙の痕が無数に着いている。

終わりに、私のポーズをムード音楽に乗せ紹介します♡

2012年7月14日土曜日

日田市の記憶

先週から降り続く「これまで経験した事のない大雨」が今週になっても止む気配がない。
熊本や大分県の映像の中に、大分県日田市を流れる花月川の濁流の様子が映し出された。
退職して2.3年頃であろうか、「青春18切符」で中国地方から九州北部に掛けて旅行をした時に、小倉駅から日田英彦線に乗りローカルの旅を楽しんだ事がある。
いわゆる「老春の旅」をしていた。
山また山の中を見知らぬ風景に目をやり、車中の中に飛び交う大分訛りの会話を聞くともなく耳にしながら駅弁など食べ、急ぐ必要のない自由気ままな旅であった。
夜明駅で久大本線に乗り換え、日田駅で降り、予約していた「かんぽの宿 日田」へ宿泊した。

三隈川の中洲に建つ大きなホテルで、8階はあったろうか。
個室の部屋も綺麗で広かった覚えがある。
大浴場の天井は4階位までの高さもあろうか、吹き抜けとなっていたのには驚いた。
源泉かけ流しときているから、湯船を溢れ出して居る豊富さである。
食事も結構豪華?で、地酒などを頼んでちびりちびり独り酒を楽しんでいたら、隣席のご夫婦連れが話し掛けて来た。
何でも地元の方で、月に1度は訪れて居るとの事。
倅家族が同じ敷地に家を建てて住んで居るが、お互いの息抜きとしてここを利用しているのだという。
その時の話の中で、この日田は戦後2度ほど大水害に見舞われ、この辺一帯が湖の様になった事が有り、難渋したとの事である。
二本の川に挟まれ、筑後川となって有明海に流入しているのだとか。
TVで映されている花月川の場所は知らないが、合流される本流があのホテルの眼下を流れていた三隈川の事なのだろう。

日田市はその昔天領で、江戸時代の名残を留めた街並みが多い。
周囲を山に囲まれた盆地のため、大雨が降ると一気に集中してしまう地形が洪水となってしまうとの事。

歴史的景観が残る町並みは、駅の北に広がり小高い位置に展開されているが、その北側の山すそを流れているのが花月川なのであろうか。
新商店街やビジネス街は南口にあり、街を抜けると三隈川に行き当たる。
南口一帯は、大洪水の時に湖の中に沈んでいた場所なのではと、テレビの映像を見ながら当時に思いを馳せるパソ爺である。

2012年7月10日火曜日

美味い処の灯が消える

創業が昭和6年、それから営々として親子2代にわたり地域のみならず、近在の人達に愛されて来た「長◎庵」さんが8月19日をもって閉店すると言う。
現社長の高齢化と後継者が居ない事?、市街地の空洞化による来客数の減少であろうか。
昔の味を知っているリピーター的高齢者が通うだけでは、多寡が知れている。
此のお店の売りは、ラーメンで有ると思う。
昔ながらの出汁作りを知っているのは、その作業を知っている我が女房殿で有る。
道向かいに住んでいたから、一部始終知っている。
だから、最近まではラーメンと言えば「長◎庵」と決めていたから、子供達に他の店を知らないんじゃないの、とからかわれる程の何とかの一つ覚えであった。

夏場は「サラダうどん」がお勧めである。
独断と偏見の誹りを恐れずに言わせて貰えれば、此れまで食した事の有るお店より美味い。
値段も手頃で、盛もある。
スープが美味い。
うどんも稲庭風で喉ごし感、歯ごたえ良い。
具も多く、野菜が不断に盛り込まれている。

右画像は先日、我が女房殿と昼食時に食べに行った時の現物で有る。
どうもPHSのカメラではピントが合わず、遠近構図が上手く出来ない。

実物はこれ以上である。
閉店前迄には是非食して置きたい一品である。

世の中は広い。
もっと詳しい人が居た。
リンクを貼って置きますので、ご覧ください。
http://yaplog.jp/sakuramou3sai/archive/2903

2012年7月8日日曜日

facebookに挑戦

実名登録を売りに登場したfacebookに挑戦して見た。
手引書も無く始めたので、航海地図を持たずに海原に船出してしまった様な気分で操作している。
どうやら登録を終えたら、「お友達になりませんか」とのお誘いが出た。
しかし安易にクリック出来ない。
ネットの向こうは魑魅魍魎の世界と、信用が出来ないからである。

グループの会議で話題にしたら、登録者が居られるではないか。
やはり若葉マークで、講習会で学習したとの事。
早速交信する事にした。
本来の使い方ではないが気心の知れた方であり、安心してやり取りが出るのが一番である。
アドレスで探したら該当者が表示されたので、メッセージを送る。
その内、相手からも「お友達になりました。」のメールが届き、相互交信が出る様になった。
なんて事は無い、糸電話みたいな真似事facebookデビューである。
普段、頻繁にメールで意見交換している仲だから、わざわざfacebookを使うまでも無いのである。

ただ、相手の方のお友達として登録されている中に、知り合いと思われる名前があるので、クリックして見ようかと思うが、写真が未添付のため本人確認が出ないので止める事にした。
この様に、お友達のお友達と輪が広がる効果が有るが、何処まで真実が登録されているか今一の感を抱くのは昭和生まれの為であろうか。

2012年7月7日土曜日

想い出は遠くになりにけり

リタイヤした当時の仲間と結成した会がある。

「亥子の会」と命名した謂われは、亥年生まれと子年生まれの者が同じ年に退職したためで、「イネの会」と呼ぶ事にしたのである。
入職は1・2年の差が有ったが、ほぼ同時期で経歴も同じような経過を辿っているから話が合い易い。
退職した当時、結成に参加したのは17人程居たが、その後まもなく鬼籍に入ってしまった人3人、病気療養中が1人、体調不調、下戸のため主旨に合わないとして退会した人が9人、従って常時顔出しするのは7.8人程度の会となった。
7月5・6日の2日間、伊香保の松本楼で例会が開催されパソ爺も出席したが、僅かに6人しか集まらず今年が最後の例会と決議される事になった。
尤も、パソ爺も心中密に今年が最後の出席と決めて居たのだが、みんな同様な思いで出席していたのかと時の移ろいと老いの進行に気付かされた次第である。

青春時代の悪友も今回欠席していたので、気持ちばかりの伊香保土産を持参して自宅へ行って見た。
暫く行っていなかったので道に迷ってしまい、周辺を往ったり来たりしてようやく辿り着いた。
「ヤー暫く」と歓迎されて上がり込んだが、奥さんから「最近おバカさんになってしまって、皆さんとお付き合い出来なくなってしまったんですよ。」と、現状が説明された。
本人も、「みんなに迷惑かけるからね。」と、あっさり肯定する。
そんな様子は今までと変わらない印象だが、だんだん話を聞いて行く内にやはり少し変だと気付かされた。話がループするのだ。また奥さんの話。
「妄想があって、自分のお金を預かった金だと言って元の職場に届けてしまった事が有るんですよ。」
「時々行方不明になってしまい、近所を探し回る事もあって一人には出来ないんです。」しかしこうして話している分には余り変わらないのだが、傍に居る奥さんが一番知っているのだから本当の事なのだと思う。

パソ爺と年代は同じだが早生まれで学年は上である。
仕事帰りには緑町の屋台を梯子酒したものだ。
二人で赤線にも行った事がある。
宿直の夜に酒を飲み過ぎ、施設のカギをかけずに寝込んでしまった事もあった。
昇進も若干の差はあったが、ほぼ同じコースであった。

今となってはほろ苦い思い出であるが、こうした事も記憶の彼方に消え去って行くのだろうか。
人間は何処から来て、何処へ行くのか。
思えば全てがうたかたの夢で、最後は灰となって一巻の終わりなのであろう。
思えば空しいものだが、これだけは避けようが無く気付けない事が悲しい。

2012年7月4日水曜日

忘却とは、己の能力を忘れ去る事なり

さわやかパソコンクラブでNHKのテキストを使い、Picasa3.9の使い方を学習したのが3か月前である。

今回、新火曜パソコンクラブの学習で同じ題材をWebAlbumにアップロードして、クラブの10人にメールで共有しダウンロードしたものを編集するという、一寸高度な操作をする事になった。
大方の皆さんはダウンロードして来たが、何人かの方は手が付けられずに出席したので手順を解説する事にした。
講師用のWindows7はメールを受信した所から開始し、
「ダウンロードはこうしてください。」
「パソコンに入ったファイルはここに有ります。」と、操作をしたら講師自身がファイルが見つからない。
ピクチャにも無く、ダウンロードトレイにも見当たらないではないか。
3か月前に説明した事をすっかり忘れて居たのだ。
焦るよ、第一みっともない。
予習もせずに覚えて居るだろうと、己が老いを悟らずに臨んだ結果がこの始末である。
結局ファイルが入っていたフォルダーの名前が英字になって居るのに気付かなかったのだ。
ヨウヨウの思いで其処を乗り切り、次は編集に入る。
NHKのテキストは、Picasa2で説明されているので3.9との違いを見て貰い、編集対象画像のコピーに名前を付けてから編集する事にする。
ここでまたまた失敗する事になった。
画像をコピーをして名前を付けた場所はピクチャなのだから、一旦閉じてPicasa3.9を開かなければならないのにピクチャーのまま編集しようとしてしまった。
先ほど見て貰ったPicasa2と3.9の違いの編集画面にならない。
休憩して、一息入れ冷静になって気が付いた。
Picasaに切り替えて居ないから、編集しようとしても出来ないのが当たり前なのである。
次に混乱したのが、コピーした画像が分からない騒ぎとなった。
講師パソコンは拡張子表示になっているから、画像の下に名前が表示されているので一目了然。
「ここ、ここだよ」と言っても生徒さんのパソコンは拡張子表示になっていないから分からない。
編集画面の下の帯に表示されるようになっていたのだ。それも小さい字で。
この日は散々であった。
己のスカスカ脳ミソを忘れて予習もせずに臨んだ報いであると、つくづく思い知らされた半日であった。

2012年7月3日火曜日

小沢離党声明、「国民」「国民」のたたき売り

遂にと言うべきか、止む無く離党せざるを得なかったのか、本当の事は分からない。
しかし、声明文で読み上げられた文面に、「国民が」、「国民に対して」の文言が14も入っていた。大義の人の如くに振る舞っているが、内実はどうなのか。
献金疑惑の被告人であり、自民党時代は田中角栄氏の側近としてロッキード金脈を学習し、金丸信二氏の金まみれの中で育ち、幹事長時代には総理適格審査人として次期総理候補者を呼びつけていた時代があった。
田中氏が失脚し、金丸氏が失権した為に自民党に居場所が無くなり、政治改革は2大政党で無ければならないとの旗印で脱党し、それから政党のビルド&スクラップを繰り返し、その都度政党助成金を懐に選挙資金にして小沢チルドレンを育成して来た。
そんな人が、国民の為に離党して不義を正す、消費税増税を阻止すると、声高に読み上げる空々しさにはうんざりする。
以上は推測の域を出ない、呆け老人の妄言と読み流して頂きたい。http://motozaemon.blogzine.jp/chek1/2012/06/

2012年7月1日日曜日

我が家の菜園

猫の額の様な庭の片隅を利用して、葱や韮等を植えている。等と書くと、他にも栽培している様に聞こえるが、独活や日除けの苦瓜と自生の赤紫蘇や青紫蘇、摘み菜、茗荷が有るに過ぎない。葱はこの春、1株がどんどん増える「分け葱」との事で農産物センターから購入したが、ご覧の通リの有り様。
肥料もくれないので分株しなのか、土寄せが足りないのか分からない。
なお、本文の下に時計表示が出る様にしたが、これはHTML構文を丸移したものである。
此れを新しいページに自動的に移せないか、試みるが方法が見当たらない。

此のブログは、先日「rajiko_plaer_air」をダウンロードし、TBSラジオを聴きながら書いている。結構楽しい。