2014年1月29日水曜日

君には、愛する家族がいないのか

映画「永遠の0」の中で宮部久蔵が部下に問いかける言葉である。
戦時中、それも敗戦間近の戦況下である。
将校はじめ皆殺気立っている中で、「死んだら泣く人がいるだろう」と言う傍から、育てた部下たちが次から次へと特攻を志願し、確たる戦果も挙げられずに海の藻屑と消えてゆく。
そうした現状を宮部は憔悴し切って見守っている他無い訳だが、ついに自ら志願して特攻として死んでゆく。
この辺の心境は、無駄死にさせてしまう上層部やそれを止められない自責の念が特攻へと突き動かしてしまったのだと想像する。

あれほど死なずに帰ると言って置きながら、遂には家族への愛を打ち捨てなければならないのが、戦争の狂気ともいうべきものだと思う。
例えば会津戦争に於いて切腹した14.5歳の少年が取るべき方法は他に無かったのか。
城下の火災を落城と見誤り、死ぬことを選んだ子供達の心境やいかばかりであったろうか、と想像したときに父母を思い、兄弟を思い決心したのであろうか。

太平洋戦争下におけるサイパン島の玉砕で、民間人が子供を抱いて断崖から飛び降りる姿は正視に堪えないが、まさに戦争が狂気を駆り立てるものであることを証明している。

強い日本はいらない。
昨今、強気の発言が中韓に対して発せられるが、虎の威を借りる狐を想像させる。
結局、アメリカの後ろ盾があってのもので、沖縄の米軍基地の移設問題もそうした背景を以て強行されるのではなかろうか。
沖縄が唯一地上戦の場となり、多くの人達が兵士の弾除けとして死ななければならなかった事を忘れて、振興策と称して膨大な金をばらまくことは沖縄人の精神を破壊するものだと思う。

ここ数日の国会質問で答弁する総理大臣の内容や口調をテレビで見るにつけ、行く末が案じられる気にさせられるのはパソ爺だけであろうか。

2014年1月25日土曜日

妻沼の聖天様から「永遠の0」を観に行く

妻沼の聖天山歓喜院で遅ればせの初詣
風のない静かな天気に誘われて、妻と半年振りの聖天様に出かける。
50円のお賽銭で子供達や孫の安全祈願をする。
お目当ては門前から少し離れた「辻九」という手打ちそばであるが、昼時であったので満車、そのため妻沼の農産物まで足を延ばす。
妻沼も葱が特産品で妻沼葱として販売している。
地続きの深谷とは目と鼻の先だが、あちらは深谷葱としてブランド化され高く売っている。
土も苗も作り方も同じ物なのだ。

同じような例が大分県と愛媛県を挟む豊後水道で獲れる関サバや関アジなどもブランド化して高値で取引されるが、対岸の新居浜の物は同じ海で獲れるが安い。
一度大分空港で関サバ寿司をどんなものかと食べたが、時価と書いてはあったが1貫800円もしたのに驚いて1貫で止めた。
マグロのにぎりの方が安かったのを記憶している。
高い方を通ぶって食べる。馬鹿な習性だ。

ここは歓喜院の境内で売られている聖天すしが縁起物である。
乾瓢の海苔巻きと普通の3倍ほど長く作られた稲荷寿司である。
夕飯用としてお店に行くが2パックで売れ切れとの事、良く売れるらしい。毎日の事だから結構な商売になる。
利根川を挟んで太田市側にも同じような寿司が売られているらしいが、味が違うとかでわざわざ橋を渡って買いに来る客もいるとか。

「永遠の0」は何を言わんとしているのか
妻沼の帰途、スマークに立ち寄り、Sさん推薦の映画を観た。
あの時代で戦地に行く兵士が生きて還る、ということを言う人間はかなりの異端児扱いされたに違いない。
特に軍隊内であればなおの事。
さらに、操縦を教えた生徒たちに無駄に死ぬな、と言って聞かせるのはかなり勇気のある発言であり、あの狂気の軍隊で理性を持ち続けていた人がいた事は驚きである。
実話でないにしても、このような人もいたに違いない。

昭和30年代頃か、「人間の条件」という小説がベストセラーになり、文庫本で10冊ぐらいになったのではなかろうか、それほどの長編であった。
映画化され仲代達也と新珠三千代が主演し、女性の紅涙を絞ったものだが、観ていた思い出した。
底辺が似ていると。

あの時上映された映画館は大盛座か隣の東宝だったろうか。
満員であった。便所くさい空気とひといきれの中、立ち見までして見たものだ。
今はどうであろうか、プレビの座席は400席あるが観客は3・40人程度と、空気は清浄、椅子もソフトで非常に見易い環境でゆったりと観られる。
観終わって思わず拍手をしそうになった。
しかし、Sさんが言うハンカチを忘れずにというほどでも無かった。

あの戦争末期、大勢に流されず、家族を思い、未来ある知性の死より墜落した飛行機の方が大事と公言する上官を諌める勇気、あの矜持を持ち続けたいものである。

ここ半年の間に、中韓との間がぎくしゃくしているが、最近、変に煽る論調が気になる。
確かに中国の領土意識や韓国の歴史認識が事あるたびに我が国に向けられ、不快な念に駆られる事が再三である。
しかし、ここは過去の反省に立って、日本は近隣諸国と友好関係を保ってきたのだから、「強い日本」を取り戻す、などという自民党のキャチフレーズに乗らない事だ。どうも気になる。



2014年1月12日日曜日

女三人寄れば姦しい

久し振りに「いちゃん庭」で昼食を摂る。
華蔵寺沼の南で、北部環状を北に入った所に位置する。
2・3年前、妻に誘われ寄った時、蕎麦の細く腰のある食感に感心し再度行ったところ、今度はやわやわの蕎麦が出され行くのを止めていた。
今日は陽気が小春日和になり、外出の傍ら寄ってみた。

通路を挟んで向かいの小部屋に女性だけの団体が来ていた。
婆さんの集団である。
新年会らしく着物を着ている人もいるが、話の内容が凄まじい。
「あたしが入ったのが60だから、ともちゃんはその後じゃねえかい」
「そうじゃねえよ、同じだよ」
「違うだんべが、あたしゃ入って20年だよ」
入会時期の確認をしているらしい。
別な人が、「おつかつだったんべがね」と、仲裁をする。

別のグループは、防寒対策の着重ねの話に夢中だ。
「あんまり寒いから、股引2枚かさねなきゃ寒くてどうしょうもないがね」
「あたしゃ寝巻の上に上っ張りを羽織って来たんさね」
「朝なんか厚着して寝ているから七転び八起きで、布団から畳に転げ出なきゃ起き上がれないがね」
「ほらこれが一枚だんべ、2枚・・」と、どこを捲って見せているのか分からないが、一斉に笑い転げている。
その騒々しさは店内を聾すばかりである。

女性は年を経ると山姥になると言われるが、,多分に男に近くなるようだ。
周りの目を気にせず大声で話し合う姿は、乙女の恥じらい今いずこである。
とにかく凄いの一語だ。
我が家にもいるが、あれほどでは無いような気がする。
外ではあのように振る舞っているのか分からない。
そのうち注文していたものが出て、ぱくつき始めたらしく静かになった。

パソ爺は蕎麦の盛りを頼んだが、最初に食べた味と同じで美味い。
蕎麦は、善光寺の門前近くの蕎麦屋から送られて来るという。
そうすると何時かのやわやわ蕎麦は、茹で過ぎだったのかもしれないし、予め茹でて有ったのを温め直しをして出したのか分からないが、本日のは違った蕎麦であった。

ただ蕎麦汁が塩辛いので、支払いをする時感想を述べて帰ってきた。


2014年1月9日木曜日

小学1年生の安全意識

隔週水曜日の午後、何時もの学童パトロールをしていた時の事。
4・5人の黄色い帽子の子供達が横断歩道橋を降りて来た。
橋の降りた所で何やら話し合いを始めた。
そして、そのうち何やら揉めだしてきた。
「知らない人の自動車に乗ってはいけないんだよ」
「〇〇ちゃんのお母さんだから大丈夫だよ」
「だって、先生が言っていたもん」
「〇〇ちゃんと一緒に乗るから大丈夫」
「明日先生に言うもん」

その内の一人が友達が待っている自動車に行って、何やら交渉して戻って来た。
「〇〇ちゃんのお母さんが大丈夫と言っているよ」
この時点で女の子達は乗って帰りたい側に付く。
反対は、男の子一人。
「明日先生に言ってやるから」
と言って、歩き出した。
この一言が効いたのか、今まで乗車組側の子達も黙って歩きだし帰途に着いた。

此れで一件落着したが、微笑ましいやり取りとりの半面、子供達にとっては重要な決断を迫られていたと思う。
おそらく学校としては、例え知っている人でも家族以外の自動車には乗ってはいけません、と教えているのだろう。
特に低学年生は、疑いを知らない年頃だし、痛ましい幼女誘拐事件などがある。
登下校の様子を見ても、集団で行ったり来たりしている。
海の小魚達が捕食されまいと、集団態勢でマグロやサメを追い払っているのに似ている。

それで良いのだと思う反面、世の中が荒廃して来ている現実を目の当たりにした思いである。
大人一人一人が周囲に関心を払い、注意深くしなくてはならないのかもしれないが、ごみの分別収集を例にしても、出してしまえば後は野となれ山となれの感覚だ。
身の回りの不用物は出してしまえば後は知らない。
こうして周囲の環境を汚してしまってもわれ関せず、無頓着である。
行政経費の節減などは望むべきも無い。
一事が万事この調子で行くならば、隣組の連携、コミュニケーションはますます廃れて行くに違いない。
怖い世の中になって行く。