2013年11月25日月曜日

ショートカットの試行錯誤

使っているパソコンは教材用に文字やアイコンを大きく表示している。
インターネットなども、同じ様に表示させているので見易い。
しかし不都合もある。
アプリケーションのダイアログボックスが大きい場合、一番下に表示される「OK」ボタンなどが隠れて見えない事が有る。
その為にデスクトップ画面のタスクバーを隠すように設定するが、時として隠れずに表示したまま邪魔をする事が有る。
何故なのか分からないが、顔を出したまま肝心の操作をさせない。

例えば、写真の印刷をする時は「ピクチャー」から写真を選び、「メニューバー」の「印刷」をクリックすると、「画像の印刷」ダイアログボックスは表示される。
「画像をどのように印刷しますか」と聞いてくるから「プリンター」の設定、「用紙サイズ」「品質」「用紙の種類」と選択して行くが、肝心の印刷命令が見当たらないので戸惑ってしまう。
よくよく見ると「印刷」ボタンはタスクバーの下に隠れているのだ。
本来タスクバーを隠すように設定してあるのだが、この場合だけは出たままになっている。
「画像の印刷」ダイアログボックスの上部にある「タイトルバー」にポインターを合わせドラッグして上にあげると分かる。
そうしたまま素早く下の「OK」ボタンを押したいが、そうは出来ない。

再度タスクバーを隠す操作をして印刷を試みるが、一度は隠れて「OK」が出来た。
しかし2枚目の印刷をしようとすると、タスクバーは出たままとなる。
そこで思い付いたのがショートカット機能だ。
「印刷(P)」の「P」である。
だが、どの応用キーと組み合わせるか忘れてしまった。
(このショートカット機能の早見表のような物はあったが、直ぐには探せない。
「Shift」キーでは駄目。
「Ctrl」キーでも駄目。ただし、印刷ダイアログボックスの表示は出来る。
「Fn」キーでも駄目。
「Windows」キーでも駄目。これを押すとプロジェクターの投射選択が出来る。
「Alt」キーでようやく印刷指示出来、プリンターが動き出した。

以上のように,便利にすると不都合も出るのが今のパソコンらしい。
だから試行錯誤で操作をするしかない。
時に変な画面が表示され、元に戻らないような事もあるのでお勧め出来ないが、パソコンの使い方に「ショートカット」と言うものが有り、マウスでクリックを使わずにキーボードから指示を出せる方法がある事を知って頂ければと思う。

2013年11月20日水曜日

パソコン講座の限度

パソコン講座を開講して12年目を迎える。
旗揚げ時は意気高揚として始めたが、寄る年波には勝てず気力も低下すると同時に疑問も増幅して来た。
パソコンの使い方、文字入力と簡単な文書の作り方、Excelの初歩、インターネットの使い方とメールの交換、写真編集等々広く浅くをモットーにNHK出版や富士通発行の初歩的なテキストを中心に解説してきた。
1・2年はこれで結構間に合っているのだが、3年以降は更にその上を行くテキストやカリキュラムが組まれるようになる。
機能的に高いものを望むことを否定はしないが、60・70歳の人達にどれほどの効果があるのか、必要としているのか分からなくなってきた、と言うのが偽らざる現心境である。
若い人達が目的を持ってパソコン教室に通うのとは、一寸違うような気がしてならない。

平成25年度の初心者講座を受け持っている。
パソコンの起動、終了、アプリケーションの開き方、閉じ方、初歩的な使い方と順を追って8ヶ月目となる。
今もって起動、終了に手間取る人もいるし、アプリの選択が困難な人もいる。
ましてや、クリック、ドラッグが覚束ない。
そうした人にExcelの初歩を手解きしても「暖簾に腕押し」の感じがするなか、相対参照、絶対参照などと話しても、混乱の極みの状態になってしまう。
表を作り、項目や金額を入力し、縦横の集計を算出する簡単な家計簿作りなら興味が出る。
如何に身近な話題で手解きするか、やってみたいことは何か、ニーズの把握をせずに段階的に進めるのは時間の浪費であり、パソコンへの興味を半減させる何ものでもない気がしてならない。

12月になると毎年委託を受けている三郷公民館IT講座が始まるが、人気は高いと言うことであるが、8日間が終わった後の忸怩たる思いは何なのか、今後の指針となるように分析してみたい。
申し込んで来た人のニーズが何処にあるのか、何を習いたいのか、その辺に時間を掛けて聞いて置きたいと思っている。
そうでないと毎年の繰り返しで、応募して来てくれた人達の思いにどれだけ応えられたか、分からないままの閉講となってしまう。
あの時の講座で、今こういうことをしている、こんなことが出るようになった、こうした声が聞かれる講座にしてゆきたいものと思っている。
残り少ない時間を大事に使ってゆくためにも、何かが残せたと感じられるためにも、マンネリ化にならないためにも必要な自己反省である。

2013年11月15日金曜日

ある日突然テレビが壊れた

たった2時間前まで見ていたテレビだったが、女房が見ようとスイッチを入れたが画像が出ないと言う。
こうなるとすぐ呼び出されるのが常である。
もっとも二人しかいないのだから仕方がないのだが。
「テレビ可笑しいよ」
「おかしいって、どうおかしいの?」
「映らないの」
「さっきまで見ていたんじゃない.電源が入っている?」
「リモコンのボタンを押したけど、画面が真っ暗のまま」
機械音痴気味の女房だから、何処をどう操作したのか分らないが行って見た。
確かに画面は真っ暗で、「しばらくお待ちください」のコメントが出ている。
アンテナの接続を確認。
カードの差し入れを繰り返す。
スイッチを入れ直す。
素人の吾輩としてはこれしか出来ない。

この間も「洗濯機の風呂水給水ポンプ」を駄目にしたばかりである。
ガスコンロの具合が悪くなったと、最初に言い出すのも女房である。
確かに使う頻度が多いのが女房であるから、現象に直面する確率は高い。
その都度、診断をさせられるのが吾輩だが、電気製品の技術者でも無い者に分かる筈もない。
適当にいじってみて最終診断を下す。
「ご臨終です」
しかしこのテレビは、2005年にアナログがデジタル化されると言いうので買い替えたもので、まだ8年しか経っていないから釈然としない。
ましてや天下のSONY製である。

他のテレビアンテナに接続して見たが真っ暗、症状は改善されないばかりか弄り回した結果、雨が降るような画面となり一層酷くなったような気がする。
「修理に出してみる?」
「保証期間は過ぎているからお金が掛かるよ、第一重くて持ち運びが大変だ」
「じゃ1台にする?」
二人だけだから別々に見る事も無いのだが、見る内容が違う。
女房はコマーシャルが無いからとNHK専門で、観る物が無いと3チャンネルで高校講座などを見ている。
吾輩はコマーシャルが有ろうとなかろうと、事件物が好きであるから観る趣味からして合わない。

「電気代が節約になるから1台にしょう。お父さんはタブレットを見ていればいんじゃない?」
確かに2人で別々に見ても無駄なようだが、テレビとタブレットでは比較にならないのを我慢してそうする事にする。
タブレットで映画をダウンロードしてみるが、画面に迫力が無い。
「探偵はバーに居る」、フランスの喜劇俳優が演じる物や西田敏行の「素敵な金縛り」「スペック」などを立て続けにダウンロードした。
料金は3日間のレンタルで1作300円程度。
映画館は高齢者割引で1000円だから、映画料金でレンタルが3作は出来る勘定となる。
安いのか高いのかわからないが、映画館に行く手間が無いだけ楽かもしれない。

こうして我が家のテレビ騒動は終息したが、人間もこの様な終末が良いような気がする。
前の日まで元気に講座のインストラクターを務め、翌朝ご臨終となっている。
苦しんだり、訳が分からなくなって周囲に迷惑を掛けたり、事故でぐちゃぐちゃになったりするのは願い下げであるが、これだけは選べない。
だからせめて意識あるうちは遣れることはして、楽しめる事は楽しんで、はい、おさらばと行きたいものだ。


2013年11月10日日曜日

志ん生と談志、「黄金餅」聴き比べ

タブレットの利用については先に報告したが、例えば談志の「黄金餅」を聴きたいと思った時、検索すると年代順に表示されて来る。
昭和44年、46年と亡くなる3年前のものが出て来る。
これを聴き比べると、微妙に違いが分かるのが面白い。
また他の演者と、代表的なものでは志ん生である。
人物を使い分けるのは志ん生が上手いし、江戸の雰囲気を出している。
談志の場合は、歯切れが良すぎてせせこましい。

この落語の聴き所は、願人坊主の西念が吝嗇の果てに貯め込んだ小金に気が残り、死にきれない場とそれを盗み見する隣家の金山寺味噌を売る金兵衛。
登場人物全てがその日暮らしの貧乏人で成り立っている。
その次は、弔いに行く道順の読み上げである。
これも演者によって表現が異なるが、昭和46年の談志の録音が今時の人に理解できる様な気がする。
江戸の街中を棺桶を担いで行く道順に志ん生と若干違いがあるが、一通り述べた後に現在の地名、場所、店の名前などを紹介するから身近に感じる。

長屋が有る場所は、下谷山崎町となって居るが江戸時代に在った三貧民街の一つとの事、住人も得体のしれない輩が多かったらしい。上野駅の東方に当たる一角。
それが夜中に棺桶担いだ集団が大名の門前や町々の木戸、自身番などを通って行ったとは考えにくいが、そこは落語である。
演者もそこは考えての筋書きで演じている。
弔いする寺は麻布絶口釜無村の木蓮寺と言う、金兵衛の菩提寺に設定してある。
これは架空の寺らしいが、長屋を出て13K以上の行程になるとの事。
絶口と言う地名は現在もあり、麻布プリンスホテル辺りになるらしい。

池波正太郎著の「江戸古地図散歩」などと対比させながら「黄金餅」の口述を読むと同じ地名が出て来る。
しかしかなり入り組んだ町並みで、街灯も無い中を歩くのは到底無理とわかる。
落語はそんな事を度外視して、演者の話芸を楽しむべきものなのかもしれない。
筋立てに矛盾が有ろうと、架空の滑稽物でも楽しければいいのであって、目くじら立てて聴くものではないと、インターネットや何かで調べた結論である。



2013年11月5日火曜日

タブレット端末の評価

この春NEXUS 7を購入して半年も経たないうちに新商品が出た。
損したような気持ちを拭い去り、使い続けている。
この結果というわけでは無いが、パソコンに向かう時間が少なくなったような気がする。
メールなども読めるし、返信もできる。
もっともこのためにケースカバー兼キィボードをAmazonで購入した。
入力が便利になった。
本来は画面に入力画面が表示され、指タッチで入力し語句候補を選択する方法だが
キィボードの方がやりやすい。
ほぼノートパソコンと同じだ。
FaceBookや最新のニュースなども閲覧でき、当然ながらGoogle関係のアップリケーションは使える。
本をダウンロードして読むのもKindolと変わらない。
映画も安く観られるが、若干途切れる事がある。この辺は光でないと無理があるらしい。
とにかくアプリが多いのには驚くと共に、あまり入れ過ぎると容量が足らなくなる心配が出るので程々にしている。
この記事もNEXUSで作成している。
ただ、写真などを投稿する方法が分からないから、パソコンから入れている。
後、音楽のダウンロードが分からないが、Youtubeで落語は聴き放題である。

 良い事尽くめの事を書き連ねてしまったが、電池の消費量は早い事とカーナビゲーションシステムは予め作って置かなければならないし、出先での変更は効かない。
この辺はスマホとの違いである。
当分ハマりそうである。