2010年12月28日火曜日

最後の忠臣蔵考

12月は何故か一行も書けなかった。
年賀状を投函して気が安らいだら、書く気が出て来た。
これまで、Mネットの人達からの年賀状には出さないでいたが、それでは余りに失礼と思い今年は書く事にしたら、今日まで延び延びとなってしまった。
それが心の負担になって、ブログに向かわない原因とは気の小さな男よと、思われそうだ。

さて本日は、件名の映画を観た感想を述べたい。
この映画は、池宮彰一郎さんの「47人目の浪士」の収められた一編である。
初稿は、平成5年5月から週刊新潮に連載されたものである。
翌年、先程の単行本となり、「仕舞始」、「飛蛾の火」、「命なりけり」、「最後の忠臣蔵」と共に発行されたものである。
パソ爺は購入していたが忘れていた。
映画の題名を見て何処かで見た様な、本を買った様な気がして探したらありました。
埃塗れになって、すっかり忘れていたのだ。

読み返してから映画を見に行く事にして、最初からゆっくりと紐解き読み始めたらこの作者の漢字の使い方が独特である。
仕方なく電子辞書を傍らに置き、読み始める事2日間。
先ず、タイトルから分からない。「仕舞始」仕舞い始めと読むのだが意味が分からない。
広辞苑を引くが出てこない。
おそらく討ち入りが終わり引き揚げる途中、休憩した旧藩の上屋敷で大石内蔵助に言い含められて逃亡するが、それが苦難の始まりを意味するものと理解して進む。

小説は、全篇を通して寺坂吉右衛門を中心とした筋立てとして進むので、最後の忠臣蔵とは彼を指すものと思っていたがそうではなかった。
討ち入り当夜に脱盟し、大石の愛人「可留」とその娘を匿い養う事になる役所広司扮する瀬尾孫左衛門では無いかと気付いた。
脚本も瀬尾孫左衛門と、大石内蔵助と可留の娘「可音」を中心にしたものであった。
この可音が可憐な雰囲気を持つ女優である。桜庭ななみと言う鹿児島県出身で、ほぼ新人であるが、兎に角見ているだけで孫左衛門とのやり取りが切なく感じさせる不思議な女優である。

さて、徳川時代に御家取り潰しになった大名家は百近くなるそうだが、討ち入りに参加した縁者は勿論、禄を離れた家士達の行く末まで面倒を見たのは赤穂浅野藩だけとの事である。
それも殿様が偉いのではなく、大石の蓄財、現代的には財テク資金のよるものである。
塩田開発に力を発揮した大石は、大阪の豪商天川屋と結託して藩に入れる金銭の一部を簿外金として蓄財して運用し、将来の藩存亡に関わる事態に備えていたとの事である。
まるで殿様の刃傷沙汰を予想して居たかのような用意周到さで、討ち入りに成功したのである。
又は、浅野内匠頭が殿様としての資質に欠ける所を、見越していたのであろうか。

話を映画に戻します。
先程も述べたように、小説と映画は視点が違って描かれて居ます。
映画は、孫左衛門と可音が中心で、幕府の詮議から逃れ山里に隠れ住み、夕様と言うやはり隠棲している女性の庇護の元に育ってゆく過程と、可音が京の豪商茶屋四郎次郎の倅に見染められて嫁して行くまでを描いている。

しかし、小説では吉右衛門が東奔西走して元浅野家の家臣を訪ね、生活相談をしながら全国を歩き回って居た時に、京都の茶店でかっての盟友を見かける事が発端となっている。
探し訊ねて見たものは、孫左衛門と可音の隠棲する姿であるが、全てを悟った吉右衛門が嫁入りの手助けをして行く事になっている。
又、可音を養育し躾をしたのは其処に住んでいた尼主であり、映画のような生臭いものではない。

映画が生臭いというのは、可音を養育し躾をした夕様の前身が島原の遊女で、夕霧太夫と言う女性で茶屋四郎次郎に身請けされて匿われていたが、今は一人住まいをしており可音を嫁がせた後に孫左衛門と一緒になることを夢見ていたのである。この役は朝の連続ドラマに出ている安田成美が演じているが、艶めかしさを滲ませる役となっている。

最後は、小説、映画共孫左衛門が役目を終えたとして大石の後を追うのであるが、そこで吉右衛門が瀕死の孫左衛門に呼び掛ける言葉が「孫左、これが赤穂侍か」。
16年の歳月を耐え忍び、役目一筋に尽くし果して後、46人の後追い切腹をする忠義心を最後の忠臣蔵として、47人目の浪士になったとの印象付けであった。

ただ人形浄瑠璃が全編に流されていたが、それも「曽根崎心中」で「おはつ徳平衛」の道行から心中するまでを延々と流す意味が最後まで分からなかった。
何方か映画を見て、絵解きしてください。