2013年3月30日土曜日

ボケ防止川柳6訓

テレビ番組に健康に関するテーマが多くなってきた。
民放には、タレントをモルモット代わりに仕立て、バライテー風に検診をさせて面白く分り易く見せて居る。
その点、NHKの「今日の健康」などは、比較的落ち着いた内容で、しかもいろいろな角度から検証して参考になる。

認知症予防も頻繁に取り上げられているが、先日の番組でこんなことが予防になると指針が示された。
これに川柳を織り交ぜてご紹介したい。

1 良く噛む、30回を目安に30分ぐらい時間を掛けた食事を心がけること。
「30回/噛めと言われて/数わすれ」

2 本、新聞を声を出して読むこと。
「読んでいる/お悔やみ欄を/声出して」

3 カラオケで唄うこと。
「懐かしの/選曲だけで/夜が更ける」

4 翌日の予定表を建てること。
「草むしり/明日の天気が/気にかかり」

5 料理すること。
「週一の/献立いつも/酒つまみ」

6 ウオーキングをすること。
「朝夕の/散歩は犬が/道を決め」

貝原益軒の「養生訓」の中に、「接して漏らさず」と言う教えがある。(これしか記憶が無い。)
これなどは、高齢者にとっては大事なことらしい。
あの一滴は、寿命を1年縮めると言われているが、そんなことは心配ない歳となってしまい、むしろ、昔の放出が悔やまれる昨今である。

ボケとは関係は無いか?。

2013年3月23日土曜日

風景今昔

手前が十字路となっていて、左に行けば安堀町、右へ行けば末広町である。
左の写真は、昭和32年に撮影されたものである。
義兄の森村さんが、上毛新聞が募集した「思い出の風景」に応募して伊勢崎市観光協会賞に入選したものである。
場所は伊勢崎市太田町地内を流れる赤坂川の上流部、今は清水ベーカリーが東にでき、西はワタナベ金物店がある。
その間を大胡県道が通っていた。
橋の名前は「新赤坂橋」と言うが、最近の人は知らない。
道はバラス、所謂砂利を敷き詰めたもので、道の両側500メートル間隔ぐらいに砂利置き場が有った。
今は、ごみステーションとなり、其処が県道の保線場所と知っているのは土地の年寄りだけである。
ボンネットバスは前橋発の急行で、国道50号を通り二宮の十字路を右折し、新伊勢崎駅まで直通運転されていた花形である。
遥か彼方に屋敷林が見えるが、波志江町2丁目辺りか、東のこんもりと見えるのは権現山に移転したばかりの三郷中学校の校舎であろうか。
パソ爺たちは、校舎建設のためと称して体操の時間は材木運びをやらされた。
今の三郷小学校校庭で加工した柱やその他の材木を、生徒が2人掛りで担いで行ったものだ。
その校舎での授業は無く、卒業式だけした思い出浅い校舎である。



3月23日土曜日午前6時45分撮影(OLYMPUS SP-620UZ)
右の写真は、55年後のほぼ同位置からの現風景である。
道路は舗装され、両側に金物屋、携帯電話ショップ、マクドナルド、コンビニ、寿司屋、パン屋、食材屋、パーマネント屋、アクセサリー店等が立ち並ぶ一寸した商店街を形成している。
従って赤城山の遠望は望むべきも無く、僅かに稜線が見えるだけである。
この道路は大胡の手前までほぼ直線であったが、西に本庄県道が北進延長された新道が出来、途中で折れ曲がり新道に接続するように直されてしまった。

しかし新赤坂橋は、今もひっそりと道路を支え、東に分かれる道路も現存し、往時の面影を残している。

2013年3月21日木曜日

夜来風雨の声

3月21日、深夜、風の音に目を覚ます。
一昨日の夏日が一転しての激変である。
往々にして此処群馬は、強風が吹き荒れ砂塵が天空に舞い、赤城山のすそ野が黄色く霞むこともしばしばであった。
そうした季節風はこの春先に多い。
 
立て付けの悪い戸障子がガタガタと打ち鳴らされ、家中が息をする様だ。
そんな夜半の物音に耳を澄ませていたら、「夜来風雨の声/花落つること知る多少」の漢詩の一節が思い浮かんだ。
まさにその通りの情景が外では繰り広げられているのだろう。
藪椿の花が吹き飛ばされ、蠟梅が必死に枝にしがみついているか。
 
武士社会での椿は、忌み嫌われていたそうである。
花の落ちる風情が、首が落とされるに通じるとかで。
今の世はそんなことお構いなしであるが、ボッタと落ちる形はあまり宜しくない。
左写真は今朝の様子である。
成る程、首根っこから落ちている。
 
漢詩と言えば思い出す事が有る。
高校の授業に週一回漢文の授業が有った。
勉強も録すっぽしないでテストを受けるから分らない。
廻りも大学受験に関係のない授業には力を入れていない。
だから、カンニングが横行していた。
教師も素知らぬ顔をして見過ごしていた様だ。
それを横目に見ながら吾輩は、「武士はくわねど高楊枝」と書き、後は白紙で提出した事が有った。
答えが分から無くてもカンニングだけはしないよ、との意味を込めたものであった。
そんな洒落は通じる訳が無く、零点の答案用紙が返って来た。
 
止まぬ風音を聞きながら、そんな事まで思い出してしまった一夜であった。
 
 
 

2013年3月19日火曜日

年年歳歳

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
今年も玄関の脇に植えてある躑躅が花を咲かせた。
毎年、花後の芽かきをして居るためか、満開の花を咲かせる。
しかし、人間の生き様は自然の様には行かない。

唐突に物事が発生する。
人生何の苦労もなく終えんを迎える事の難しさ。
自らに、家族に、知り合いにと、病気や生活苦、トラブルに事故等々、生きて行くうえで避けられない事である。

歳と共に肉体と精神が衰え、ストレスに弱くなって来ている。
老人性鬱が多くなって来ている、と言われているのもこのためかもしれない。
先日、知り合いの女性がFacebookの投稿で、1週間で北は北海道から南は熊本県にと、講演をして歩かれた様子が事細かに書かれていましたが、行く先々でご当地グルメを味わっておられた。
健康でなければ出来ない行動であり、食べて飲んで、仕事もこなして行くバイタリティは何処から来るのであろうか。
若さだけでなく、人生ボジティブに受け止められ、後顧に憂い無き環境が推進させるのでは、と思わざるを得ない印象を受けた。
この方のお知り合いも、資格取得に挑戦したり、短歌を投稿したりと前向きな方が多い。

先日も来年度の初心者講座受講者選考を行ったが、選考基準を巡り侃々諤々と論議が交わされたが、我々ロートル組は傍観するのみの聞き役に回っている。
煩わしい事に対処する気力が払底しているのか、エンジンが掛からないのである。
日々惰性、マンネリ、ご都合主義、皆様並み、人の言うなり、自主性欠如等々、どれも該当する。
此れじゃ駄目である。
生きている間は人間らしく、自己を確立出来る人生観を持たなければならないと、鞭打つ昨今であるがどうかな。

2013年3月15日金曜日

沖縄の2月 ゴルフ武者修行に行く ②

沖縄ゴルフ初日である。
初めてのゴルフ場はどんなコースか、同伴して呉れることになったご夫婦はいい人達かしらなどと、未知なる出会いに思い巡らした夜は気持ちが高ぶっていたが、長旅の疲れで熟睡した。
しかし、早めに目が覚めてしまった。

朝食は前夜の大広間で、思い思いに席に着き食べ始める。
年寄り夫婦と嫁さんらしい人の3人が給仕してくれる。
そこそこに済ませ、爺さんの軽自動車に送られゴルフ場に向かう。
標高4・500メートル程度の山裾をぐるりと回るようにして、アプローチ道路に入る。
途中、山肌の至る所にコンクリートで作られた構築物が点在して居るので尋ねたところ、お墓との事である。
噂には聞いていたが立派なものである。
しかし、沖縄上陸戦の時は、トーチカと間違われ攻撃の対象となってしまったとの事である。
お墓には入っていなかったが、それを遮蔽物として隠れていた人が犠牲になってしまったらしい。
そうすると、これからプレーするゴルフ場は、こうしたお墓と戦争犠牲者の上に造成されたものかと想像すると、高揚した気持ちが萎える。

しかし、ゴルフ場のクラブハウスが目に入ると、すっかりゴルフモードに切り変わっていた。
受付で申し込みをして、ロビーで同伴者を待つ。
この時間プレーをする人は閑散で、本土だと受付がごった返す程であるが、沖縄は出足が遅いらしい。
タクシーでご夫婦が降り立った。
お二人が受付を済ませたのを見計らって、こちらから挨拶をする。
お二人とも気さくな方で、内心ほっとする。
話の様子から毎年の様の来ているらしく、クラブハウス内の案内をして貰いロッカー室で着替える。
コースは、4人乗りカートに乗って移動する。
内地だとスター時の1番ホールは待ちゴルファが屯するが、沖縄は出足が遅く朝一は少ない。
コースは狭くアップヒルの連続で、左右は少し曲げてしまうと球を拾っては来られないブッシュである。
だから20球ほど持参したゴルフボールは、終了する頃には半分ぐらいしか残っていない始末であった。
頂上付近の景観は素晴らしく、太平洋と東シナ海?が一望できる。(右写真はカントリーのホームページから転載)
風も強く、両方の海風が右から左からと吹きつけるので、ビギナーゴルファにとっては難コースであった。
このゴルフ場のシステムは面白く、昼食休憩は無くカートに乗ったままお握りやバナナを食べながらプレーをするのである。
1ラウンド終了して食堂で休憩し、コヒーなど飲んで帰る事になったが、お互いの自己紹介をしながらよもやま話をしたのだが、春日井市内で税理士事務所を開業しており、今は倅さんが取り仕切って楽隠居の身分とか。
話の中で思い掛けなくも、東京での研修仲間の名前が出て来たのには驚いた。
そんなことで、一層親近感が生まれた初日のスタートであった。

2013年3月1日金曜日

第10回シニアパソコンフォーラム無事終了

今年度のフォーラムは、例年3月開催していたのを2月に繰り上げて開催する事になった。
どうも気分的に3月の意識が残って、取り組み自体が全体的に遅かったような気がする。
アトラクションのテーマ設定がなかなか決まらず、12月に入ってから予算に見合った出演者を探し出し、「介護問題」をテーマにすることになった。
兎に角、企画力が枯渇しており、マンネリ化の傾向があるフォーラムになって来ている。
しかし、パソコンの研修と言う主題だけは外したくないから、基調講演は毎年根岸泰子さまにお世話になって居る。
今回は時あたかも、WindowsのOSが変わり、Officeも13にバージョンアップしたので格好のテーマとなった。
根岸様も、新ソフトを入れたタブレット端末をわざわざ購入して準備して来てくれたが、文化会館のプロジェクターが不鮮明で折角のテーマが暈けてしまった。これは残念なことであった。

アトラクションとして、介護士で漫談家の女性芸人「メイミ」さんが東京から来てくれ、あれこれと笑わせてくれたが、やや生硬いところがあったが無事90分をこなしてくれた。
心配していたより、会場が盛り上がったのが救いである。

入場者数は、野鳥の会よろしく目算で200人前後であったとの報告が有った。
年々来場者が減少するが、呼び掛け方法もなるくなっており、Mネット学習受講者も200人前後であるから、かなり卒業者が見えているものと思われる。

原点回帰と言う表現が当たるどうか確信はないが、第1・2・3回のフォーラムで行った「パソコンをどのように利用しているか」と言う体験談の発表に戻るべきか、芸能中心のお楽しみ会に徹するか、今まさに岐路に立っているような気がする。
アイディアが尽きている時は原点回帰が無難であるが、体験発表者を探すのがまた至難の業となる。
Mネットが開講している講座からの発表でも、他の教室の体験談でも構わないが、人前で話すことに不慣れの人が多いから出来る人が探せない。
また、自前でパソコン境地を開拓している人は少なく、週1回の教室で講師の言うがままの操作をしてまた来週、と言った方が殆んどである。言い過ぎかな。ご勘弁を。陳謝。