2013年3月23日土曜日

風景今昔

手前が十字路となっていて、左に行けば安堀町、右へ行けば末広町である。
左の写真は、昭和32年に撮影されたものである。
義兄の森村さんが、上毛新聞が募集した「思い出の風景」に応募して伊勢崎市観光協会賞に入選したものである。
場所は伊勢崎市太田町地内を流れる赤坂川の上流部、今は清水ベーカリーが東にでき、西はワタナベ金物店がある。
その間を大胡県道が通っていた。
橋の名前は「新赤坂橋」と言うが、最近の人は知らない。
道はバラス、所謂砂利を敷き詰めたもので、道の両側500メートル間隔ぐらいに砂利置き場が有った。
今は、ごみステーションとなり、其処が県道の保線場所と知っているのは土地の年寄りだけである。
ボンネットバスは前橋発の急行で、国道50号を通り二宮の十字路を右折し、新伊勢崎駅まで直通運転されていた花形である。
遥か彼方に屋敷林が見えるが、波志江町2丁目辺りか、東のこんもりと見えるのは権現山に移転したばかりの三郷中学校の校舎であろうか。
パソ爺たちは、校舎建設のためと称して体操の時間は材木運びをやらされた。
今の三郷小学校校庭で加工した柱やその他の材木を、生徒が2人掛りで担いで行ったものだ。
その校舎での授業は無く、卒業式だけした思い出浅い校舎である。



3月23日土曜日午前6時45分撮影(OLYMPUS SP-620UZ)
右の写真は、55年後のほぼ同位置からの現風景である。
道路は舗装され、両側に金物屋、携帯電話ショップ、マクドナルド、コンビニ、寿司屋、パン屋、食材屋、パーマネント屋、アクセサリー店等が立ち並ぶ一寸した商店街を形成している。
従って赤城山の遠望は望むべきも無く、僅かに稜線が見えるだけである。
この道路は大胡の手前までほぼ直線であったが、西に本庄県道が北進延長された新道が出来、途中で折れ曲がり新道に接続するように直されてしまった。

しかし新赤坂橋は、今もひっそりと道路を支え、東に分かれる道路も現存し、往時の面影を残している。

4 件のコメント:

  1. 上毛新聞の「思い出の風景」の写真の中で、大胡県道を走るボンネットバスの写真が気になって、しみじみと見ていましたが、近藤先生の義兄の森村さんの写真と知って驚きました。私の亡き母の父親が、昭和30年代に東武バスの運転手をしていて、時々桐生県道を走っていましたが、その当時、写真のようなボンネットバスに、亡き母とただで乗せてもらったことを思い出しました。写真をみて、幼少の頃の懐かしい思い出に包まれました。

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    1. ヒロシさん
      一枚の写真の重みです。
      それに引き換え、デジタル写真の便利さは少し軽すぎますかね。

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  2. 大胡県道、40年も前伊勢崎に来た当時を思い出します。清水ベーカりー辺り赤坂橋から北は今の環状線の北辺りまで家が無く田んぼで乗りなれない自転車と空っ風に涙ぐみながら日々の買い物等をした記憶が有ります。すっかり変わって仕舞いましたね。

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  3. 今はショッピグモールが出来、ガソリンスタンド、病院、高校と便利な地区になりました。

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