2012年2月29日水曜日

NHK午後7時の女性アナウンサーよ、ゆっくり喋れ!

丁度、夕飯時に聞くのがNHKのニュースで有る。
曜日によってアナウンサーは交代する。

「安心ラジオNHK今日のニュースです。こんばんわ、 末田正雄です。こんばんわ、高坂真由美です。 」
で、始まるニュースが聞きづらく、早口言葉のニュースになってしまう。
女性アナウンサーの余裕が無く、上滑り調子の話し方は、これでもか、これでもかとスピードアップして話すのだから、気ぜわしく、この上ない無い。
一言一言噛みしめて話すアナウンサーが多い中で、この人は別タイプで有る。
言い間違いも多く、そそくさと読み進むのだから聞いて居てイライラする事がある。
NHKのアナンサー教育では1分間にどれくらいの速さで話すと聞く側で聞き取れやすいか、常日頃研究し、現場に浸透させていると聞いた事がある。
1分間350字、心地よく聞いて貰えるのは300から250字だそうだ。

ラジオなどでも、高齢者向きにゆっくり放送する設備を備えたものが開発され、実物を見た事がある。
「すでにNHK 放送技術研究所が開発していた「ゆっくり機能」が基礎となっている。この技術は、もともと視聴者からの「放送内容が早口で分からない」というクレームから生まれたもので、全体の時間は変えずにしかも声の高さや音質を保ったまま、ゆっくりとした音声を聞くことができる技術だ。
適応的な話速の調節と、聴感上違和感のない程度の「間(ま)」の短縮により、聞き取りやすい速度で聞くことができ、市販されているラジオにも採用された。この技
術を応用し、再生速度に応じて一律に発話速度を変えるのではなく、声の高さや大きさ、発話位置に応じて適応的に話速を変化させるアルゴリズムを開発した。これにより高速再生時にも音声に「ゆっくり感」が感じられるようになった。」

(高齢者・障害者向け通信・放送サービス充実研究開発助成事業報告から抜粋)

IT事例研究発表がNHK放送技術センターで行われた時に、NHKの担当者からテープのスロー再生と違い、フレーズとフレーズの間隔に何秒かの間が有り、それを使って話言葉をゆっくりとしたものに変換すると聞かされたが、当時既に65歳で有ったが、そんなものは必要になるのだろうかと思った。
しかし、この歳になり耳も一緒に高齢化し、聴き取り難くなってきているので必要性を感じるようになって来た。

だから我々も気を付けなくてはならない事は、高齢者の多いパソコン講座での話し方である。
立て板に水の如く名講義しても、聞く側があっち向いたり、目を宙に泳がせているようでは耳に入っていない証拠である。
納得して貰える話し方とは、ゆっくりと、噛みしめながら、一人ひとりの顔を見て、分かってているかな、難しい事を言って居ないか、長く話し過ぎて居るかな等々、教室の空気を読みながら進める事に付きるのではないかと、自分自身の体験上会得したつもりが、長いんです。小生の話はくどいと、他人は言うのです。
あれもこれも話したくなって、脱線したり、別方向に進行したりと他人が聞くとハチャメチャな講義らしいのです。
喋りまくっている本人は、自己満足して居るから分からない。
一度ICレコーダーで録音して、聞き直して反省材料にしてはどうかと思っている。

2012年2月24日金曜日

尾籠な話題で

何時だったか、トイレで用を足している時に地震に遭った。
便器に腰掛けていると、体がゆらゆらし始めた。
息張っていたので血管が切れ、脳出血にでもなったのかと手足を動かしてみたが、異状なし。
依然としてゆらゆらする。
地震と思ったが、出ている最中で飛び出す訳にゆかない。
大体パソ爺の用便は長い。
同居人である妻に嫌われている。
だから断ってから用を足す。
時には、断ってから入る事にしている。
中でゆっくり出来ないから、先に済ませてもらう。
この日もそうした手順を踏んで入っていたのだが、思いも掛けない地震に見舞われた訳である。
倒壊する程の強さではないが、便器ともどもゆらゆらするのは気持ちの良いものではない。
さりとて途中仕掛けた状態であるから、止められない。
便も出掛ったままゆらゆらしている。

妻がドアーの外から「地震ですよ。」
中から「知っているよ。」と応答。
「危ないよ。」
「便所の中は安全だ。」と、何の根拠もなしに安全宣言をする。
しかしよく考えてみると、三方壁に囲まれ一番頑丈な場所になる。
「中に閉じ込められない様にドアーを開けて置けば。」
それは余りに恰好が悪い。
そのうち静まって事無きを得たが、こうした状態で地震に遭う場合も多い事だろう。
大体、咄嗟の場合に対処出来る心構えが必要であると、反省しながら後半を継続。

吾輩は、便秘症気味だから2・30分掛かる。
時間帯によっては聞きたい放送もあるので、携帯ラジオをイヤホーンで聴きながら用を足す事がある。
特に金曜日の朝9時ごろ、便意を催した時など。
大沢悠里と迫美千代の掛け合い「お色気大賞」などは尚更である。
神代の時代から変わらない、男と女が繰り広げる子孫繁栄のまつり事を面白おかしくアドリブを織り交ぜ、放送コードぎりぎりの内容ににやりとしたり、爆笑を禁じ得ない事がある。
何しにここに座っていたのか、便意も何処かに飛んでしまう事さえある。
ただし吾輩の便意は不定期便だから、朝もあれば昼もあり、夕方頃もあれば寝てからもあるから始末が悪い。
今時の深夜便は寒くて、眠気で辛い。
しかし無い時もあり、2日3日間隔の時もある。
医者に言わせれば、尿の出ないのは心配するが、便が出ないのはよくあるとの事だ。
しかし、バキュームカーではないのだから2・3日分の便を腹に抱えているのも気持ちの良いものではない。
サツマイモが良いとか、煮たシメジを水とミキサーにして煮ものに混ぜて食べると通便するとか。
いろいろ試すが、一刻である。
食べ過ぎず、よく噛み、運動をすることに尽きるようだ。


2012年2月18日土曜日

石巻の夜

  仙台に着いたのは午後4時を回っていた。
 8月下旬の夏空が消え、靄が掛かりどんよりとした薄暗い夕暮れとなっていた。
 それでも道行く人の流れは喧噪を極め、東北の雄とした大都会を感じさせずにはおかないほどの賑やかさを見せている。
 今夜の宿は駅の案内所で適当なホテルを紹介してもらい、チエックインすることにした。
 目的があって仙台まで来たのだが、独り旅の身軽さから宿は勿論、電車の指定も取らずの行き当たりばったりの旅である。
 バッグには洗面具や着古した替え用の下着が二、三日分と、コンパクトカメラが入っているだけのものだった。
 ホテルもそうした軽装でしかも初老の男独りと見て前金を請求したが、特にホテルで夕食を取る積もりもないのでその方が世話がなかった。
 暮れなずむ街中を横目に見て、仙台駅から石巻線に乗り込み石巻に行く事にした。魚介類が美味しいと聞いていたので目当ても無く、適当な店で軽く酒を飲み、その店の特製品とやらを注文して夕食にする予定にしていた。
 車窓から見る松島湾は、夕暮れの凪の中に小島があちこちと黒い影を落としていた。
 石巻駅に降り、さてどの方向に行くか分からないので、駅前にある交番で訊ねる事にした。
 「公務員だからね、何処の店が良いとは言えないが、この道を行くと左に折れるのでま-すぐ行くと北上川に突き当たるので、そこを右に曲がって行くと太郎丸と言う店がある。其処は観光バスなどが立ち寄る海鮮居酒屋だから、その辺へ行ってみては。」
 と、教えられその通りに30分ほど歩いた。
 これが石巻の第一歩で、アーケードになっている商店街を眺めながら、この初老の男は見知らぬ通りを歩いた。
 大きな川に突き当たる。
 これが北上川か。
 河口近くで有るから川幅が広く、悠然と流れる様は底知れぬ不気味ささえ感じられた。
 目指す居酒屋は其処から5分程の所で、潮の香が漂う場所である。
 
 観光バスも立ち寄る店にしてはこじんまりとした雰囲気で、カウンターに腰掛けがコノ字に並べられて、魚介類が目の前に並べられている。
 4人掛けのテーブルが5・6脚ある。
 団体は別室が有るらしい。
 マグロと酒を注文した。
 店員は言葉つきが違う注文を受け、一瞬俺の顔を見て「旅行ですか?」と尋ねた。
 「昔、小さい時まで住んでいた、仙台の七北田に行ってみたいと思ってね。」
 「今あそこに行くには地下鉄で行けますよ。」店員は親切に教えてくれた。
 「昔はね、軽便鉄道と言うのが有って、蒸気機関車の小型の機関車で行き来した事を覚えているに過ぎないんだがね。」
 アルコールが入って、口が滑らかになって来た。
 「ここはウニが本場ですから、如何ですか。」店員が勧めて来たので、酒と一緒に頼む事にした。
 「お客さんはどちらの方か知りませんが、地方に出回るウニは明礬が防腐剤として使われていますから多少匂いがしますが、ここのは採れたてですからウニそのものです。」
 言われ口に入れて見ると、スーパーなどから買ってくるウニの薬品臭いにおいは全くしない。
 
 こうして石巻での一夜に終わりを告げ、 ホテルに戻り明日行こうとしている場所の住宅地図を借り、目的地を探すことにした。
 
 平成23年3月11日、あの石巻は一瞬にして波に浚われ跡形も無くなってしまった。
 あの時道を教えて呉れた警察官、居酒屋の店員さん達はどうしているだろうか、
 この身が健常ならボランティアなどで訊ねたいものと、思うだけの日々である。