2011年8月19日金曜日

地上の星たちよ

大震災と原発事故から5カ月が経った。
被災者は地元に残った人、親戚に身を寄せた人様々である。

今回の災害が神戸淡路と違い、東北人が持つ純朴さと自然災害を受け入れる忍耐力、寡黙な高齢者などが秩序ある被災地として描かれている。
譲り合い、相互扶助、災害受容性は日本人の原点なのであろう。
今回の災害地は見事にそれを実証させたものと言えよう。

泥流の中から助け出された老人の「チリ地震津波でも被害に遭った、そこから復興した、また今度も復興させれば良い」の一言が言い表している。

兎角人間は、責任転嫁が強く、自己保身と我先の行動に走るが、少なくてもそうした姿は映されて居なかった。

それにしても米軍の行動の速さとネーミングの「トモダチ作戦」は強烈な印象を与えた。
かっての関東大震災の時も、アメリカの支援は群を抜いたものだったとの事である。
対米開戦時に於いても、その恩義を忘れない人達が開戦を反対したとの話がある。
戦後復興もアメリカが破壊し、アメリカがそれを建直し、衣食住のアメリカ流を浸透させて来た。・
それを対米従属と批判されるが、アメリカとの付き合いは長いし、表面的には自由平等の国家である。

今回の話題はそこではなく、題名の「地上の星」を取り上げるのが目的である。
米軍然り、自衛隊、消防、警察、行政、そして一般ボランティアの皆さんである。
特に忘れ勝ちとなるのが、原発復旧作業員の人達ではなかろうか。
それも過酷な現場を担当させられる、名も無き日雇い労働者である。
山谷とか西成地区から寄せ集められて来る人達は、使い捨ての労働環境で命を担保に働いている。
大企業独善のつけを払わされているのである。
社会の発展とか、快適な生活とは無縁の人達が、放射能が残っている現場に入り、器物を交換し、汚染された冷却水を浴び、空気を吸って働いている事であろう。

遅々として進まないニュース報道に怒り、予定通りに進捗して居ない怠慢に憤り、政治家の無能さをあげつらいしている人は多い。しかし、その陰で24時間放射能と立ち向かっている人達に思いを馳せている人は何人いるであろうか。

そして何時か収束した暁には、全国に離散して行くであろう人達。
今でも一顧だにされない人達は、福島原発の検証が有っても表には出ない。
むしろ企業側として表沙汰に出来ない人達で有る。
同じ人間同志として、上中下、下の下、その下の下という階級社会は厳然として残っている。
報われる事も無く、負を背負い込んで生きて行く運命にあるのかもしれない。

中島みゆきが唄う「地上の星」
「みんな何処へ行った
見守られる事も無く
・・・・・・
地上に有る星を 誰も見ていない
燕よ 教えてよ 高い空から地上の星たちを」