2012年7月7日土曜日

想い出は遠くになりにけり

リタイヤした当時の仲間と結成した会がある。

「亥子の会」と命名した謂われは、亥年生まれと子年生まれの者が同じ年に退職したためで、「イネの会」と呼ぶ事にしたのである。
入職は1・2年の差が有ったが、ほぼ同時期で経歴も同じような経過を辿っているから話が合い易い。
退職した当時、結成に参加したのは17人程居たが、その後まもなく鬼籍に入ってしまった人3人、病気療養中が1人、体調不調、下戸のため主旨に合わないとして退会した人が9人、従って常時顔出しするのは7.8人程度の会となった。
7月5・6日の2日間、伊香保の松本楼で例会が開催されパソ爺も出席したが、僅かに6人しか集まらず今年が最後の例会と決議される事になった。
尤も、パソ爺も心中密に今年が最後の出席と決めて居たのだが、みんな同様な思いで出席していたのかと時の移ろいと老いの進行に気付かされた次第である。

青春時代の悪友も今回欠席していたので、気持ちばかりの伊香保土産を持参して自宅へ行って見た。
暫く行っていなかったので道に迷ってしまい、周辺を往ったり来たりしてようやく辿り着いた。
「ヤー暫く」と歓迎されて上がり込んだが、奥さんから「最近おバカさんになってしまって、皆さんとお付き合い出来なくなってしまったんですよ。」と、現状が説明された。
本人も、「みんなに迷惑かけるからね。」と、あっさり肯定する。
そんな様子は今までと変わらない印象だが、だんだん話を聞いて行く内にやはり少し変だと気付かされた。話がループするのだ。また奥さんの話。
「妄想があって、自分のお金を預かった金だと言って元の職場に届けてしまった事が有るんですよ。」
「時々行方不明になってしまい、近所を探し回る事もあって一人には出来ないんです。」しかしこうして話している分には余り変わらないのだが、傍に居る奥さんが一番知っているのだから本当の事なのだと思う。

パソ爺と年代は同じだが早生まれで学年は上である。
仕事帰りには緑町の屋台を梯子酒したものだ。
二人で赤線にも行った事がある。
宿直の夜に酒を飲み過ぎ、施設のカギをかけずに寝込んでしまった事もあった。
昇進も若干の差はあったが、ほぼ同じコースであった。

今となってはほろ苦い思い出であるが、こうした事も記憶の彼方に消え去って行くのだろうか。
人間は何処から来て、何処へ行くのか。
思えば全てがうたかたの夢で、最後は灰となって一巻の終わりなのであろう。
思えば空しいものだが、これだけは避けようが無く気付けない事が悲しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿