2012年8月9日木曜日

マグレ人生 その2

マグレもそう度々ある訳でなく、殆ど運を使い果たしたような高校生活であった。

卒業真近になると進学組は大学模擬試験に、就職組は就職試験対策一辺倒となる。

就職難時代の卒業だったから求人募集は殆ど無し。
勢い公的なものにしか受験する機会が無い。
国鉄、電電公社、防衛大、私鉄会社等であったが、4戦全敗で防衛大などかすりもしなかった。
私鉄の場合は、面接を東京まで行っての落選だから、電車賃を使わされたに過ぎない。
決まる同年生はどんどん決まって行くのだから、ここで実力の差というものが出て来るのであろう。

国家公務員4級職と言うものがあった。所謂ノンキャリアの入り口である。
税務職と郵政職と有ったが、ご近所にエリート高校卒の方が税務職として合格していた事を知り、身の程も弁えず受験について教えを乞うたのである。
普段はお付き合いが無く、尋ねられた方でも迷惑で有ったに違いない。
しかし親切に受験参考書を貸して頂き、それを参考にしなさいと渡された。
受験日が迫って居り、腰を落ち着けて勉強している暇は無く、焦りから本の紙面を上滑りしているに過ぎない。
そうした絶体絶命の境地から見つけた方法があった。
試験問題は100問以上出題されるが、5択方式で正解項目に傾向がある事に気付いた。
試験当日は、分からなければその傾向項目を選択し、分かるのもだけを解答して行く消エネ解答に徹し、質より量の解答を心掛けたのである。
まさに、窮鼠猫を咬む、の例えを地で行ったのだ。
関東甲信越地区から7,000人以上の高校生が、鎬を削ったサバイバル試験で有った。
我が校から2人合格し、吾輩もその1人としての栄誉に浴したが採用はされず、暫くはルンペンを余儀なくされた。

傾向と対策解答を見抜かれたのであろうか、試験官の目は欺けない事を痛感した。



2 件のコメント:

  1. ブログを興味深く読ませていただきました。近藤先生の青春時代の一コマを垣間見ることができ、また当時の世相を再認識することが出来ました。

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  2. 面白く拝見、桃華軒には昭和25年頃無理してたまに行きました、当時月給にくらべ値段が高く支那そばが25円位だったか?弁当を作ってもらえればそれが最高でしたね。
     30年代には役所に変り菊水にも行くようになりましたが、悪酔いして体に合わないようなので偶にでした。或いは懐に触るのではなかったかとも思われましたが。
     ああ長寿庵の閉店のお知らせ有難う、老舗の閉店美味かったのに真っこと勿体ないこと、あの店は友人の親父さんが帳面だったので、よく二階で飲ませてもらったので懐かしい店でした。
     飲んだ後のラーメンは俺もよくしました、あれは麺に鹹水「かん水」と云うアルカリ性の水を使っているので胃に優しいので翌朝案外スッキリできたので助かったものです。
     まあとに角よき昭和の右肩上がりの中にも貧乏を絵に書いたような生活、懐かしい限りですねでわ亦。

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