2013年1月6日日曜日

芸人の洒落と節度

NHKの正月恒例番組の中に「東西寄席」と言うものがある。
平成25年は東京2か所、大阪2か所の4元中継で行われた。
今回は若干趣向を変えたのか、それぞれの中継場所にお笑い界の大御所を配し、若手芸人と組み合わせて司会をすることにしたらしい。
それはそれで構わないが、新宿末広亭の「爆笑問題」と「桂米丸師」のやり取りを聞き、その非礼さに不快感を覚えた。
お笑い界では、人の生き死を話題にするのは洒落なのかどうか知らないが、寒空に老体の米丸師を立たせたまま、爆笑問題の「太田光」が話し掛ける内容は誠に無礼極まりないものである。
「死んでいるのか。」とか「影が薄く、居るのか居ないのかわからない。」などと、芸歴が3倍ほどの経歴のある大御所の米丸師を指して紹介するのである。

日テレの日曜午後5時30分の看板番組である「笑点」でも同じことが言える。
6代目円楽を襲名した「楽太郎」と司会の「桂歌丸師」との掛け合いにも生き死や暴言が出る。
歌丸師と円楽の付き合い濃密度は知る由もないが、「何だこのくそ爺」とか死んだことを話題にする。
楽太郎当時なら若気の失言と済むかも知れないが、名跡「円楽」を襲名したのだからここは考えた発言が望まれる。

TBSラジオでも暴言が飛び交う。
毎日10時30分頃からの「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」でも言いたい放題である。
集まった高齢者を肴にして話題作りをしている。
挙句の果ては「汚ねぇ婆だ、何処から湧いてきたんだ」、「くそ爺、生きてるか。」などの言葉を浴びせている。
この人間が、高齢者福祉のコメンテータとしてNHKTVなどで尤もらしく解説しているのには違和感を感じる。
「立川談志」の落語の中でも差別用語が飛び交うし、「石原慎太郎」なども自ら暴走老人などと言っているが、節度を弁えない発言をすることが勇気のある人間と捉える世相に危惧を感じる。

高齢者の生態をギャグに置き換える風潮が、ここ数年広まってきている。
「綾小路きみまろ」を始めとして、漫談や落語の枕に登場するのが老いさらばえた高齢者の言動をネタにする。
パソ爺なども反省する事が有る。
「今やっている操作を忘れても構いませんよ。人間忘れることが肝心です。そうすれば死ぬことも忘れんです。」などと発言する事が有る。
これまでお聞きになった皆様に謹んでお詫び申し上げ、2度とこの様な事を申し上げないことを誓います。
しかし、パソ爺も寄る年波でこの誓いを覚えていられるか、自信が有りません。
もしこのようなことを発言しましたら、死ぬことも恥も外聞も忘れた惚け老人と思召して、ご容赦。


3 件のコメント:

  1. ラジオ、テレビでの暴言、悪態私も何時もいやな気持になっていました。同じ様に感じている人も沢山居るのではないでしょうか?テレビでの食べ物を使ってのギャグも嫌ですね。祖父母に良く言われた、(食べ物を粗末にすると目がつぶれるよ)の言葉が今でも頭に残っています。

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  2. そうなんです。
    テレビの影響は「めんこや」の例でも証明されているように、大きです。
    だから出演する人は言動に気を付けなければならいとおもいます。
    現状は無法地帯ですから、高齢者に対する崇敬な気持ちが失われて行く原因です。
    聞いた話ですが、退職した職員が元の職場に顔を出した時、若い職員の一言で行かなくなってしまった。
    「なんだい、まだ生きていたんかい。だから年金が少なってしまうんだ。」と、向きつけに浴びせられたとの事です。

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  3. ブログ読ませていただきました。確かに最近の高齢者を話題にした暴言的お笑い番組が目につきます。以前は年寄りが少なく、お年寄りを大切にしましょうと教えられて育ちましたが、現在のような少子高齢化社会になってきて、高齢者人口が増え、世代間争いというのでしょうか、高齢者を邪魔者扱いする風潮が目立ちます。長引く不況で所得が少ない若年者から、比較的裕福な高齢者へと、所得移転しつつある最近の状況を反映しているのかもしれませんね。難しい問題ですが、最終的には一人ひとりの心の持ち方が大切なのかなと思います。

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