2010年10月1日金曜日

13人の刺客考

久しぶりに映画館に行って来た。 テレビで見る映画と違い、画面、音響の迫力は映画館に勝るものはない。
それに、暗くして見る雰囲気が堪らない。
なんか秘密めい部屋に置かれた気持ちになる。

さて、「13人の刺客」は前評判が高く、期待通りの出来栄えであった。
映画を見る事はあまりないので何をもって論評するか評価眼はないのだが、体にジンーと来るものがあったから良い映画であると思うだけである。

しかし、明治維新まで後33年の出来事との事であるから、如何にお家の大事とは言え当時の武士にあれまでの忠誠心と狂気の主人を存立しなければならない意義と、片や天下万民の為と言う大義で死ぬ事が出来る武士が居たのか疑問になる。

又、当時の宿場があんなみすぼらしく、掘立小屋風であったか。
当時の庶民生活のレベルが分からないから何とも言えないが、宿場の町並みが安っぽい気がした。

行列を遮断する4・5メートルもの高い柵が数か所有って行列を遮断するが、どのような仕掛けがされているのだろうか。
動かす原理が分からないもどかしさがある。
宿場の手前に架かる橋を爆破して、行列を分断させる方法が無いのも兵法として如何なものか。

さらに言えば、あれだけの爆発シーンが有るにしては、掘立小屋風の町に火災が発生しないのが不思議である。
むしろ大火災を発生させ、紅蓮の炎の中で全てを焼失して記録も何も残らないようにしてしえば実在の人物かとか、本当の出来事だったのかと、無用な穿鑿をしないで済む。
そして、それを見届けるのは山に逃げ込んだ宿場の名も無い人々だけであった・・・・・と、つまり武士社会の終焉を暗示するシーンとして終わらせてほしかった。

最後に、島田新左エ門さん他12人の皆さん、あんなに切りまくって手が疲れ無かったのだろうか。
本来なら刀身は折れ、血糊で刀の柄も握れなくなってしまうほどの人数を切りまくった訳ですから。
むしろ見終わったパソ爺が疲れてしまった。

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