2011年12月31日土曜日

着たっきり爺さん

単なる物忘れと認知症は違うらしい。
いわゆる度忘れは、単なる物忘れの部類。
同じ話を繰り返し話す、何時も探し物をしているのは人は認知症気味。
メガネを探し歩くのも、もしかして認知症の始まりかもしれない。

身なりを構わなくなったり、同じ衣服を着用するのも認知症の初期現象との事。
思い当たる節がある。
出掛ける用事の無い時のパソ爺の日常は、髭剃りはせず無精ひげを伸ばし放題。
衣服も同じ物を着用し、取り替える気がしない。
洗濯するよ、と言う女房の声に頑なに拒否して着続ける。

だから時たま葬儀などに参列する時は、髭剃りの痛い事、黒の背広にする時の戸惑い、ネクタイの結び方からしてぎこちない。
その留守に草臥れ切ったズボンや、セーターが収集され洗濯機に放り込まれてしまう。

もう一つの現象として、此れまで興味を示していた物事に反応を示さなくなる事らしい。
女性だの、パソコンなどに何の反応を示さなくなったら当確である。
その点パソ爺は、居酒屋で給仕して呉れている女性をチラチラと、鑑賞する気は残っている。
綺麗な花は花と見るし、可愛い印象はやはり好ましく感じられる。
パソコンも時に面倒になるが、1日1回は起動して見ないと落ち着かない。
此れは中毒気味なのかもしれないのだが、止められない習慣となっている。

今年も後何時間かで平成24年となる。
地球が誕生して45億年、人類誕生がチンパンジー・ボノボの祖先と別れたのは600万年前~700万年 前くらいらしい。
その間、人々は交配を繰り返しながら増殖をし、全地球上に散らばり、住み着き、生活を営んできた訳だが、何処かでその先祖が途切れたらその後は続かないのだから、命は大切にしなければ600万年前の先祖に申し訳ないと思う。
認知症だって良いじゃないか、人間として生きて来たのだから。
義務も果たしてきた。
余り出来の良くない子供達ではあるが、リレータッチは出来たと思う。
その次の世代は、子供達が考えればいい。

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