2011年12月27日火曜日

ケチ臭い話

その1
例年の通り年賀状の作成を始めた。
何年か前までは、150通ほど出していたが顔も思い出せない人や、もう会う事もないであろうと勝手に決めた人たちを整理し始めて50通ほどに絞り込んだ。
そうした人からちらほら寄こされるが、おそらくパソコンの住所録から機械的に印刷して居るものと思い、返信は出さないでいる。
さて、本年もご不幸が有ったお宅からの挨拶状を整理して、住所録を作り始めた。
毎年50通を目途に購入するから、以上は出せないので少し絞り込んだ。
たかが50円、それで日頃の疎遠を詫びるのには高くは無いのだが、歳を取るに従い付き合いを狭める方針を立てたので、それでやっている。

プリンターのインク表示が残量不足のサインを出しているが、構わず印刷を始める。
表書きは終了し、裏面の作成で字数を増やしたのが残不足に拍車を掛けてしまったのか、ついに赤マークが出て止まってしまった。
買い置きは置いていないし、買いに行くのも寒くて億劫である。
そこでインクカートリッジを取り外し、中を透かして見れば少し残っている。
機械は機械で、有る一定限度のカウントをすると無いと判断する事を何かの雑誌で読んだ事がある。
そこでカートリッジを振り、満遍なくインクが行き渡るようにしてセットしたら「このまま印刷を続けるには、プリンターのOKボタンを押してください。」とのコメントが出た。
ただし書きが付いている。「インクが切れた状態で印刷をすると故障の原因となります。」
迷うところである。
少しのインクを惜しんで、プリンターをお釈迦にしてしまったら元も子もない。
しかし、決行あるのみ。
OKボタンを押す。
暫くプリンターはもごもご言っていたが、やがて印刷を開始して最後の分まで終わらせた。
こうして平成24年分の年賀状は無事出せる事になったが、セコイ話であると苦笑いをしてポストに投函した。

その2
どだいケチ臭いとはどのような事なのか。
物を惜しむ、それ以上のものであろう。
落語にもケチな噺は幾多もある。
息をするのも惜しいとか、奉公人の味噌汁に田螺が入っていたと思ったら、自分の目が映って居るほど何も入れていないとか、隣のうなぎ屋の嗅いで食事をさせていたがそこから匂い代を請求されるという噺もある。
しかし、「黄金餅」はその最たるものに違いない。
願人坊主、言うなれば乞食坊主の西念がふとした事で寝込んでしまうのだが、医者代が惜しいと言って水を飲んでは便所に行き、病を下すと言って薬も飲まない。
そこは貧乏長屋であるが、隣の住人である金山寺味噌の行商をする金兵衛さん、何か食いたいものは無いかと西念に聴くと、餡ころ餅が食いたいとの事。
お金を出しなよと西念に言うが、自分のお金では嫌だというので仕方なく買って来てやり、一緒に食べようとすると見られているのが嫌だからと追い返されてしまう。
腹の立った金兵衛さん、壁の穴から見ていると西念は懐から胴巻きを取りだし、門付けなどでため込んだ小金を餅に挟んで食べ始めるのを見てびっくり。
そうやって全部餅に包んで食べ尽くし、やがて死んで行くのだが、その小金を如何にして合法的に手に入れるかが、金兵衛さんの知恵の出し方が面白い。
貧乏寺でお弔いをだし、焼き場へ運び込んで腹だけ生焼けにさせて呑み込んだ小金を取りだす。
この噺は、古今亭志ん生師の十八番であるが、談志のはけたたましい。

異常に金に執着する人がいる。
それも有る程度ため込んだと言われている人に多いから不思議である。
金を出すなら仲間付き合いはしないとか、宴会での割り勘で揉める事さえある。

その3
プリンターと言えば、印刷用紙が馬鹿にならない。
特に講座の補助テキストを作成する場合、作っては推敲し、また印刷して推敲を繰り返しながら完成させる。
手間も大変だが、その用紙も相当なものである。
そこで考えたのが裏を利用する事で有るが、時に折れ曲がっていたり、ホチキスを外し忘れた物が混ざっていたりすると大変な目に遭う。
プリンターに挟まり排紙出来なくなり、無理に引き摺り出そうものならプリンターの印刷面が故障し、綺麗に印刷が出来なくなる事がある。
動かすと不自然な音も出てくる。
紙代を節約しようとしたばっかりに、プリンターを入院させる羽目になるから用心しなければならない。
なのにまたテスト用として裏紙をセットし、印刷してしまう。
故障を取るか、用紙の節約を取るか、結果は一目瞭然で故障させない方法が一番で有る。
無駄が勿体ないのである。
再生紙と分かって居ても表裏使い、推敲を繰り返すのが習慣となっているのが悲しい。

食べ物でもそうである。
残すのが勿体ないと、皆食べて肥満になってしまった。
昭和11年生まれの談志も、事の他食べ物には執着したらしい。
少しぐらいネバネバが出ても炒めて食べたり、賞味期限などお構いなしで食したらしい。
世界人口の3分の1は飢えていると言われている。
その日の食事に有りつけるのが最大の関心事である。
しかし、日本は食料輸入国なのに無駄に捨てる量は半端ではない。
その捨てる分を、飢餓で苦しむ人達に回せれば死んで行く子どもを救える、これが談志のポリシーとなっているらしい。
これは戦争中に育っている昭和1桁から12・3年生まれに共通する食べる事に対する考え方であろう。
これは、ケチ臭い話ではないと思うが、如何かな。
酒なども、最後の一滴まで飲み干すから酩酊してしまうのだ。
これは、ほどほどにした方が良いかもしれない。
社会の迷惑と体に悪いと知りながら、ウイー酒持って来い!。




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