2013年6月4日火曜日

無い袖の振り方

曹洞宗同聚院は、伊勢崎駅南方500メートルに位置する伊勢崎市でも名刹に部類されるお寺さんである。
武家門は、酒井氏の居城から移築したものである。
この寺の門前に掲示板が有り、その折々に名言、箴言が白墨で書かれている。
自転車で行き来する頃は通り道でもあったので、興味深く読ませていただいた。
自動車になってからはコースも外れ、目にする機会も無くなってしまったが、ここ数日再び自転車に目覚め乗り出す事が有り、今日も寺院の前を通ると表題の事が書かれていたので紹介したい。

人に何も施す事が出来なくても、以下の三つは無償で施せる、と書かれてあった。
1、眼施(がんせ)・・・やさしい眼差
2、言辞施(げんじせ)・・・温かい言葉
3、和顔悦色(わがんえつしょく)・・・とげのない顔
この三つは、物質を伴わない無償の施しとして出来る和の秘訣と、教えている。
しかし悲しいかな人間と言うものは、この真逆の付き合い方が多いのではなかろうか。
他人に対する態度にも少なからずあるのだから、夫婦や親子などでの間では往々にしてある、と思うが如何であろう。

外での苛立ちを家に持ち込む、一寸した行き違いで言葉を荒げる、常態化した日常に感謝の気持ちを表さない。
全てが当てはまってしまうのが悲しいし、我が身の愚かさに気づかされる。
食事などは特に言える事である。
「何を食べたい」「何でもいいよ」此れは大事をしなくてもいいよ、貴女の作ってくれるものは美味しく食べるよ、と言ったつもりが、そうは受け取られない場合が有る。
自分の献立に全く興味がない、と理解される危険が有る。
「ご馳走さま、旨かった」この一言で済むのが出来ない。言辞施を肝に銘じたい。

人の何気ない一言で、見る目の判断を誤らせる。
感情の生き物だからその一言が基準になり、会話のやり取りや顔つき態度にまで出てしまう。
同じ方向の議論をしていながら、纏められず結果を取り違えてしまう事さえ有る。
此処は色即是空の心境で偏らない対応が出来ればいいのだが、中々一旦埋め込まれた先入観を拭い去る事は難しい。和顔悦色、否、止水明鏡施とでも言うべきか。

こうして思いつくまま振り返るに、邪念の塊が悟り切れずにもがき、悩み、後悔し、悩む愚かしさを払拭出来るのは、あの世とやらに呼ばれてからであろうか、それでは遅い。今でしょう。
今夜の肉じゃがは美味しかったですよ、ご馳走さま。





2 件のコメント:

  1. ブログ読ませていただきました。口は災いのもと、確かにその通りです。特に夫婦間では夫婦喧嘩のもとになりますね。心して今日から気を付けていきます。

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  2. 人とのコミュニケーションの下手な私は時々余計なひと言で相手を嫌な気持ちにするだけで無く、自分も自己嫌悪に、なる事が多々有ります。肝に銘じて気を付けようと思います。

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