2011年10月30日日曜日

平成12年10月も終わりぬ

過ぎ行く時は止まらず、二度と再びこの日は戻らない。
生物の営みは健気で、儚い気がする。
24時間、朝になれば起きて食事をし、体を動かし。
昼の食事をして、再び動く。
日暮れとともに家に入り、テレビを見、ラジオを聞き、食事をして風呂に入り寝る。
こんなリズムで75年間繰り返して来た。

一生懸命に生きて来たのだろうか。
真面目だったであろうか。
迷惑を掛けない人生だったろうか。
世の人の力になって居ただろうか。

思うに、全てが真逆な人生を送って居た様な、忸怩たる思いがするのは何故か。
よわい75歳、ここまで来て見て初めて味わう老弱のためか、やり直せない過去を振り返る。

昨日、足利のそば祭りが有ったので電車で出掛けた。
足利市は歴史のある町であるとともに、足利氏の影響で京風の街並みが残っている。
会場は人で一杯である。
市内の有名そば店や、近郷近在のそば商組合が軒を並べて競い合っている。
テレビや、雑誌などで紹介されているお店は、長蛇の列である。
妻曰く「お父さんは並ぶのが嫌いでしょう。」
一時間も並んで食べるものじゃないと、比較的列の短い佐野そば商組合の大根そばを食べる事になった。
それでも座る場所の確保や、出来あがるのに10分以上は待たされた。
値段は550円で、手打ちそばに大根の千切りを乗せ、汁をぶっかけたシンプルな物であった。
佐野はラーメンが名物であるから、そばはマイナーな立場な麺ではと、思う。
見た目は細く、黒みがかったもので、一見美味しく見えたがそれほどのものではない。
それでも腹が張るから、他店の物まで味見が出来ない。
量を3分の1ぐらいな物を出し、数店を食べ歩き出来るような方法が採れないものか。
そうすれば1時間並んだ甲斐のあるそばなのか、人気は無いが宣伝された店以上のものか判断が出来る。
雑誌などに掲載される隠れた名物店などといわれるのは、レポーターの感覚であり、宣伝料を負担させられているとの事である。

その後、足利学校を拝観し、鑁阿寺に足を延ばす。
延ばすと言うほどの距離ではないが、学校の前を通って行ける。
境内には、七五三の姿をした親子がいる程度で、幽玄としていて気持ちが良い。
並ぶのも苦手だが、いわゆる人混みが嫌いなだけである。
この寺は足利氏の氏寺として邸宅の一角に建立されたとある。
それにしても鑁阿寺の寺号の謂われを知りたいのであちこち見て回ったが、それらしき説明はなかった。
電子辞書で調べたら、梵語のvamの音訳との事で、意味は馬の頭につける飾りもと、出ていた。
日光の大猷院も家光没後に天皇から授かった法号を寺号にしているから、同じ経緯なのかもしれないが、浅学非才の吾輩はここまでである。
写真は、足利市のホームページから転写したものである。
本堂
お賽銭100円で、家内安全、子孫繁栄、日々安穏、病気平癒と身勝手な4字熟語を並べて来た。大日如来様も呆れて居たに違いない。
境内の片隅に、ひっそりと立ち寄る人も無い様なお店があり、ところ天と、妻は田楽を頼み、一休みしてから帰途に就く。

両毛線の高架に伴い、伊勢崎駅の北口に有料駐車場が出来、1時間100円、24時間300円で、我がマイカーの場合は5時間ほどで200円であった。
ここに車を置いて、新宿行きのJRバスを利用して東京へ出掛ける人もいるという。
午前9時ごろ出発して、翌日の午前9時ごろまでに帰れば300円で済む。
便利になった。
こんな街並みになるとは、想像もしていなかった。

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