2011年7月9日土曜日

映画「小川の辺(ほとり)」を鑑賞して

藤沢周平原作の映画化である。
この作者の作風が気に入り、本屋で目にしたときに買い求めている。
長編短編で40編ほど目を通したであろうか。

しかしこの作者の生涯作品は、千点ほど有るのではと感じた。
それは昨夏、2泊3日の東北の旅で鶴岡市に一泊した際、市内の城址公園に建設されてオープン間もない「藤沢周平記念館」を訪れた時の陳列された作品を見ての印象である。

来館者も多く、閲覧室で読み耽る人も結構いたが、それより興味を引くのは市内に点在する寺院の案内板に、彼の題材とした作品の舞台がここであった事が描かれている事である。
誰それの親が切腹した時の寺であるとか、あの作品で決闘した場所は此処であるとか、小説と実在の場所が一体となって妙に切実感として迫ってくる。

さて映画で有るが、東山紀之扮する主人公が妹の嫁いだ相手を上意討すると言うものである。
妹役には菊池凛子が扮し、剣術が出来る男勝りの女偉丈夫として描かれている。

ストーリーはほぼ小説の筋立て通りで、東北地方の小藩である海坂藩(うなさかはん)の内紛に巻き込まれた主人公と妹の幼少時代の思い出に始まり、足軽の子供ではあるが兄弟と一緒に育って来た若者が、上意討と言うのっぴきならない立場に立たされて織り成す感情模様が良い。
特に、妹が同じ年頃である足軽の子供新造に寄せる密かな恋情の描写が切ない。
当時の階級制度の中で、決して許されない障壁を男勝りの妹田鶴が、嫁ぐ日が近ずいたある日、納屋で自分の婚礼支度の作業をしている新造の元に忍び寄り、新造に「いなくなるけど寂しくならないか」と迫り、衣服を脱ぎ自分の乳房に躊躇する新造の手をあてがわせて裸身のまま新造を抱き寄せるシーンは、武家の女としての慎ましやかな上にも絶ち難い別れの心情を精一杯訴えたものであろう。

最後の決闘シーンも見応えが有り、田鶴が外出した時を見計らって隠れ家に乗り込み、剣を交合わせ見事に討ち果たして早々に帰ろうとしたが、田鶴が戻り事の仔細を察知するや隠れ家に駆け込み、刀を持ち出して凄まじい勢いで兄に斬り掛かて行く。
最初はあしらっていたが、その内あちこちに斬り傷を負わされた兄も抜き合わせざるを得ず、最後は隠れ家の傍を流れる小川に突き落として斬らずに済むのだが、それでも田鶴は泣きもせずその川から這い出る様子が無いので、新造に引き上げるように命じる。
しかし新造の手が刀の鯉口を切っているのを見咎め、田鶴を斬る様な時に備え打って掛かる積もりでいたのかと詰問するが、新造が田鶴に寄せていた気持ちを察して許容し、後のことは新造に託してその場から立ち去る。
田鶴は傍に寄り添って優しく声を掛ける新造の胸に取り縋り初めて泣き出すのだが、その哀れな姿は夫を討たれた悔しさ、無念さと同時に、幼い時から意識していた男の胸に納屋での出来事を重ね合わせ、流す涙ではなかろうか。

原作は、「藤沢周平大全」に収録された同名の小編である。
この大全には、この春公開された「花のあと」も収録されているが、これは見逃してしまった。

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