2011年7月31日日曜日

平成23年7月も終わりぬ

ここ数日は不順な天候が続き、新潟、福島が豪雨に見舞われ穀倉地帯の中小河川が氾濫して被害が広がっている。
昨年の酷暑に続き、東北大震災、原発事故と、災害続きの日本で有る。
100年、1000年のスパーンで見ればこうした事象は有り得るのであろうか。
それに輪をかけて政治が不毛の混乱を呈している。
この時期、誰が総理大臣になっても、魔法の杖でもない限りこの事態を急速に収拾は付かない。
菅総理も一生懸命やっていると思う。
菅降ろしの急先鋒は自民党で有るが、その陰で政治家を操っているのは霞が関の官僚ではないのか。
官僚の頭越しに政策が打ち出され、自分達に相談も無く事が決められて行く現政権が疎ましくてならないのでは、と思う。
はからずも露呈した原子力安全・保安院の電力会社擁護の行動は、国民の安全、利益より自分達の天下り先保全の何物でも無く、こうした財界寄りの体質は霞が関の依然として変わらない風土なのではなかろうか。
そうした体質の所に菅という抵抗物質が侵入したから、アレルギーを起こし何とかして引き降ろしたいがための策動として自民党を焚きつけているとしたら、付和雷同しているマスコミも、政治評論家も同穴である。
何も進まないと言っている原因は、自民・公明の党利党略が優先して居るからで、この非常事態に際し挙国一致、大事の前の小事を超越した復興対策を呉越同舟でも優先して決め、東北への救済に手を差し伸べるのが政治家の務めである。
更に、官僚のサボタージュが一層輪をかけている事も見逃せない。
事の決まりを平常時と同じ事務手続きを被災団体に求め、書類の再提出をさせている光景がTVに映し出されて居たのが何より物語っている。
脱原子力で良いではないか。
まだまだ人類の手に負えるエネルギーではないのだから。
経済が衰退して、国際社会から見放される、とした論調に惑わされてはならないと思う。
貧しくても、平和で、安心して息が出来、食べられ、寝られ、子供たちが遊べる環境での生活が良いのだと思う。
こんな狭い国土に密集している原発が、予想される東海、東南海地震で暴走したら何処へ逃げればいいんだろう。
麻薬撲滅キャンペーンの標語ではないが、「覚せい剤止めますか、それとも人間止めますか」ではなかろうか。
愚者の気持ちを述べてしまったようだ。

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