2011年9月11日日曜日

片言隻句というなかれ

災害地に行った大臣が、又もや辞任に追い込まれた。
不用意と言うか、国民を代表して居る国会議員としての自覚が無いのか、所詮資質が無いのかもしれない。
放射能被害から避難して居る市町村に、人っ子一人見当たらないのは当然であり、その指示を出したのは政府自身である。
その情景を「死の町」と表現するとは、余りに酷い。
好きで住み慣れた土地を離れた訳ではなく、後ろ髪を引かれる思いで、それも隣近所、親戚友人と離散する様に避難場所へ向かったのであろう。
その心情を理解出来ない政治家に復興は任せられない。

「放射能が移る」
此れまでも、この手の虐めが有ったと聞いている。
避難先の学校で仲間外れされている子供に、同情したばかりである。
子供同士は遊び心が半分で、避難児童の気持ちには無頓着である。
それを大人が言ってはいけないし、大臣たる人の発言は重大な重みをまして拡散する。

「真意が伝わって居ない」とか、「発言の中の一語で、前後の脈絡から差別発言では無い」と、釈明していた。
確かに、「人っ子一人いない町の風景は、死の町の様にしてしまった。申し訳ない事だ。」
「原発で放射能を浴びた衣服だから、側によると危険だよ。」とでも言ったのかもしれない。
そうした事でも、原因者たる政府側の一員としては饒舌が過ぎている。
記者団に囲まれた事で優越感を抱き、何のために被災地訪問したのかの目的を忘れ、箍(たが)が外れてしまったのであろう。

国会議員ほどの身分でもない名も無き市井の高齢者であるが、不用意な発言は得てしてある。
緊張感が無い時、有頂天になって居る時、怖いものなど無いと錯覚をしている時などに言ってはならない事を言ってしまう事がある。
「不用意な寸言、我が身を刺し、積年の友情 寸時に瓦解す。」幾度あったろうか。
こうした後悔は、死ぬまで持って行かなければならない。

残された余生、少しでも後悔が無いよう過ごしたいものと思っている。

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