2011年9月7日水曜日

我が良き友よ

吉田拓郎作詞作曲の歌である
本人も歌っているが、かまやつひろしの歌が良い。
著作権が有るので詳しく記載できないが、6番有るなかで一番良い歌詞は以下の所である。

「可愛いあの子に声かけられて
頬を染めてたうぶな奴
語り明かせば下宿屋の
おばさん酒持ってやってくる
アーアー恋よ 良き友よ
俺は今でもこの町に住んで
女房、子供に手を焼きながらも
生きている」
この歌は昭和50年頃に流行したものらしい。

その頃の我は何をしていたのであろうか。
古い書類を捜し出して調べてみた。
昭和50年頃は、税関係の調査を担当していた。
来る日も来る日も単車に二人乗りして、課税物件を調べていた。
流石に雨の日は外出はしなかったが、今思えば、何故あんなに猟犬の如く課税して歩き回って居たのであろうか。
眼に付くものは悉く把握するという、徹底振りで有った。
税務特勤手当が2千円程度であったろうか。
そして年収は、約270万円程度のものである。

その頃は自動車通勤をしていた。中古のコロナであった。
7年前にこの地に家を建てた。借りられるだけ借りて。
長男は、狭く古い家で3歳まで過ごし、その頃は10歳になっていた。
二男は新居で誕生して4年が経っていた。
一番充実して居た様な気がする。
安月給でも気にならなかった。
自分の思い通りに事が進み、順風満帆とまでは行かないにしても何の不安も、心配も無かった。

しかし、人生の禍福は糾える縄の如し、と言われる様に、それからいろいろな出来事が公私に亘り降りかかって来た。

無分別さゆえに、他人にも痛みを与えて来た。
人生の岐路に立たせられた時もあった。

今の自分が生かされているのは、そうした蓄積の上に有る様なものと真摯に受け止め、残された余生の中で、少しでも報恩、贖罪の念を持って送りたいと思っている・・・・・。
大袈裟な言い方でした。

依然として煩悩多き人生で、美形の婦人を見ては心が騒ぎ、美酒を好みて酔い潰れ、喜怒哀楽納まり難く敵を多く作っている現状は、不治の病と申すべきものかも知れません。

だからこの歌が心に沁みるのです。
「古き時代と人が言う
今も昔と俺は言う
バンカラなどと口走る
古き言葉と悔やみつつ
アーアー友よ よき酒よ
時を憂いて飲み明かしたい
今も昔もこの酒つげば
心地よし」


0 件のコメント:

コメントを投稿