2011年6月18日土曜日

カルガモの兄弟愛ーその後

雛カルガモの健気な行動その後であるが、F自動車会社のOBから会社に連絡してもらった。
どの様に処置されたか、今日行ってみたところ雛の姿は無かった。
しかし、どうして地表から4.50センチも深い水槽を住処としているのか、親鳥の行動が分らない。
雛たちを外敵からは守られるが、緊急事態になっても出られない場所である。
水槽だから天蓋は無く、日照、雨などを遮る物は無い。
46時中泳ぎ回って居なければならない。

自動車会社が西に拡張する前は一面の田圃で、田植え時期などは青々とした風景が広がっていた。
今でも当時の用水跡が住宅地の中に残っている。
大雨などの時には排水路となっているが、普段の手入れはされていないから発砲スチロールとか、落ち葉が堆積して堰き止められている状態である。
親カルガモには、そこで暮らしていた遺伝子が代々伝わり、習性でそこに来るようになっているのであろうか。
青々としていた田圃があった当時の記憶が、何の疑念も無くそこに引き寄せるのであろうか。
それでは余りにも悲しい習性である。
鮭が放流された場所が汚染されていても、忘れずに利根川を遡上して戻るのと同じなのか。

人間は、状況判断が出来るからそうした事にはならない。
経験則によって、危険から身を守る事が出来る。
と信じられてきた事が間違っていた事に気付かされたのが、原子力発電所の事故である。
広島や長崎に落とされた原子爆弾のエネルギーの基と、原子力発電のエネルギーの基は違うものであると理解していた。
例え同じ構成物質であるにしても、発電に使用する構成物質は安全で、例え事故が起きても放射能で汚染されるとは思っても居なかったし、そんな事の対策は日本の最先端技術で解決されていると盲目的に信じ、ほぼ無関心で原子力発電所から送られてくる電気を浪費していた。

そこには、カルガモの悲しい習性を哀れんでいる人間の愚かしさこそ、哀れむべきご都合主義なのかもしれない。
より以上の効率とか、発展とかを声高に唱え、世界経済から取り残される危機意識を煽り立てられて居たのが恥ずかしい限りである。

今こそ、家康の「不自由を常とおもへば不足なし」の精神を見直すべき時に有ると思う今日この頃であるが、本日もささやかに回転すし屋でマグロを食するのであった。
何処で?、無添加くら寿司でした。

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