2015年10月2日金曜日

病院待合風景 2

2か月に一度の美原病院の受診日である。
予約日は先週の金曜日、午前10時からであったが、番犬コロの葬儀が重なり次週回しにしてもらったら今日の午後12時になってしまった。
薬まで調剤して貰って終わったのが午後3時。
その3時間、待合室で受診を待つ人たちの観察をする。

何の事はない自分も他の人から観察されているのであろう。
いい年こいた爺さんが、病院に来るのにハンチンを、それも夏物で汗が滲んだよれよれのものを気取って被り、本などを読んでいる姿は滑稽に映るであろうか。

そんなことは意に介さず、専ら廊下を行き来する同世代を観察する。
この病院はそんな患者が多い。

受付の前の待合空間に自動血圧測定器が設置されている。
看護婦の手間を掛けたくないので此処で測定をし、プリントアウトの紙を渡す事にしている。
自席に戻りその機械を操作する人を見ていたら、若い女性と中年女性が続けて測定した。
小生は、筒状の測定器具に手を差し入れ、肘を曲げてスタートスイッチを押すが、彼女達は真っ直ぐに手を差し込み別な手でスタートスイッチを押している。
それも手の上腕を上にして測定している。
説明書きには手を曲げて測定するようになっているのだが、今時の女性達は曲げる事が嫌いなのだろうか。
どっちでも結果は同じなのか、今度試してみたい。

漫談家の綾小路キミマロの噺に出て来る、「あれから40年」の老婆が通り過ぎる。
膝をやや曲げ、小腰を屈め、体の中心線より後ろに手荷物を持ってバランスを保つ歩く姿そのものである。
その方は行ったり来たりと、2度ほど往復するから、つい笑ってしまった。
キミマロが舞台で活写する老婆の姿そのものである。

車椅子で来院するのは爺さんが多く、それを娘か倅が介助してくるが、奥さんが手押しで来るのも多い。
奥さんという表現はもう当たらない、婆さんが押して来るのである。
白粉の乗らない皺顔に気持ち粉を付け、舅や姑を見送って今度は亭主を介護しなければならない定めを諦め顔で順番を待っている姿は切ない。
好き勝手に生きて来た亭主の最期を看取るために此処までしなければならないのか、白粉の乗らない顔は訴えているかのようである。

受付番号が10番以内になったので診察室の前に移動した。
そこに知った顔がおり、「やあー暫く」と空いている隣に座った。
彼は奥さんと娘が一緒である。
数年前軽い脳梗塞を患い美原に通院している事だが、それにしては随分重介助で来院していると思った。

傍らの奥さんに、「役所で一緒だった近藤さんだよ」と、紹介してくれた。
「ああ暫くでした、随分立派になってお父さんも幸せね」??????。
こんな会話が2・3分置きに繰り返される。
娘と何事か会話をしていたら、突然小生に顔を向け話し掛ける。
「昔はお酒飲んだんでしょう」???????。
適当に「若かったからね、旦那は飲まなかったけ?」と受け答えをする。

こんな会話がループするのである。
随分おぺんちゃらをする奥さんだなと、やや持て余していたら彼の知人が「家の母ちゃん、物忘れが酷くなって一緒に診察して貰うんで来ている」との事であった。
物忘れ外来に来ていたのだ。
それで納得。
たった今の会話を忘れてしまい、顔見知りの記憶だけが働いて会話を続けていたのであった。

病気は辛い。
自分の意思とは違った意思が働き、悟られない様に気を使う意思が働くのかもしれない。
生物の本能がそうさせるのだろう。
コロも、そうであった。
病み始めると、暗がりに隠れるように身を寄せ、外敵から逃れるようにしていた。
10月4日に合同供養祭するとの通知がくる。
埋葬に立ち会わなかった倅家族が行って来るとの事で、我々は家で供養の線香でもあげてやる事にする。







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