2013年4月21日日曜日

人生、糾える縄の如し

この世に生を受け70年80年と過ごす人生を、順風満帆に終わる事が出来る幸せな人はどれくらいいるだろうか。

譬えホームレスの様な、世間に何のしがらみのない人でも、置かれている現状に決して満足して眠る事は無いのではと、想像してしまう。
父母が居てこの世にあり、故郷が有って成長し、長い道程のどこかで段ボールで過ごす事になっただけで、決して孤立無縁であった訳では無い筈である。
兎追ひし彼の山/小鮒釣りし彼の川/夢は今も巡りて/忘れ難き故郷と、望郷の念に駆られる夜は一再や二再ではない思う。

ましてや普通の人生は、父母在り、子在り、孫在り、兄弟、叔父叔母等々の親類縁者、知人、友人などと実に多くのしがらみの中で生きている。
その一つ一つのしがらみの中に、いろいろな出来事が縄の如く織りなして自分達の生き方にも影響を与えている。

元気で居られた方が、病気で長期入院を余儀なくされたり、認知症が進行して物の識別が困難となったりする事が有る。
自分自身も、突然歳を感じさせられる歩行困難となったり、順調に成長していた孫に異変が起きたり、元気印と思っていた嫁の発病と、心配事が枚挙に暇がない晩年となっている。
しかし、此れも人生。
在るがままに受け入れ、ジタバタしても仕方がないと開き直っている。
その場その時に、最善を尽くしてやれることが出来れば、それでいいと思っている。

遠方の/子からの電話/元気なり/話題が弾む/旨し酒なり

恙なき/日々は願えど/常ならず/折りなす山を/旅するに似て

病める子ら/差し出す手には/千手仏/微かな光/見出すまでは

4 件のコメント:

  1. 人生山あり谷あり、幸不幸はいつ訪れるか分からないですね。近藤先生のおっしゃるように、毎日、毎日、その時、その時を一生懸命生きて、悔いの残らない人生を過ごしていけるよう努力したいです。

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    1. 禍福は糾える縄の如し、突然こんな言葉が思い浮かびました。
      そして我が身を振り返り、まさにこのことだと気付いた次第です。
      76歳になって、同年代の中には鬼籍に入る人が居るのに、まだまだ悟りきれないですね。

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  2. 我が家も3月~4月、娘達家族其々が、新しい環境に置かれる事に成り、次々に、体調を崩して仕舞いました。幸い大事に至らず快方に向かって要るのでホット一息といったところです。色んな事を抱えても、毎日を精いっぱい頑張るしかないと、自分に、言い聞かせています。

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    1. 人生、在るがままに受け入れ、前を向いて行くしかありません。

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