2010年9月28日火曜日

一病息災か、加齢による複合病か

2ヶ月に一度、前橋日赤病院へ受診のため訪れている。
ここは、昨年6月に整形外科で頸椎の手術した処で、それ以来経過観察のため通院している。

入院中の出来事はいろいろあるが、医師、看護師の皆さんは、日本赤十字社の職員としての矜持をもって対応してくれた事が印象的であった。
とりわけ、パソ爺の入った病室は、ナースセンターに近いから要注意患者が収容されてくるらしい。
整形外科病棟は雑居病棟の様な所があり、救急入院患者や意味不明な入院患者が入って来る。
その都度、患者に対応する皆さんの真剣で、愛情的な処置に感心した。

パソ爺の右隣は、屋根から落ちた30代の職人風の男性で、部屋で一番若い。
連れ合いは、腕に入れ墨をした今時のギャル風である。

左隣にいた最初の男は、世の中を斜めに生きて来た様な老人で、看護師の言う事は聞かず挙句の果ては自分では何も出来ないから、糞尿の不始末から食事の介護まで世話を焼かせ、暴言を吐きながら威張っている。
退院の日取りが決まっていたらしく間もなく退院していったが、退院が不満で不貞腐れて居たものらしい。

暫く空きベッドになっていたが夜中に緊急入院があり、話の様子から80歳ぐらいの人で家の中で倒れたとの事。救急車で運ばれて来た。
当人は耳が遠く、看護師が名前の確認や、年齢などを聞いて意識レベルを調べるのだが、頓珍漢な受け答えのため看護師の問い掛ける声も次第に大きくなり、周りの病室に聞こえる程の音量になってくる。
患者の声も大きいからすれ違い漫才である。
そんな状況が2・3日続いたが、個室に移って行ったので又空きベットになり静かさが戻った。

再び夜、緊急入院があり肺に疾患がある様で、引っ切り無しに吸引をしていないと喉がごろごろして来る。
パソ爺の食事中もごろごろ、きゅうきゅうと音を立てている。
病気相身互いであるから苦情も言えない。
時には、ナースコールボタンが見つからず、隣にいるパソ爺が自分のボタンで連絡してやる事もあった。

右隣の職人が快方に向かったのか別室に移り、待っていたかのようにすぐふさがる。
今度も耳の遠い爺さんが入院してきた。
この爺さん、、左ベッドに居た爺さんと違い兎に角煩い。やかましい。
看護師を呼ぶにしても、来た看護師とやり取りする話声も、所構わず大声で話す。
独り言もでかい声で喋る。
受け答えも的外れで、家族の者は辺りを憚って小声で話すからなおである。
補聴器をつけさせようとするが、聞こえるからと言って言う事を聞かない。
夜もその調子であるから、病院側も見かねたのか夜9時過ぎになるとナースセンターの個室に隔離してくれた。
朝8時に戻ってくるのだが、なぜ自分だけが夜になるとベッドの移動があるのか疑問らしく、看護師に頻りに訊ねていたが、同室の者はお陰で安眠出来る様になった。

しかし、夜中に部屋の中をペタペタと歩き回る足音が聞こえてくる。
安眠すると言っても、熟睡する訳ではないから一寸した物音で目が覚めてしまう。
見ると、隣室の患者がトイレに起きて戻る部屋が分からなくなり、自分のベッドを探し回っていたのだ。
最初は看護師を呼んで連れ帰って貰ったが、たびたびの事なので「部屋が違うよ」と注意してやる。
「あ、そうかね」と、廊下に出ても右か左か分からないから、結局看護師に連れ帰って貰っていた。

歩行訓練で廊下を行ったり来たりしながら各部屋の観察をする。
入院して居るのは圧倒的に昔女性だった老婆である。
白髪交じりの髪を振り乱し、横たわっている姿は赤子を食らう脱衣婆そのもの。
パソ爺の近所にある「おびんずるさま」の前に鎮座している。

退院の許可は出ないのだがそんな雰囲気に辟易してしまい、依願退院をして来た。
老人病棟そのもので、いつか行く道であろかと思いながら仮釈放されて来た。

2010年9月23日木曜日

マスコミの付和雷同性

民主党の代表選挙の報道は、金太郎飴と同じ切り口で連日報道された。
管首相対小沢前幹事長の対立構造を殊更強調し、選挙後は分裂を予想し、組閣をすれば脱小沢色鮮明とか、挙党態勢は皆無を繰り返し、危機を煽り続ける。
テレビ、新聞、週刊誌が一斉にである。
もっと別な見方が出来ないのであろうか。
欠点をあげつらう事がマスコミの使命かの様だ。
良い点も見出して、これからの日本を託す政府を激励する事がなんで出来ないのか。

マスコミはオピニオンリーダー的役割を持っている、などとしたら驕りもいいところだ。
マスコミ報道は、やらせに始まり、誤報、虚報がないまぜになっていると思っている。
一社が書けば一斉に右へ倣えにだ。
警察、検察発表を検証する事も無く記事にして、新聞購読者に印象を植え付けてしまう。
一転裏目に出ると、それまでの立場をかなぐり捨て報道を180度急展開して憚らない。

郵便不正問題でも、一係長が減免証明書を発行して交付するなどと言う事は考えられない。
しかるべき政治家と上司からの指示で係長が作成し、所定の決済手続きを経て「凛の会」とやらに手渡されたと見るべきである。
無罪判決とFD改ざんが急浮上すると、論点がそちらに移り問題の本質が置き忘れられてしまっている。
議員との口利き依頼の日に、ゴルフに行っていたため不可能であるとなっているが、電話で事を済ませているかも知れないし、日を換えて会ったかも知れないではないか。
そうした取材を継続しているマスコミ報道に接したいものである。

尖閣諸島で発生した問題は、日中政治経済問題にまで発展してしまった。
連日、日本のマスコミは、中国側の強硬な対抗措置に対する我が国の経済的な損失ばかりを取り上げている。
長引けばどうのこうの・・・とか、渡航拒否された団体が気の毒だとか、そんな論調が政府の対応が悪いかのような方向に持って行かれるのが怖い。
超法規的打開策を期待するかのような報道姿勢は止めて貰いたい。
東シナ海を管轄する海上保安官は、命懸けで任務を遂行して居るのだから、現場の士気を鼓舞する応援報道をしてやれないものか。
逮捕した事は当たり前の行動であり、最近目に余る中国の覇権主義こそ非難されるべきである。

北朝鮮の韓国艦船の撃沈問題、日本の拉致問題や核問題に平然とうそぶく姿は、パトロン然とした中国の威光をバックにしたものである。
中国をして、信義の国、礼節の国などと言うのは、幻想であると思わなければならない。
昔から権謀術策が罷り通る国として成り立ち、今は仮面を被った共産主義の国であり、北朝鮮と同根である事を日本人も企業も忘れてはならないし、自国の政府批判に積極的なマスコミも中国の本質を正しく且つ冷静に知らしめる必要があると思う。

以上の論に対するコメントは不要である。
あくまでも私見の範囲であるから。

2010年9月22日水曜日

持ち込みパソコン講座の泣き所

「アナログ音源のデジタル化」の目安もついたので、テキストの作成に入った。
ミュージックホルダーに録音されたファイルを、Windows Media Player(WMP)でCDに書き込む手順を図解入りで分かりやすく、手取り足取るような解説で作る。(自分ではそう思っている。)
しかしそこに陥穽があった。
迂闊にも、受講者の持ち込みパソコンのバージョンを無視して、自分のVistaパソコン中心のテキストが出来上がってしまった。

XpパソコンのWMPは、バージョン8と9、Win7は12となっており、パソ爺のWMPは11となっているから手順が全く合わず、図も違っているため受講者たちはパニックとなってしまった。
「どこどこ。」「出ないよー。」右往左往して自分のパソコンと見比べている。
こんな場合は慌てず、直ちに”傾向と対策”(その昔、受験対策テキストがありました。)をとれるのが長年の経験である。
「はい、はい、皆さんお静かに。ほらほら、そこ聞いて。」と、高圧的に静粛を求める。
「合わないのは皆さんの怠慢です。」と、受講者の責任に転化しておいて、
「Xpパソコンを持参している人は、量販店で買ったままにしてあるんですよ。」
「パソコンのソフトは日々進化して、その情報はユーザーに提供されているんです。」
「?」
「インターネット回線を通してWordでもExcelでも、マイクロソフトから内容を新しくする情報が来ているのに、皆さんはほったらかしにしていたわけです。」
「店では何とも言って居なかったわ。」自分の不勉強を棚に上げている。

しかし、ここでパソ爺達ボランティアも反省しなければならない。
ソフトの自動更新が出来る事を教えていないのだ。
これまでは、公共のパソコンを使用させて貰っていたから、そうした所までは説明に入っていない。
こうして自前持ち込み方式になって、初めて出来る操作である。
WMP12に付いては、別途テキストを作成する事にし、8・9を11にバージョンアップをする事にする。
これだけで半日費やしてしまった。

こうしてアナログ音源のデジタル化は、週1回の講座ではあるが少しづつ前に進んで行く。
「どこまでつづくぬかるみぞ、~♪」
悲壮な軍歌である。

2010年9月21日火曜日

アナログ音源のデジタル化に挑戦

パソ爺のパソコン講座は、実用的な題材を取り上げるので好評である。(自画自賛)
その昔、歌謡曲を覚えるには、カセットテープやレコードで聞く事が多かった。
今やCDにとって変わられ、その姿が消えつつあり、家庭の中でも戸棚の片隅に追いやられ、カセットプレイヤーもCDプレイヤーとなっている。

そんな事がヒントになって、アナログ音源をCDに書き込む事を講座のテーマに掲げた。
みんな大喜びである。
お歳が知れるというもので、小難しいパソコンの機能を解説されているより、往年の想い出をパソコンで蘇らせ、懐かしいメロディに浸るのが楽しいのかもしれない。

Windowsには取り込むソフトが見当たらないので、インターネットで検索してみた。
事例は紹介されているので出来る目安は付いて来たが、より具体的に分からない。
フリーソフトでいろいろな使い方が書かれているが、うちの講座の人達にソフトのダウンロードから始めるなんていったら、恐れをなして尻込みしてしまいそうで断念する。
パソ爺も初めての事であるから、ここは量販店に行って聞く事にした。(聞くは一時の恥)
それらしい機器は有るのだが、店員もどれを勧めて良いか自信がなさそうで、結局、自己責任で決めざるを得ず、見当違いでも被害が少ないので一番安物を購入して来た。

それからテープを探し、カセットプレイヤーが動く事を確認してから取説の解読である。
先ず、ソフトのインストール。
これは簡単に出来るから、受講生も拒否反応を示さないと一安心。

次はプレイヤーとパソコンの接続。
 

「USBオーデオキャプチャー」を中間に接続する。
これは最も簡単に出来る。形に合わせて差し込むだけであるから。
そして取り込みをして見る事に。
出来た!。成功した。・・・・・見事にミュージックホルダーに入っていた。
そんなに大喜びをする程でも無いが、これなら、あの煩いおばさん達でも出来る。
後は、分かりやすいテキストを作成してやれば、何とか出来る。
と思ったのが間違いで、障害がある事に気付かされる。
この続きは次回に。

2010年9月20日月曜日

敬老の日雑感

敬老の日の成り立ちは、昭和22年に一地方で実施された「としよりの日」が始まりである。
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いた。
昭和25年からは全県で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで昭和39年に「老人の日」と改称され、昭和41年に国民の祝日「敬老の日」となった。(WikiPediaより抜粋)

小生の住む町内では、70歳以上の高齢者に祝い金として1,200円が支給される。
一軒一軒、役員が配って歩く。パソ爺も有り難く頂戴した。
額の多少は別にして、こうして顔を合わせるのが大切である。
都会の片隅で人知れず亡くなったり、住民登録上の生存者という事はなくなる。

その昔、研修で多摩ニュータウンを見学した事があった。
案内してくれた開発担当者は、これからの定住環境のモデルになると説明していた。
その時の印象は、コンクリートに固められ、隣りは何をする人ぞで、これが人間としての理想的住環境であろうかと疑問に思えた。
それ以上の印象は、鶏の産卵ゲージを想像したものだった。
5段に積み重ねられたゲージの幅は鶏自身の幅に横一列に2~30に仕切られ、昼夜の別なく産卵を強いられる姿である。
その後の多摩ニュータウンを知る事は無いが、コンクリート遺跡になっていない事を祈るばかりです。
閑話休題
年をとると、男は引き籠り気味に、女性は多趣味、外出気味になるようだ。
パソコン講座に応募してくる割合も3:7で女性である。
それも、明日はどこの公民館で、来週は何の集会に出る話で盛り上がってる。
継続して居るのも女性が多く、男性は教室の片隅に2~3人となってしまう。
その上うるさい、女性軍は一人がしゃべりだすと周りがそれにつられ、ワイワイがやがやとなり学級崩壊になってしまう。
その上、同じことを何度でも聞いて来る。
最前まで説明していた事も聞いてくる始末である。
「さっき話しましたよ」(講師の禁句、でも出てしまう。)
「あれ?そうですか。聞いていなかった見たい。もう一度お願いします。」
無碍には断れないから、同じ事を繰り返す。
すると、周りの人も同調して聞いているではないか。
だったら、これまで話していた事は、何んだったのだ。
自分の指導不足を反省し、少し落ち込むが今後に生かして行くしかないと、自身を鼓舞する。
毎日が勉強である。良い経験をさせて貰っている。
教室全体が騒音に包まれるから、自然と大声を出すので声量が出る様になる。
年をとると声が細くなり、だんだん聞こえなくなるが、パソ爺は衰える事はない。
ひとえに女性の皆さんのお陰と感謝しています。
これからも元気で、一緒に勉強して行きましょう。

2010年9月19日日曜日

パソ爺は意気軒高

中高年者のパソコン講座を仲間30人と主催している。
別に有資格者では無いので、初歩程度のパソコン操作であるが、15教室、250人ほどの方が和気あいあいと勉強している。
伊勢崎市の公共施設を無料開放して貰い、サポートする側も無償を原則に週2回の分担をしている。
テキストは、クラスの力量に合わせて市販物を見つけているが、小生はNHKのパソコン講座のものを使用している。
しかし、このテキストはそのまま使用出来無い、と言うのは、省略部分が多く手順を追って行けない悩みがある。
従って、内容を咀嚼して補助テキストを作り、又は、応用操作を纏めたりと、結構手間がかかる。

ここ2.3年は、自分のノートパソコンを持参してもらい、公のパソコンでは出来ない機能の変更、フリーソフトのダウンロード利用、インターネットの活用方法などを身近なテーマで行っている。
しかし問題が無いわけではない。
パソコンのグレードがXpからWin7まであり3部授業をしているような状況で、当方としてはぎりぎりVistaまでしか用意が出来ないから、Win7所有者の質問に立ち往生する事がある。

そんな事にはメゲテはいられないから、生徒のパソコンを借りて急場をしのぎ、もっともらしく講釈している。
結構、経済的負担を強いられるパソコンボランティア活動である。
愚痴は止めよう、体力が続く限りがんばりましょう。

今時の運動会

9月18日土曜日、小学5年生になる孫の運動会の日であった。
今年は異常気象とかで、例年にない暑い夏が続き、残暑も厳しい暑さが残っていたが、ここ2・3日は雨が降り朝夕は例年の気温になった。
しかし当日は晴れ渡り、朝から夏の名残りが戻り暑い運動会となってしまった。
プログラムの時間に合わせて学校に出かける。

今の運動会は様変わりして、昔は、校庭のグランドの周りを取り囲むように蓆や茣蓙を敷いて座って観覧していたものだが、今の若い父兄は、椅子やバーベキューテーブルを持ち込み、あまつさえミニテントまで張って観覧している。

120メートル競争に孫が出場した。
生まれ時は、1980グラムの未熟児として保育器の中でうごめいていた子が逞しく育ち、堂々の1着でゴールした。

それからムカデ競走に出て、午後の部では南部民謡の「七頭舞」を踊った。
小生の黒の3尺を襷に掛け、周りの子供たちはピンクや紫の襷にも拘らず、一人黒の襷で悪びれる様子もなく踊っていた。

しかし、なんと言っても圧巻だったのは、6年生が奏でるブラスバンドであった。
整然と行進しながら「宇宙戦艦ヤマトのマーチ」をいろいろなインフォーメーションを組み合わせ、感動を与えるものだった。

久しぶりに胸に迫る感激と勇気を与えて呉れた。
元気に育った孫、仲間たち、ありがとう。
これから中学、高校と脱皮して行く中で、この日の思い出を忘れずに進んで行って貰いたいものと願わずにはいられない。
バイク、シンナー、喫煙飲酒と誘惑の罠が待ち構えている世界に引き込まれないように。

これまでは、Biglobeのブログに投稿していたが、プロバイダーを変更してしまったら削除されてしまい、4年間の記録が消えてしまった。

先輩の「基左エ門の独り言」に触発され、これからは小まめに投稿する事にしたい。
自分が自分である意識が明瞭になっている間は余生録として。