これを喜寿と言い、人生の一区切りとして祝うとの事である。
インターネットで調べて見ると、喜寿は、「喜の字の祝い」「喜の字の齢(よわい)」ともいうらしい。
「喜」の字を草書体で書くと、
江戸時代は平均寿命が36歳前後で、大正の終わりごろで42歳前後、それも男女差が少なく1歳ぐらいだったらしい。
現在はどうであろう。女性86歳、男性79歳と、平均寿命が延びた分女性とに差が開いてしまった。
何故なのだろうと、考えても分らない。
インターネットの請け売りを止め本題に入る。
髪が伸びて、爺臭いですよ、との女房の一言で1000円床屋に行く。
若い女性がバリカンで裾刈りをしてくれる。
気持ちが良いです。
20分ぐらいで終わってしまう。
「これでよろしいでしょうか?」二面境を頭の後に当て、前の鏡に写す。
何と!後頭部の薄毛よ。ほぼ地肌ではないか。
愕然としながら、ああこれでいいですと、そそくさと椅子を下りて帰って来た。
何か忘れているような、そんな気がするが思い出せない。
そのまま家に帰り、あれこれと今日の祝いの準備をする。
祝いと言っても二人だけの酒盛りであるが、女房魚屋で見繕ってくれた物での祝宴であるが、膳について思い出した。
赤ワインを購入し、ママカリをマッセイで買って来る事をすっかり忘却していた。
1000円床屋での後ろ髪の薄さにショックを受け、忘れてしまった。
そんな訳で今夜は酒での祝杯となった。
自分もそうであったように、子供は親が幾つになり、どんな歳になったかは知らない。
しかし、親は子供の歳、誕生日を知っているから幾つになっても祝ってやる。
特に女親は何年の何月何日何時何分まで承知している。
男親は子供の歳さえ覚えていないが、女房に聞かされて思い出す。
そして幼かった頃を思い出すが、子供はその頃の親の姿は知らない。
安月給で家を建て、給料の5分の1を返済しながらも、夏は山に、冬はスキーに連れて行く苦労は感じさせなかった。
そんなことを話しながら夫婦で喜寿の祝いをする。
何の祝い品を送っても貰わないが、最善の祝いは子供達が健康で、恙なく送ってくれている事に勝るものは無い。
親子の関係を掌に例え両手を広げると、親指は小指に向かっているが、小指は外に向かっている、親に関心は向いていない。
正にその通りで、自分もそうであった。
自分中心の生活で、この身、この健康、この現在を親からの贈り物だと気付くのは、60歳の還暦頃を過ぎてからの事であった。
そんな事を思いながら77歳を迎えたパソ爺である。
喜寿のお誕生日、おめでとうございます。奥様との誕生祝い微笑ましいです!親と子供の思いには確かに開きがありますね。自分も若い頃は親にそれほど関心はなかったです。後悔先に立たずを痛感しているこの頃です。
返信削除77歳喜寿のお誕生日おめでとうございます。奥様と一緒にお祝いを出来るなんて喜ばしいですね。
返信削除何時までも元気で一緒にお祝いできるよう願ってます。お子さん達も心の中では、気に掛けていると思います。