タブレットの利用については先に報告したが、例えば談志の「黄金餅」を聴きたいと思った時、検索すると年代順に表示されて来る。
昭和44年、46年と亡くなる3年前のものが出て来る。
これを聴き比べると、微妙に違いが分かるのが面白い。
また他の演者と、代表的なものでは志ん生である。
人物を使い分けるのは志ん生が上手いし、江戸の雰囲気を出している。
談志の場合は、歯切れが良すぎてせせこましい。
この落語の聴き所は、願人坊主の西念が吝嗇の果てに貯め込んだ小金に気が残り、死にきれない場とそれを盗み見する隣家の金山寺味噌を売る金兵衛。
登場人物全てがその日暮らしの貧乏人で成り立っている。
その次は、弔いに行く道順の読み上げである。
これも演者によって表現が異なるが、昭和46年の談志の録音が今時の人に理解できる様な気がする。
江戸の街中を棺桶を担いで行く道順に志ん生と若干違いがあるが、一通り述べた後に現在の地名、場所、店の名前などを紹介するから身近に感じる。
長屋が有る場所は、下谷山崎町となって居るが江戸時代に在った三貧民街の一つとの事、住人も得体のしれない輩が多かったらしい。上野駅の東方に当たる一角。
それが夜中に棺桶担いだ集団が大名の門前や町々の木戸、自身番などを通って行ったとは考えにくいが、そこは落語である。
演者もそこは考えての筋書きで演じている。
弔いする寺は麻布絶口釜無村の木蓮寺と言う、金兵衛の菩提寺に設定してある。
これは架空の寺らしいが、長屋を出て13K以上の行程になるとの事。
絶口と言う地名は現在もあり、麻布プリンスホテル辺りになるらしい。
池波正太郎著の「江戸古地図散歩」などと対比させながら「黄金餅」の口述を読むと同じ地名が出て来る。
しかしかなり入り組んだ町並みで、街灯も無い中を歩くのは到底無理とわかる。
落語はそんな事を度外視して、演者の話芸を楽しむべきものなのかもしれない。
筋立てに矛盾が有ろうと、架空の滑稽物でも楽しければいいのであって、目くじら立てて聴くものではないと、インターネットや何かで調べた結論である。
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