2011年9月10日土曜日

頻発する災害

台風の進路によって、こうも被害発生に差異が出るものなのか。
12号の最初の進路は関東地方に向かっていた。
それが四国に向きを変え、瀬戸内海を渡り中国地方から日本海に抜けて行った。
中心が通過したコースの周辺に被害が発生すると言う、皮肉な結果となっている。

昔、この辺に大雨が降り、周辺が水浸しになった事がある。
雨台風が来ていた時であろうか。
兎に角、数日降り続いて居た結果、埼玉県との県境に架かる坂東大橋の橋桁すれすれまで水面が迫り、約1キロ弱ある川幅一杯に濁流が流れる様は恐怖感を覚えさせるものであった。

支流の広瀬川も同様に堤防の8分目まで濁流が押し寄せ、溢れ出そうな勢いで有った。
そうすると、市内に降った雨を集めて来た中小河川は逆流して排出出来なくなり、側溝から溢れ出る雨水は低地に押し寄せてくる。
市内を横断している前橋古河線に架かる新開橋東詰の低くなっている所に溜り、水深1m位となった居た。
そこに自動車が次々と進入し、エンコして大騒ぎとなってしまった。
幸い人的被害は出なかったが、担当部署は道路改良の必要性を上申したが、百年に一度の大雨に対処する予算は出せないとの理由で却下されたと聞いている。
その頃は、異常気象などと言う表現はなかった。
温暖化現象などと言う言葉も、聞かなかったような気がする。

何より悲惨だったのは、市内南部で広瀬川右岸に立地する下水処理場周辺地区で有る。
上流地域で雨水を排出させるために下水道のマンホールが開けられ、そこに流し込んだから自然流化方式で集められる下水処理場周辺地区のマンホールの蓋が1mも噴き上がり、汚物を含んだ汚水が住宅に流入してしまった。
処理場も地下に汚水が溜まり出す始末である。
浄化も出来ず、緊急事態として未処理のまま強制排出をせざるを得ない状況で有った。

時折旅などして、山峡に点在する人家を見ながら其処に住む人たちに思いを馳せる事が有るが、災害までは思いがめぐらない。
長閑であるが、病気になった時はどうして居るんだろう、と我が身に置き換えて想像はするが、大雨になったらどうなってしまうのか、とまでは考えられない。

三陸海岸に旅をしても、風光明美な絶景に目を奪われ、津波が来たらどうするんだろうなどとは想像だにしない。
仙台に旅した時、石巻市の海鮮料亭で食事をした事が有る。
あわび、うに、マグロ、いか、たこ等の山盛りに舌づつみをうちながら地酒を飲んだ。
北上川が悠然と流れ出る、河口付近に有るお店で有った。
無事を祈るばかりである。

今日、地震、大水被害者は、明日の自分達でも有る。

「水を治める者は、国を治める」、古くて新しい言葉となってしまったようだ。

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