2011年1月29日土曜日

元NHKアナ吉川精一氏の講演を聴く

 今年もテレコム利用セミナーが有り、市民プラザへ出掛けた。
NTT東日本群馬支店後援となっているが全てを仕切っており、主催団体の財団法人日本電信電話ユーザー協会伊勢崎地区協会は名義貸しの様な立場で参加している様な印象である。

そもそもこの団体は日本全国をくまなく組織し、群馬県も市部を中心に12地区協会が商工会議所が核となって企業を会員として構成されている。
目的は、電信電話の民営化に伴い、KDDIやソフトバンクなどの新興勢力からこれまでのユーザーを繋ぎ止めるための組織防衛を目的に活動をしているとの事である。

閑話休題
講師の人となりは省略し、講演のテーマ「いいありがとうには素晴らしい力が有り いい出会いに感謝」についての雑感を述べたい。

NHK当時の出会い、エピソード、退職後の心境などが90分に亘って述べられた
90分と言う時間を長く感じさせず、声量も豊かで流石にアナウンサーと感心させられた。
その中で、講演の中心部分は、のど自慢大会の司会をしていた当時に出会った一こまを感動的に紹介し、そこから敷衍した話である。
大筋は、女手一つで育てられた娘さんが、嫁ぎ行く心境をのど自慢大会で歌う「こすもす」に託し、感謝の思いを母親に捧げると言うものであった。ここからが泣ける所であるが省略。

多分に作り話的なものであるが、しかしながら人間が生きて行く上で人の世話にならないで生きて行く事出来ず、特に母親は子供にとって永遠に母親であり、母親から見る子供は何時までも自分の腹を痛めて出来た子供である。
母性は悪事を働いた子でさえも必死に庇い、自らの命に代えても守る様に出来ている。
ましてや今こうして生きていられる事も、親からの引き継ぎで有り、幾多の人のお世話になりながら命を永らえている。
それは日常の感謝で有り、不特定多数の人達への報恩の心が今求められていると、吉川氏は提言したものと受け止めた。

その点では、パソ爺のボラ活も大なり小なりその理念が有って活動していると自負している。
自分自身、紆余曲折の果てに今日が有り、そして倹しくも日々過ごせて行けるのは幾多の人に支えられ来た賜物のお陰である。
だから、余生は万分の一でもお返しをしてから旅立ちたいものと思い、浅学非才をも省みずパソコン教習ボランティアの真似事をしている。

吉川精一氏の講演から感じた思いでした。

2011年1月17日月曜日

気難しいパソコンの続報

Hpパソコンのインターネット不具合について、本日接続のチャンスを与えた。
受講者は15人で、皆さんそれぞれ接続したので不肖のHpを接続して見た。
どうした事か、開くでは無いか。
すんなりGoogleのトップ画面が表示されたのである。

講座もすんなり進み、語彙検索とカテゴリー検索の違いを体験し、最後は群馬県の感染症発生状況を見て貰った。
どの地域にインフルエンザが多いか、ノロウイルスの多発地域は何処か、インターネットならではの情報を収集し、パソコンを勉強して地域の物知りとして役立って貰いたい事を話す。
要らぬお節介であったろうか。

しかし、何故に先週は接続不能を繰り返したのか、今日は何処をどう弄った訳でもないのに接続した。
これが電子機器の電子機器たる所以なのか。

前回から本日までの間にHpに手を加えた処は、XpからWin7にした為サウンドデバイスがサポート外になり、音が出なくなっていたのをUSBサンドデバイスを取りつけ、ミニスピーカを取りつけて再生させた事だけである。

此れも面白い話がある。
先日の役員会でこの問題を持ち出したら、殆どの人が復活出来ないとの意見で有った。
小生はそれまでにインターネットを通してこうした事例を探し、復活方法が無いのか調べて置いたから事前の知識は有った。
パソコンにインターホンを取り付け、音が出なければ駄目だとか、サウンドデバイスはオンボードに取り付けられたものであるからWin7との相性が悪ければ救済方法は無いとか、いろいろ助言し、最終的には廃棄したらという意見まで出た。

USBサウンドデバイスの紹介はインターネット上に有ったが、実際の所半信半疑で機器を購入して駄目であった時の無駄な出費を考え二の足を踏んでいた。
皆がダメ出しをすると、何故か復活させてやろうという気になるのが小生の天邪鬼たる所以だ。
出来の悪い子ほど可愛いの例えが有るように。

インターネットで知り得た生半可の知識で、「パソコンラウンド21」に持ち込んで見た。
最初は話が通じなくて半ば諦めの気持ちになって居た所に、ベテランの店員(何故か丸坊主)が来てくれてスピーカだけじゃ駄目でUSBデバイスを取り付け、そこにスピーカを取り付ければ外部から音が出せる事が判明した。
win7が起動する時に鳴る「ピロピロン」という音が出た時は感激した。
聾唖者が言葉を発生した時の様な衝撃を感じた。

まあそんな事があり、今では石原裕次郎と矢代亜紀のCDを音色良く再生している。

だから今日のインターネットの接続になったのであろうか。
廃棄処分を免れた感謝であろうか。
そう思いたい、と思うのはパソ爺のセンチメンタリズムでしょうか、物を大事にしたい気持か、それは分からない。

2011年1月14日金曜日

気難しいパソコン

Mネットが発足して直ぐに、なけなしのネット会計から捻出してパソコンを購入した。
Hpのノートパソコンで、XpのOSが入っているがOfficeは付いておらず4万円ぐらいで購入したと記憶している。
講師用に使用していたが、学習館のパソコンがVISTAに入れ替わり、用済みとなってロッカーで眠っていた。
それをハード研修会の教材にして、分解してから廃棄処分する事に決まり、専門家に見て貰ったらメモリの増設と、WIN7OEMの付いたハードディスクに入れ替えて見事に生まれ変わってしまった。
OfficeはWebAppriで2010を無料ダウンロードし、セキュリティもMSのエッセンシャルをインストールして万全の体制になった、と思っていた。
しかし、新品のパソコンの様には行かない事に気づかされた。
先ず、サウンドデバイスが認識されず、音が出ない。
沈黙の世界である。
その上、PDFソフトが無くファイルが開けない。
何より参ったのは、絣の郷に持参してインターネット接続しようとしても通信不能でインターネットの講座が進まなくなってしまった。
受講生のパソコンは全員接続して居るのに、講師パソコンは「Internet Explorerでは開きません」とのコメントが続き、とうとう最後まで使えず仕舞いで終了。
家で接続して見れば何とも無く表示されるではないか。
人見知りと言うか、他所の環境に合わないと言うか、気難しいパソコンで有る。
しかし可愛いパソコンなのだ。
Mネットの発足当時から使い、あらゆる場面で用を足してくれたパソコンで有り、それも一旦廃棄決定をして蘇ってくれたパソコンで有り、大事に使いたいと愛着が募る。
しかしながら、先日の様な気難しい態度を取り続けるとなれば話は別である。
使い物にならないレッテルを貼られ、再び廃棄の道が待っている事になる。
その様にならないようにあれこれいじりまわしているが、素人の悲しさ原因が分からない。
出来る事は、もう一度絣の郷で機会を与えて見る事にする。

2010年12月28日火曜日

最後の忠臣蔵考

12月は何故か一行も書けなかった。
年賀状を投函して気が安らいだら、書く気が出て来た。
これまで、Mネットの人達からの年賀状には出さないでいたが、それでは余りに失礼と思い今年は書く事にしたら、今日まで延び延びとなってしまった。
それが心の負担になって、ブログに向かわない原因とは気の小さな男よと、思われそうだ。

さて本日は、件名の映画を観た感想を述べたい。
この映画は、池宮彰一郎さんの「47人目の浪士」の収められた一編である。
初稿は、平成5年5月から週刊新潮に連載されたものである。
翌年、先程の単行本となり、「仕舞始」、「飛蛾の火」、「命なりけり」、「最後の忠臣蔵」と共に発行されたものである。
パソ爺は購入していたが忘れていた。
映画の題名を見て何処かで見た様な、本を買った様な気がして探したらありました。
埃塗れになって、すっかり忘れていたのだ。

読み返してから映画を見に行く事にして、最初からゆっくりと紐解き読み始めたらこの作者の漢字の使い方が独特である。
仕方なく電子辞書を傍らに置き、読み始める事2日間。
先ず、タイトルから分からない。「仕舞始」仕舞い始めと読むのだが意味が分からない。
広辞苑を引くが出てこない。
おそらく討ち入りが終わり引き揚げる途中、休憩した旧藩の上屋敷で大石内蔵助に言い含められて逃亡するが、それが苦難の始まりを意味するものと理解して進む。

小説は、全篇を通して寺坂吉右衛門を中心とした筋立てとして進むので、最後の忠臣蔵とは彼を指すものと思っていたがそうではなかった。
討ち入り当夜に脱盟し、大石の愛人「可留」とその娘を匿い養う事になる役所広司扮する瀬尾孫左衛門では無いかと気付いた。
脚本も瀬尾孫左衛門と、大石内蔵助と可留の娘「可音」を中心にしたものであった。
この可音が可憐な雰囲気を持つ女優である。桜庭ななみと言う鹿児島県出身で、ほぼ新人であるが、兎に角見ているだけで孫左衛門とのやり取りが切なく感じさせる不思議な女優である。

さて、徳川時代に御家取り潰しになった大名家は百近くなるそうだが、討ち入りに参加した縁者は勿論、禄を離れた家士達の行く末まで面倒を見たのは赤穂浅野藩だけとの事である。
それも殿様が偉いのではなく、大石の蓄財、現代的には財テク資金のよるものである。
塩田開発に力を発揮した大石は、大阪の豪商天川屋と結託して藩に入れる金銭の一部を簿外金として蓄財して運用し、将来の藩存亡に関わる事態に備えていたとの事である。
まるで殿様の刃傷沙汰を予想して居たかのような用意周到さで、討ち入りに成功したのである。
又は、浅野内匠頭が殿様としての資質に欠ける所を、見越していたのであろうか。

話を映画に戻します。
先程も述べたように、小説と映画は視点が違って描かれて居ます。
映画は、孫左衛門と可音が中心で、幕府の詮議から逃れ山里に隠れ住み、夕様と言うやはり隠棲している女性の庇護の元に育ってゆく過程と、可音が京の豪商茶屋四郎次郎の倅に見染められて嫁して行くまでを描いている。

しかし、小説では吉右衛門が東奔西走して元浅野家の家臣を訪ね、生活相談をしながら全国を歩き回って居た時に、京都の茶店でかっての盟友を見かける事が発端となっている。
探し訊ねて見たものは、孫左衛門と可音の隠棲する姿であるが、全てを悟った吉右衛門が嫁入りの手助けをして行く事になっている。
又、可音を養育し躾をしたのは其処に住んでいた尼主であり、映画のような生臭いものではない。

映画が生臭いというのは、可音を養育し躾をした夕様の前身が島原の遊女で、夕霧太夫と言う女性で茶屋四郎次郎に身請けされて匿われていたが、今は一人住まいをしており可音を嫁がせた後に孫左衛門と一緒になることを夢見ていたのである。この役は朝の連続ドラマに出ている安田成美が演じているが、艶めかしさを滲ませる役となっている。

最後は、小説、映画共孫左衛門が役目を終えたとして大石の後を追うのであるが、そこで吉右衛門が瀕死の孫左衛門に呼び掛ける言葉が「孫左、これが赤穂侍か」。
16年の歳月を耐え忍び、役目一筋に尽くし果して後、46人の後追い切腹をする忠義心を最後の忠臣蔵として、47人目の浪士になったとの印象付けであった。

ただ人形浄瑠璃が全編に流されていたが、それも「曽根崎心中」で「おはつ徳平衛」の道行から心中するまでを延々と流す意味が最後まで分からなかった。
何方か映画を見て、絵解きしてください。

2010年11月24日水曜日

楽しいクラブの忘年会

パソコンクラブWPCの忘年会が11月22日、倉渕温泉長寿の湯で行われることになり、午前9時40分、マイクロバスに乗せられて出発した。
天候は生憎雨模様で、途中から本降りになってしまった。
17人を乗せたバスの中は、子供の遠足雰囲気でワイワイ、げらげらと、外降る雨など気にしている人は皆無で有る。
倉渕温泉は榛名山の真西方向で、合併で高崎市になっているが山深い場所にある。
若い頃、ゴルフに来た事の有るロイヤルオークとか、KGカントリーの看板が懐かしい。
途中、小栗上野介の足跡を展示してある東善寺に立ち寄る。
幕末の英傑として、最近、脚光が当てられて来た人である。
瓦解して行く徳川幕府の中に於いて主戦論者として知られているが、むしろ時代の先駆者として日本の将来を見据えていた人らしい。
浅学にして多くは知らないが、何時の時代にも先読みが出来る人が存在するが、世に受け入れられずに非業の生涯を送る事になる。
それにしても驚く事は、上野介の奥さんが身重にも拘らず数人のお伴と逃避行する行程で有る。
権田村から新潟へ出て、そこから会津若松まで逃げて行く道中は想像を絶するものがある。

東善寺から約20分位の所に長寿の湯がある。
平日の午後12時にも拘わらずお客の車の多い事、2,30台は駐車している。
中広間に通されて型どおりのセレモニーで宴会が始まる。
飲むほどに、酔いが回る程に話題に出るのは来年の身の振り方である。
このクラブは今年で6年目になり、来年はMネットのサポート対象外となる。
折角6年も机を並べて来た皆さんは、別れ難く、不思議な縁となっている。
いろいろ話が出てきたが、結局のところ自主運営をする事に落ち付いた。
会長を中心に、手慣れた2,3人がサポートをして行く事になったが、目的を明確にして運営する事が大事であるし、自主運営するクラブで有れば、Mネットとしても必要に応じて手をお貸し出来るのではと、約束せざるを得ない状況となった。
酒が入るとすぐ気が大きくなって、出来もしない事を言うとお叱りを受けるかもしれないが、現に、アテネットもその様な支援をしているから、同じようにしてやらなければと、思う次第です。
楽しい倉渕温泉での忘年会も終焉となり、再び雨の中を一路伊勢崎を目指して帰路に付いた。

2010年11月20日土曜日

再び森田修氏の県議会議員選挙について

群馬県議会議員選挙に出馬表明した森田修氏について再度述べる。
既に本人の立候補の意思は固く、近隣周辺の友人知人縁故を伝に戸別訪問を開始した。
この戦術は2回目の衆議員選を落選した時以後、次を目指した行動として選挙区を隈なく訪問して以来のものである。
約2年間、二人三脚での戸別訪問をしたのである。
東は桐生市、笠懸町、藪塚町、東村、西は玉村町、北は赤堀町、南は境町、勿論地元伊勢崎市内の一軒一軒を回り、顔を合わせ苦情を聞きながら照る日曇る日、春夏秋冬を通した行脚をしたのである。
修行僧の難行にも似た行動であった。
しかし、いざ二年後の選挙となると孤立無援の上、無所属ゆえの悲しさで、政見放送は出来ず、ポスターも全ての掲示版まで手が回らず、立会演説会場の借用に各市町村の文化会館へ出向く道すがら貼って行く有様であった。


今回の群馬県議会議員選挙に立候補するに当たり、並々ならない決意の基に決定したものであり、再び戸別訪問行脚戦術で臨んだものと言えよう。
選挙は後援会組織を立ち上げ、有力者の指揮の元に選挙活動を展開して行くのが常道である。
しかしながら最近の選挙事情は、必ずしもその筋書き通りには行かない様な気がする。
無関心、無党派層と言うか、地縁に捉われない縁故無視の選挙人が増加して来たような感じがする。
波長が合えば投票したり、人目を引く斬新な選挙活動をした人を支持したり、旧態依然とした選挙活動では当選が危なくなって来ている。
つい最近までは、あの人は何票持っているとか、一声掛けると一定の票は集められるとか言われていた顔役がいたが、今の時代でそんな人は稀有である。
高齢で居なくなると同時に、地域住民も地主対小作、有力者対被支配者の力関係から解放されたのである。
新選挙人種も権利意識が芽生え、家長であった親や祖父の言う事など聞かなくなっている。
サークルが一緒であるとか、PTA活動をしていたとか、ボランティアで顔見知りとかの投票行動の他に、宗教活動も無視できない。
借家人の流入も地域の連帯感を薄れさせる要因となっている。
今日の選挙は、ムードで投票する、顔が良いから1票入れるとした傾向も強いと見るが、如何であろうか。


そうした観点から群馬県議会議員選挙立候補予定者森田修氏を見た場合、ややオーソドックスな感の有る戸別訪問では有るが、直近の落選を売りに同情を集めるかもしれない。
更に、孤軍奮闘、あそこまでやるのかと言う共感が期待できる。


T氏は労組頼み。K氏は時流に乗る似非党員、T氏に至ってはマンネリの最たる現職である。
新たに出るH氏は親の七光りと財力に物を言わせる選挙を展開するであろうし、H氏は地元地域を頼みとする選挙戦になるのか、Y氏は市政批判をして来るものと思われ、I氏は地元を当てにしない宗教団体の組織票頼みと言われている。
こうした人たちに割って入る隙間候補としての森田修氏は、どのような流れを作るか、同情票プラス三郷、、赤堀地区の人達に何を訴えるか、何が政治に掛けているかを見い出してアピールして行くか。
先ず、現状での県議不在地区解消を訴え、南部中心の開発を北部に振り向けさせる地域間格差是正を唱えて行くべきではないだろうか。


そして後援会は、形に捉われずに「森田修を県議会に送ろう会」として編制替えして、一人が10人を紹介して行くネズミ算連鎖勧誘作戦を展開すれば良いのではないだろうか。
10が100になり、100が1000、1000が10000と連鎖の輪を広げて行くしかないのではなかろうか。
当然何処かで切れたり、重複する事は有るかもしれないが、当面先日の集会に集まった100人が基礎数になって、活動開始したらどうだろう。

2010年11月6日土曜日

生タコ始末記

行きつけの魚屋で、「丸政」と言うのがある。
街中の商店街が寂れて行く中で、この魚屋は大層な繁盛である。
最も周辺にスーパーは無いし、競争相手が無いのが強みである。
パソ爺の所から車で15分位掛かるから、郊外店の「マッセイ」の方が近くて安い。
しかし鮮度や、目の前で切り身を作ってくれる点が魅力で馴染みにしている。

パソ爺は酒の肴では、生タコの刺身が好物である。
しかし、なかなか売っていないし、居酒屋で注文しても無いのが普通である。
時たま宴会などで出される事があるが、あのグニャグニャした食感は何とも言えない。
久しくお目に掛かって居ないので「丸政」の主人に聞いた所、時々市場には出るが買う人が居ないので仕入れないとの事。
そこで頼んで置いから半月も経った頃、入荷したとの電話で出掛けるが、渡された品物を見てびっくり。
こっちは刺身状に切り分けられて、今夜にでも一杯やりながら食べられると思い描いて居たから尚更である。
足の付け根が5・6センチ程、長さが3・40センチ位は有る現物がパックに入っているのだ。

切って無いの?と聞くと、簡単だよ、自分でやれるから練習だと思ってやってみたら、と宣う(この「のたまう」はIMEの言語では出ない。)ではないか。
ははん、わかったぞ!。切るのは面倒だし、切り賃を入れると値段が高くなり、要らないと言われたら売れ損なうと思ったか?。
結局1500円払い、其の侭持ち帰って来た。
それを見た妻の第一声、アタシャ気味悪くてそんなもの切れないからね、と来た。
じゃーどうすんだい。このまま茹でダコにするのなら態々粋がって生タコなど買う事も無いのに、という言葉を腹に収め、インターネットが有るじゃないかと起動して検索をする。

Googleは頼りになる。
「レシピー 生タコ」と検索キーを入れると有るは有るは、世の中暇な人間が生タコの蘊蓄をこれ見よがしに投稿している。
その中から分かり易く、懇切丁寧な説明サイトを印刷して生体解剖に入る。

何時間前に獲れたかは知らないが、生きているのだ。
頭が無いのに足は動いている。
水でよく洗い、塩を入れ滑りを落とすために足先から元までゴシゴシ、クニャクニャと揉み洗い。
大きな吸盤の中は、砂があると困るので殊更よく洗う。こうして15分。

皮を剥かなければならない。
出刃庖丁で根元から刃先を入れ、縦に真っ直ぐに入れるがなかなか思う様な訳には行かない。
悪戦苦闘、ようやく身と皮の切り離しに成功する。
皮は蛸飯にしたら、と脇で見ている妻は簡単に言う。

そこで再びGoogleさんのお世話になる。
これも出る出る、ああでもない、こうでもないと投稿されている。
簡単なサイトを印刷。
皮は、切り刻んで硼酸と番茶で5分位煮て灰汁だしをする。
後は炊き込み飯の作り方と同じである。

翌朝の仕込みをして、さて本体である。
白身になって俎板に横たわる生タコ。
本来ならこれをスライスに下ろし、わさび醤油で一杯という段取りで始めたのだが、時間も経っているためか、草臥れて食う気が失せてしまった。
冷凍して、明日しゃぶしゃぶでもするか、と提案すると、そうね、生で食べるのは気持ちが悪いからね、と決まり、ラップして冷蔵庫の中へ。
こうして生タコ解体は大山鳴動して終結。
インターネットまで使い、この数時間のてんやわんやは何んだったのだ。

夕食は、煮込みうどんで終り。