2010年11月20日土曜日

再び森田修氏の県議会議員選挙について

群馬県議会議員選挙に出馬表明した森田修氏について再度述べる。
既に本人の立候補の意思は固く、近隣周辺の友人知人縁故を伝に戸別訪問を開始した。
この戦術は2回目の衆議員選を落選した時以後、次を目指した行動として選挙区を隈なく訪問して以来のものである。
約2年間、二人三脚での戸別訪問をしたのである。
東は桐生市、笠懸町、藪塚町、東村、西は玉村町、北は赤堀町、南は境町、勿論地元伊勢崎市内の一軒一軒を回り、顔を合わせ苦情を聞きながら照る日曇る日、春夏秋冬を通した行脚をしたのである。
修行僧の難行にも似た行動であった。
しかし、いざ二年後の選挙となると孤立無援の上、無所属ゆえの悲しさで、政見放送は出来ず、ポスターも全ての掲示版まで手が回らず、立会演説会場の借用に各市町村の文化会館へ出向く道すがら貼って行く有様であった。


今回の群馬県議会議員選挙に立候補するに当たり、並々ならない決意の基に決定したものであり、再び戸別訪問行脚戦術で臨んだものと言えよう。
選挙は後援会組織を立ち上げ、有力者の指揮の元に選挙活動を展開して行くのが常道である。
しかしながら最近の選挙事情は、必ずしもその筋書き通りには行かない様な気がする。
無関心、無党派層と言うか、地縁に捉われない縁故無視の選挙人が増加して来たような感じがする。
波長が合えば投票したり、人目を引く斬新な選挙活動をした人を支持したり、旧態依然とした選挙活動では当選が危なくなって来ている。
つい最近までは、あの人は何票持っているとか、一声掛けると一定の票は集められるとか言われていた顔役がいたが、今の時代でそんな人は稀有である。
高齢で居なくなると同時に、地域住民も地主対小作、有力者対被支配者の力関係から解放されたのである。
新選挙人種も権利意識が芽生え、家長であった親や祖父の言う事など聞かなくなっている。
サークルが一緒であるとか、PTA活動をしていたとか、ボランティアで顔見知りとかの投票行動の他に、宗教活動も無視できない。
借家人の流入も地域の連帯感を薄れさせる要因となっている。
今日の選挙は、ムードで投票する、顔が良いから1票入れるとした傾向も強いと見るが、如何であろうか。


そうした観点から群馬県議会議員選挙立候補予定者森田修氏を見た場合、ややオーソドックスな感の有る戸別訪問では有るが、直近の落選を売りに同情を集めるかもしれない。
更に、孤軍奮闘、あそこまでやるのかと言う共感が期待できる。


T氏は労組頼み。K氏は時流に乗る似非党員、T氏に至ってはマンネリの最たる現職である。
新たに出るH氏は親の七光りと財力に物を言わせる選挙を展開するであろうし、H氏は地元地域を頼みとする選挙戦になるのか、Y氏は市政批判をして来るものと思われ、I氏は地元を当てにしない宗教団体の組織票頼みと言われている。
こうした人たちに割って入る隙間候補としての森田修氏は、どのような流れを作るか、同情票プラス三郷、、赤堀地区の人達に何を訴えるか、何が政治に掛けているかを見い出してアピールして行くか。
先ず、現状での県議不在地区解消を訴え、南部中心の開発を北部に振り向けさせる地域間格差是正を唱えて行くべきではないだろうか。


そして後援会は、形に捉われずに「森田修を県議会に送ろう会」として編制替えして、一人が10人を紹介して行くネズミ算連鎖勧誘作戦を展開すれば良いのではないだろうか。
10が100になり、100が1000、1000が10000と連鎖の輪を広げて行くしかないのではなかろうか。
当然何処かで切れたり、重複する事は有るかもしれないが、当面先日の集会に集まった100人が基礎数になって、活動開始したらどうだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿